

明治用水と日本のデンマーク<三河国土学⑧>
★内村鑑三が活躍した時代(晩年)、愛知県碧海郡一帯(安城市周辺)は、明治用水の整備を切っ掛けとして、わが国を代表する先進的農業実践地域「日本デンマーク」と呼ばれていました。 内村鑑三と『後世への最大遺物』 内村鑑三(1861-1930年)は、札幌農学校(現在の北海道大学)時...


峠の国盗り綱引き合戦<三遠南信連携①>
★青崩峠道路の開通による三遠南信地域の連携・交流の促進が期待されますが、貴重な地域資源として「峠の綱引き合戦」も末永く開催していただきたいと思います。 「峠」の物語~プロローグ~ かつて「峠」は国境(くにざかい)であり、その先は異郷の地でした。峠の向こうに、何があるのか、ど...


安政東海・南海地震の記憶<愛知の歴史災害④>
★愛知県内とりわけ渥美半島の太平洋岸には、『稲むらの火』の切っ掛けとなった安政東海地震・安政南海地震に関する史跡が遺されています。 『稲むらの火』と濱口梧陵 <村の高台に住む庄屋の五兵衛は、長くゆったりとした地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に...


濃尾地震の記憶<愛知の歴史災害③>
★愛知県内には、近代日本が遭遇した初めての巨大地震「濃尾地震」の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれている場所が沢山あります。 熊本地震を経験して 平成28年4月14日21時26分、熊本地方を震央とするマグニチュード(Mj)6.5の地震が発生(前震...


三河地方に残る鎌倉街道の面影<三河国土学⑦>
★東部(豊橋市域)や西部(安城・知立・豊田・刈谷)など、三河国内には、鎌倉街道にまつわる史跡や街道の面影が残されている区間がいくつかあります。 鎌倉街道とは? 過去のブログ(全3回)にて、近世(江戸時代)の東海道と三河地方にあった七つの宿場町(二川、吉田、御油、赤坂、藤川、...


宝永地震の記憶<愛知の歴史災害②>
★渥美半島の太平洋岸では、かつて海岸近くの伊勢街道沿いに栄えていた寺院や神社、集落の多くが、宝永地震津波を教訓にして、高台(海食崖の上)に移転しています。 切迫性が高い状態にある「南海トラフ地震」 南海トラフ地震は、駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界(フィリピン海プレ...


伊勢湾台風の記憶<愛知の歴史災害①>
★愛知県内には、伊勢湾台風の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれている地域(箇所)が沢山あります。過去の災害の教訓を正しく知ることが、災害への「備え」を充実させ、今後の被害軽減を導くことになります。 大規模自然災害頻発国「日本」...


西三河の東海道を歩く<三河国土学⑥>
★藤川宿、岡崎宿(城下町)、池鯉鮒宿には、程度の差こそありますが、江戸時代の宿場町景観が残されており、往時の風情を感じることができます。 西三河の東海道 江戸時代の東海道は、現在の一般国道1号(国土交通省管理)に沿ったルートで、東三河には、二川、吉田、御油、赤坂の4つの宿場...


矢作川の舟運と「塩の道」<三河国土学⑤>
★三河湾で取れた三州塩は、矢作川や支川・巴川を舟で遡って古鼠/平古で荷揚げされ、そこから足助街道と飯田街道を通って信州へと輸送されました(塩の道)。 矢作川の舟運 徳川家康による矢作新川の開削によって、河口部に港(湊)が開かれ、矢作川は岡崎を中心とする西三河地方と信州を結ぶ...


矢作川下流支派川改修の歴史<三河国土学④>
★矢作川下流域支派川では、中近世から河川改修事業が実施されてきました。 第31回から第33回まで、矢作川に関連する話題を取り上げてきましたが、ここで改めて矢作川下流支派川の河川改修の歴史を再整理しておこうと思います。 【室町時代以前】...