高森阿蘇神社と風鎮祭
★260年来の伝統を持つ、阿蘇高森の夏の風物詩「風鎮祭」が今年も8月18~19日にかけて開催された。最初の行事(祭事)・五穀豊穣祈願祭の舞台「高森阿蘇神社」は、高森町の鎮守の神で、健磐龍命ほか阿蘇十二神を祀る。
南郷谷の中心・阿蘇郡高森町には、風を鎮め、五穀豊穣を願う「風鎮祭」と呼ばれる行事(祭事)がある。風鎮祭は阿蘇高森の夏の風物詩で、260年来の伝統があり、今年も8月18日(金)~8月19日(土)にかけて開催された。高森阿蘇神社の五穀豊穣祈願祭、高森町内の子どもたちによる演奏会、総踊り、日用品で造られた大きな「造りもの」が町内を廻る「山引き」、漫才調の「にわか」や「納涼花火大会」などがおこなわれ、町内が大賑わいとなった。
今年も「風鎮祭」開催!!(高森町観光サイト)↓ http://www.town.takamori.kumamoto.jp/kankoevent/news/2017/08/post-73.html
平成29年風鎮祭行事日程表(南阿蘇高森町観光協会)↓ http://aso-takamori.jp/img_topics/20170818_fuchinsai_info.pdf
(風鎮祭の様子)
五穀豊穣祈願祭の舞台「高森阿蘇神社」は、高森町の鎮守の神で、健磐龍命(たけいわたつのみこと)ほか阿蘇十二神を祀る。古くから「矢村社」と呼ばれ地元民から親しまれてきたが、その由来については、境内にある由緒板に次のように書かれている。 「元この神祠は、この山の中腹にあったという。本来山の神の信仰に起るものであろう。 この社は矢村社又は矢村大明神と称しており現在名は明治以降のことである。 矢村社と称する由緒は「健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時住むべき宮居を定めんと阿蘇山上に登り南北に向って卜矢を放つ、その一矢は今の一の宮町(宮地)なる十二の宮の地に落ち、一矢は南なるこの所の大石に当たれり、これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。 その矢朽ち果てたるにより、新たに神像を奉安してこれに替え鎭祭す」とある。 思うに本社はもと山の神に始まり農耕神として祀られこの社でその年の農凶を占う矢を射るなどの神事が行われたため起った社名ではなかろうか。 中世に於いて南郷谷で水田に恵まれた豊作の地はこの社の西方市下・津留・中郷・竹崎それに連なる白川吉田の地であったろう。 矢村社はこの地域を眼下にする景勝の地(宮山)で深い森林に覆われていたであろう。 社はモリと呼ばれ聖なる樹林はモリでありヤシロとも崇められた。またその在る処は冬野と呼ばれるがミタマノフユ(神の恩頼)にあたるか、高森の地名もこの社の山の高い森に起因するのであろう。」
(拝殿)
(拝殿内の様子)
(本殿)
小国郷、阿蘇谷、南郷谷など、阿蘇周辺地域には、健磐龍命(たけいわたつのみこと)ゆかりの伝統ある阿蘇系神社が数多くあり、肥後国の自然や歴史と一体化している。
(今回の舞台)
(2017年8月20日)
関連ページ(熊本国土学) <第2回>農耕の道を教え、国土の開拓に尽くされた肥後の一の宮「阿蘇神社」(2016/03/27)