

庄内川と新川の治水史<尾張国土学⑬>
★人工派川・新川と洗堰を基幹インフラとする現在の庄内川の治水システムは、江戸時代中期の「天明の治水」を起源としています。 庄内川のあらまし 愛知県内には一級水系の河川(国土保全や国民経済上特に重要な水系で国土交通大臣が指定した河川)が5つあります。それは、①木曽川、②矢作川...


木曽三川明治改修とデ・レーケ<尾張国土学⑫>
★木曽三川明治改修をはじめ、オランダ人土木技術者「ヨハネス・デ・レーケ」の功績は枚挙にいとまがありません。郷土学習や河川学習の教材としても、今なお彼は大きな役割を果たしてくれています。 木曽三川明治改修とヨハネス・デ・レーケの功績...


現地で学ぶ宝暦治水<尾張国土学⑪>
★本格的治水事業の先駆けともいえる宝暦治水と薩摩藩士の物語は、千本松原、宝暦治水碑、治水神社などの史跡とともに、現在でも多くの人々に讃えられています。 河川学習の学校「国営木曽三川公園」 木曽三川公園は、愛知、岐阜、三重の3県にまたがる河川空間(木曽川・長良川・揖斐川の木曽...


入鹿池の大きな役割<尾張国土学⑩>
★農業用ため池として、また防災ダムとして、さらには郷土学習や防災学習の教材として、入鹿池は尾張地域で大きな役割を果たしています。 地域の発展に尽くした先人(郷土学習) 「地域の発展に尽くした先人が、様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを学ぶ」というこの学習プ...


宮田用水と木津用水<尾張国土学⑨>
★400年、あるいは1000年もの長い歴史を有する「宮田用水と木津用水」。愛知県を代表する農業インフラは、尾張地方北部~西部の広大な農地を潤し、人々の生活を支え続けてきました。 濃尾平野を潤す「濃尾用水」 「濃尾用水」は、木曽川にある犬山頭首工から取水し、濃尾平野を潤す農業...


木曽川の流れと御囲堤<尾張国土学⑧>
★徳川家康の命により木曽川左岸に築造された延長47kmにも及ぶ大堤防「御囲堤」は、近世以降現在に至るまで、尾張地域(濃尾平野)の人命や資産を洪水から守る上で、大きな役割を果たしてきました。 木曽三川はわが国を代表する「河川学習」フィールド...


佐屋廻り交通の物語<尾張国土学⑦>
★「古代(延喜式)東海道」「津島湊と佐屋湊」「津島上街道」「佐屋路」など、佐屋廻りの交通インフラは、長い歴史の中で形態を変えながらも、いつの時代も重要な役割を果たしてきました。 東海道(七里の渡し)の迂回路「佐屋路」 前回のブログでも触れましたが、江戸と京都・大坂を結ぶ基幹...


朗報!JR肥薩線(川線)鉄路復旧合意
★肥薩線の復旧が実現し、沿線地域が復興していきますことを遠く豊橋の地から祈念しています。 JR肥薩線(八代~人吉間)の鉄路復旧が基本合意 令和2年7月豪雨で被災し、八代~吉松間(86.8km)で不通が続くJR肥薩線の復旧について話し合う検討会議(JR肥薩線検討会議:熊本県・...


美濃路をゆく<尾張国土学⑥>
★美濃路は、江戸と京都・大坂を結ぶ基幹道路の一部を担う「美濃路廻り」ルートとして、また近世以降の尾張名古屋の発展の礎となる都市交通軸として、極めて重要な役割を果たしました。 美濃路ルートの歴史 美濃路は、東海道の宮宿(熱田宿)から名古屋宿・清須宿・稲葉宿・萩原宿・起宿(以上...


尾張の東海道と七里の渡し<尾張国土学⑤>
★三河との国境(境川)を経て、尾張に入った近世・東海道は、鳴海宿及び宮宿(熱田宿)を経由して、海路(七里の渡し)で伊勢国(桑名宿)に繋がっていました 尾張の東海道の変遷 尾張国内の古代(延喜式)の東海道は、京都から伊賀国を経由して伊勢国に入り、伊勢国の榎撫(えなつ、現在の三...