国道57号北側復旧ルート「二重峠トンネル」着工
★平成29年6月17日、阿蘇市車帰地先で「二重峠トンネル」の着工式が開催された。引き続き「平成32年度(震災から概ね5年)での全線開通」を目標に、全力で復旧工事を進めてまいりたい。
【二重峠の歴史】 「二重峠(標高683m)」は大津町から阿蘇市に向かう途中の阿蘇北外輪を越える峠。北外輪山の西側の最も低い地点で、名の由来は阿蘇神話、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が外輪山を蹴破ろうとしても、二重になっているから破れなかったという話からきている。 この二重峠を越えるルートは、初代肥後熊本藩主・加藤清正公によって政治・経済・軍事の重要ルート「豊後街道」の一部として整備され、江戸時代以降(明治時代前期まで)、肥後熊本の東西交通を支えてきた。 明治17年(1884)に比丘尼谷の難工事がクリアされ、立野火口瀬を抜け熊本から阿蘇に至る新道(現在の国道57号)が開通して以来、二重峠を越えるルートの交通上の重要性は薄れることとなった。が、平成28年熊本地震で国道57号(阿蘇大橋地区)が通行止めとなっている現在、二重峠を通るルート(通称「ミルクロード」)が国道57号の広域迂回ルートとして2万台/日の交通量を担っている。
(豊後街道・二重峠)
(豊後街道・二重峠)
【国道57号北側復旧ルート「二重峠トンネル」着工】 国土交通省(熊本河川国道事務所)では、通行止めとなっている国道57号阿蘇大橋地区の災害復旧事業として、昨年6月から「北側復旧ルート」の整備に取り組んでおり、現在、早期復旧に向け、現地測量、設計、用地買収、工事用進入路の整備などを全力で進めている。
新国道57号、工事着々 20年度完成めざす(熊本日日新聞2017/6/11 12:)↓ https://this.kiji.is/246456012773343235?c=92619697908483575
本ルートは二重峠の下を約4kmのトンネルで通過する計画であるが、トンネル工事の契約にあたっては、全国で初めて「技術提案・交渉方式(ECIタイプ)」という手法を採用した。これは、競争参加者の中から工期短縮などについて最も有効な技術提案を行った者(優先交渉権者)と技術協力業務の契約を締結し、別契約で実施している設計に技術提案内容を反映させ、価格等の交渉を経て施工契約を締結するもので、当該手法の採用により、現在想定している地山の地質や地下水等の状況に大きな変更が生じなければ、当初約4年を見込んでいた工期を約1年短縮し、約3年で完成させることが可能となった。
昨日(平成29年6月17日)、阿蘇市車帰地先で「二重峠トンネル」の着工式が開催された。引き続き「平成32年度(震災から概ね5年)での全線開通」を目標に、全力で復旧工事を進めてまいりたい。
「二重峠トンネル」着工 国道57号北側通る新ルート 阿蘇市(熊本日日新聞)↓ https://this.kiji.is/248973866560292345?c=92619697908483575
国道57号北側復旧ルート二重峠トンネル着工(RKK熊本放送)↓ http://rkk.jp/news/backno_page.php?id=NS003201706171750300111
熊本地震 代替国道のトンネル着工 阿蘇(産経新聞)↓ http://www.sankei.com/west/news/170617/wst1706170056-n1.html
国道57号代替ルート、トンネル掘削着工 阿蘇(毎日新聞ニュース/熊本地方版)
熊本地震で通行不能の国道57号北側復旧ルート「二重峠トンネル」着工式(Impress Watch)
(国道57号北側復旧ルート)
(国道57号北側復旧ルート(阿蘇側))
(国道57号北側復旧ルート・二重峠トンネル阿蘇側坑口)
(国道57号北側復旧ルート・二重峠トンネル阿蘇側坑口付近)
(国道57号北側復旧ルート・二重峠トンネル大津側坑口付近)
(国道57号北側復旧ルート・二重峠トンネル着工式)
(今回の舞台)
(2017年6月18日)
関連ページ(熊本国土学) <第36回>二重峠を越える(延喜式官道→豊後街道→ミルクロード→二重峠トンネル)(2017/01/08)