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入鹿池の大きな役割<尾張国土学⑩>

★農業用ため池として、また防災ダムとして、さらには郷土学習や防災学習の教材として、入鹿池は尾張地域で大きな役割を果たしています。

 

地域の発展に尽くした先人(郷土学習)

 「地域の発展に尽くした先人が、様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを学ぶ」というこの学習プログラムは、戦後の小学校の学習指導要領が、一貫して、児童の発達段階(学習能力)が高まった小学4年生の社会科において義務付けてきたもので、土木・建設分野の仕事の目的(本質)について時間をかけて学ぶことのできる唯一無二の学習単元であると言っても過言ではありません。

 学習指導要領・同解説によると、「ここでは、例えば、用水路の開削や堤防の改修、砂防ダムの建設、農地の開拓などを行って地域を興した人、藩校や私塾などを設けて地域の教育を発展させた人、新しい医療技術等を開発したり病院を設立したりして医学の進歩に貢献した人、新聞社を興すなど文化を広めた人、地域の農業・漁業・工業などの産業の発展に尽くした人など、「開発、教育、医療、文化、産業など」の面で地域の発展や技術の開発に尽くした先人の具体的事例の中から一つを選択して取り上げることが考えられる」とされていますが、ありがたいことに、現行の3つの検定教科書(東京書籍・教育出版・日本文教出版)とも、「開発」の面で地域の発展に尽くした先人をメインターゲットにして教材化してくれています。

 例えば、東京書籍の教科書は、「通潤橋」(熊本県山都町の白糸台地に布田保之助らによって架けられた石橋)を学習素材として取り上げ、『谷に囲まれた台地に水を引く』というタイトルで、18ページを割いて郷土と偉人に関する学びの機会を提供しています。

 同様に、教育出版の教科書は「見沼代用水」(井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために武蔵国に普請した灌漑農業用水)を、日本文教出版の教科書は「那須疎水」(栃木県北部の那須野が原に飲料・農業用水を供給する用水路。矢板武や印南丈作らの尽力によって整備された)を採録しており、いずれの教科書も十分なページを割いて、「地域の発展に尽くした先人が、様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したこと」を教えています。

 

 偉人の功績を通じて伝える土木―「教科書」の中に記述される「土木」―|月刊「土木技術」Vol.77 (2022.6)

 

 【第2回】小学4年・社会科で学ぶ「水インフラ」「防災」「先人の働き」/教科書で学ぶ「国土とインフラ」2022~23|月刊「建設マネジメント技術」(2022.7)

 

入鹿池と入鹿六人衆の物語

 今回のブログで紹介する「入鹿池」も、この学習プログラム(郷土学習)に相応しい素材であるようで、小牧市や犬山市などの小学校では、社会科(4年生)の授業でこの物語(ノンフィクション)が取り上げられています。

 

 4年生社会 小牧のむかし|小牧市立篠岡小学校ホームページ

 

 4年 入鹿池|犬山市立池野小学校ホームページ

 

 メリーゴーランドさんの「入鹿池公演」|大口町立大口西小学校ホームページ

 

 入鹿池は、愛知県北西部の犬山市に位置し、犬山市、小牧市、大口町、扶桑町の受益地約600haにかんがい用水を供給する国内最大規模(総貯水量約15,200千m3、香川県の満濃池に次ぐ規模)の農業用ため池です。

 明治時代の建築物を移築して保存・展示した野外博物館「明治村」の東側に隣接し、ワカサギ釣りの名所として知られている入鹿池は、春はツツジや桜、秋は紅葉に彩られる風光明媚な景勝地としても全国的に有名で、2010年には農林水産省の「ため池百選」に選定されています。

 この入鹿池の歴史は古く、江戸時代初期の新田開発が盛んに行われた時代、ここ尾張でも、江崎善左衛門など地元の郷士6人(通称「入鹿六人衆」(※))が「入鹿村に流れ込む川を堰止めて未開墾地(犬山の扇状地)に水を引き、新田を開発しよう」という壮大な計画を立てたことを切っ掛けとして、その後、尾張藩(藩主・徳川義直公)の許可を得て工事に着手、途中さまざまな苦難を乗り越えて、1633年(寛永10年)に入鹿池の工事を完成させるとともに、あわせて用水路(入鹿用水)の整備と大規模な新田開発を行ったということです。

 なお、入鹿池を築造するにあたり、工事が難航を極めた(流れ出る水の勢いが激しく、築きかけた堤が何度も流されてしまった)ことから、河内国から堤防造りの名人甚九郎を招き、棚築(たなづき)工法(※※)という特殊な工法を用い完成させることができました。後に、このことが評価され、2015年には「世界かんがい施設遺産」にも認定されています。

 

※「入鹿六人衆」・・・江崎善左衛門(小牧村)、落合新八郎・鈴木久兵衛(上末村)、鈴木作右衛門(田楽村)、丹羽又兵衛(村中村)及び船橋仁左衛門(外坪村)。

 

※※「棚築(たなづき)工法」・・・堰き止める場所の両側に土を盛り、松木で仮橋を渡し、松葉や枯れ枝を敷いて油を注ぐ。その上にできる限り土を盛り上げた後、橋に点火。橋が燃え落ちると同時に大量の土が落下して急流を堰き止める築堤工法。

 

 入鹿池/特色のあるため池の紹介/ため池|農林水産省

 

 入鹿池/疏通千里・利沢万世/国土を創造した人々|水土の礎( (一社)農業農村整備情報総合センター)

 

 木津用水と入鹿池/濃尾用水拾余話||水土の礎((一社)農業農村整備情報総合センター)

 

 平成27年10月13日に入鹿池が「世界かんがい施設遺産」に登録されました|愛知県


入鹿池①(犬山市)


入鹿池②(犬山市)


入鹿池頌徳碑と入鹿池


かんがい施設遺産記念碑とため池百選の説明板


天皇皇后両陛下行幸啓記念碑と入鹿用水土地改良区事務所

※天皇、皇后両陛下(現在は上皇上皇后様)は、2016年(平成28年)11月16日に入鹿池を見学されている。




防災学習教材としての「入鹿切れ」

 入鹿池の歴史をみると、1868年(慶応4年=明治元年)5月の集中豪雨によって堤体が決壊し、死者941人、負傷者1471人、流失家屋807戸を数える大惨事が発生しています。この災害は「入鹿切れ」と呼ばれており、下流約3kmにある「興禅寺」境内には、その時に流れてきた重さ15トンの大岩「入鹿流れ石」が祀られています。また、この大災害は、地域の防災学習の教材として様々な場面で活用されています。

 なお、入鹿池は、現在では尾張北西部の農業用水供給機能に加え、防災ダムとしての機能も備えられており、さらには、愛知用水と接続されることで、愛知用水下流域で水不足になる冬期畑地かんがい用水としても利活用されています。

 

 <備える>災とSeeing(2)入鹿池 ため池決壊、幕末の尾張北部のみ込む|中日新聞

 

 絵本「いるかいけがきれた」/ニワ里・Blog|特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク



興禅寺近くに流れ着いたとされる大岩(入鹿切れ慰霊碑)

 



(今回の舞台)

 

 

(2024年05月05日)



 



 

 

 

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