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日本最古の水道「轟泉水道」

★轟泉水道は、寛文3(1663)年完成の現存する日本最古の石管上水道。轟水源から宇土城下町まで総延長約4,800m、標高差5mの区間には、塘や桝等の技術が駆使されている。

 「平成28年熊本地震」は熊本~阿蘇周辺地域に甚大な被害を与えた。多数の家屋倒壊や土砂災害による人的被害、電気・ガス・水道などのライフラインへの被害のほか、空港・道路・鉄道などの交通インフラ、熊本城や阿蘇神社に代表される文化財等にも甚大な被害が生じ、県民生活や中小企業、農林漁業や観光業などの経済活動にも大きな支障が生じた。  熊本県宇土市では、4月16日の本震により、市役所の庁舎が半壊。4階部分が押しつぶされ、倒壊寸前にも見えたことから、象徴的な被害箇所として各種マスコミでも大きく取り上げられた。  この宇土市にある「轟泉水道」は、今なお使われている上水道では日本最古といわれている。熊本地震でも大きな被害を受けず、しっかりとその役割を果たし続けた。

 「轟泉水道は、初代宇土藩主・細川行孝により、轟水源から宇土城下町までの総延長約4800m、標高差5mの区間を水道塘(堤防状の盛土)や桝(コース変更や分水、水田への灌漑の機能)などの技術を駆使し、1663(寛文3)年完成(瓦質管)させたものである。  宇土の城下町は海に近く、標高が3mほどの低地であったため、地下水は少なく、塩分や鉄分が多く、水質が非常に悪かったことから、良質な飲料水の確保は切実な問題であり、約6200トン/日の湧水量がある轟水源から城下町の各屋敷まで水道(自然流下)を引き、いつでも水を利用できるよう考えられた。  幹線工事(約3150m)は約4ヶ月、支線工事(約1500m)に約1年をかけ完成した。武家屋敷には戸別の井戸を、共同井戸は13ヶ所、防火用や農業用の取水口も造られた。  当初は瓦質管で敷設されたが、100年ほど後、水道管の老朽化から石管と「がんぜき」という接合材に取り替える改修工事が行なわれた。現在も、大半が現存しており、100戸ほどが生活用水として利用していることから、現存する日本最古の上水道である。」(土木学会西部支部ホームページ「九州の土木遺産/轟泉水道(ごうせんすいどう)」による) http://www.jsce.or.jp/branch/seibu/05_heritage/h25gousen.html

 轟泉水道の水源となっている轟水源は、このような歴史的価値も認められて“日本の名水百選”に選定されており、轟水源一帯は轟泉自然公園として整備されている。

 轟水源と轟泉水道(宇土市ホームページ)↓ http://www.city.uto.kumamoto.jp/q/aview/85/58.html

 水の土木遺産:轟水源と轟泉水道(九州地方計画協会)↓ http://k-keikaku.or.jp/xc/modules/pc_ktech/index.php?content_id=2207

 現存する日本最古の上水道「轟泉水道」(建設コンサルタンツ協会)↓

(轟泉自然公園)

(轟水源)

(轟水源/轟泉水道 説明板)

(轟泉水道 説明板)

(轟泉再修碑)

(水道取水口)

(今回の舞台)

(2017年5月7日)

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