農耕の道を教え、国土の開拓に尽くされた肥後一の宮「阿蘇神社」
★阿蘇氏による「国造り」と、幻想的な光景を映し出す「火振り神事」 熊本県阿蘇市一の宮町宮地に鎮座する「阿蘇神社」は、古くから肥後一の宮として崇敬されている神社で、社記によれば、孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命(たけいわたつのみこと:神武天皇の孫神)と阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(はやみかたまのみこと:阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。 「阿蘇神社」は、全国に約450社ある阿蘇神社の総本社であり、古代からの有力氏族である阿蘇氏が現在も大宮司を務める。また、全国的にも珍しい「横参道」の神社としても知られており、参道の南には阿蘇火口が位置している。 『熊本県の歴史』(山川出版社)によると、中世阿蘇大宮司家となる阿蘇氏は、「火山神と地域の農業神の合体である阿蘇の神をまつる国造阿蘇君(くにのみやつこあそのきみ)の系譜を引く有力豪族」であり、「施入された神封と開発活動を基盤に、11世紀後半から12世紀にかけて阿蘇郡一帯を社領とする荘園制的領知関係をつくりあげ」、さらに「12世紀なかばには、託麻(たくま)郡の健軍(けんぐん)社と、宇土郡の郡浦(こうのうら)社を傘下にいれていた益城郡の甲佐(こうさ)社が阿蘇社の末社となり、阿蘇社=阿蘇氏の勢力は、阿蘇・益城両郡を中心に飽田(あきた)・託麻・宇土・八代の六郡にまたがる肥後中央部に東西に広がる広大な地域を占めるようになった」という歴史を持つ。
阿蘇神社社務所が発行するリーフレット(平成二十八年阿蘇神社年中行事表)には、「古い昔の事ですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえた湖でありました。阿蘇大神健磐龍命は湖を切って落として美田を開き、農耕の道を教え国土の開拓に尽くされました。十一世紀以降、肥後一の宮と仰がれ、肥後の国の総鎮守神として広く尊崇を受けられる様になりました、国土の開拓とはただ産業の振興のみならず、吾々人間生活にかかわりある交通、文化、学芸、結婚、医療、厄除等、生活守護神として限りない御神恩をいただいております」と阿蘇神社の御神徳(神話)が記されている。
また、阿蘇神社では、稲作の祭りが年間を通じて行われており、その年の豊作を祈願する3月の春祭り(卯の祭・田作祭)、青田の生育が順調であることを願う7月の御田祭、無事耕作が完了したこと、秋の実りを感謝する9月の田実祭など、これら一連の神事は、国重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」として指定されている。 中でも、田作祭における「火振り神事」(農事の神の年祢神(国龍神)との結婚式を迎えた姫神を、地元の住民たちがタイマツに火をともして歓迎した故事に由来する)はつとに有名で、毎年3月の申の日には、火のついた茅束が打ち振られ、幾重にも重なり合う火の輪が、幻想的な光景を映し出す。
(2016年3月27日)
(阿蘇神社)
(阿蘇の農耕祭事)
(火振り神事)
(姫神のご神体)
(豊かな農地が広がる阿蘇谷の風景)
(今回の舞台)
(2016年3月27日)