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熊本都心にある賑わい親水空間“白川”

★加藤清正公による治水事業に始まり、「昭和28年・白川大水害(6.26水害)」を経て、今なお「治めることが極めて難しい」白川ではあるが、近年は、新たに「熊本都心にある賑わい親水空間」としても、その役割が期待されている。

【白川の歴史/加藤清正公が治めた】  治めるに難しい国『肥後』、治めるに難しい河川『白川』。これらを最初に治めたのが、肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公である。  清正公が入国する前、『肥後』は「国衆」がそれぞれの領地を分割統治する群雄割拠の時代であった。豊臣秀吉による九州平定(天正15年)後、肥後国に入った佐々成政が、検地を強行したことを切っ掛けとして国衆たちの反乱にあい、最終的には秀吉から切腹を申し付けられた話しは有名である。  一方、その地形・気象的特徴から、昔から暴れ川として住民を悩まし続けていたのが『白川』であった。入国後、統治拠点として熊本城を築城した清正公は、城下町を外的(薩摩島津藩)から防御するとともに、これを洪水被害から守るため、蛇行していた白川の流路を直線化した。また、坪井川と井芹川の流路を白川から切り離し、新たな坪井川として河口の高橋(現在の百貫港)まで一本の川としてつなげることで、城下町の舟運路を確保した。更に、清正公は、洪水時には流れを緩め、平常時は水を蓄えて取水するための施設として、河川の両岸に渡る堰の建設を進めた。瀬田堰(大津町瀬田)、馬場楠堰(菊陽町馬場楠)、渡鹿堰(熊本市)など大規模な堰を幾つも設けるとともに、高台にある田畑まで送水するための井手(農業用水路)をあわせて整備することで、これらの土地は白川の水で潤い、かんがい面積は約3500町に及んだと伝えられている。

 白川の歴史(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/river/shirakawa/rekishi/index.html

【白川の特徴/治めることが極めて難しい】  白川は以下の4つの特徴を持つ一級河川で、今なお、治めることが極めて難しい。従って、近代に入って以降も、「昭和28年・白川大水害(6.26水害)」をはじめとして、大規模な洪水(被害)を幾度も経験してきており、現在の治水事業は、この昭和28年6月洪水等の既往洪水を踏まえて実施されている。 ①「ジョウロ型」の流域:流域面積の80%が上流域の阿蘇カルデラ  上流域にある阿蘇カルデラが白川の流域面積の約80%占めており、ジョウロ型の流域は、阿蘇に降った雨を一手に引き受け、九州第三の都市熊本市へ流し込む。 ②白川上流は全国平均の2倍にもなる多雨地帯  上流の阿蘇地方は全国的にも有数の多雨地帯。阿蘇地方の年間降雨量(約3,200mm)は下流・熊本市(約2,000mm)の1.6倍で、全国の年間降雨量の平均(1,560mm)の2倍にもなる。 ③洪水を引き起こしやすい河川勾配  阿蘇カルデラに降った雨は、立野火口瀬から一気に流下するが(白川中流部は急流で水の流れが速いが)、熊本市街部が広がる下流部や低平地の広がる河口部は緩やかな地形となっているため、水が流れにくくなる(=洪水を引き起こしやすい)。 ④県都・熊本市街地を天井川が貫通する  白川は、熊本市街部の周辺地盤よりも高いところを流れる「天井川」であるため、一度氾濫すると甚大な浸水被害が発生してしまう。さらに、阿蘇山が”ヨナ”と呼ばれる火山灰を多量に降らしているため、洪水時には一気に流下して被害を拡大する。

 白川の特性(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/river/shirakawa/tokusei.html

 白川の過去の水害(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/river/shirakawa/suigai/index.html

 白川の河川整備基本方針・河川整備計画(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/river/shirakawa/seibi.html

【白川の未来/熊本都心にある賑わい親水空間として】  このように、加藤清正公による治水事業に始まり、「昭和28年・白川大水害(6.26水害)」を経て、今なお「治めることが極めて難しい」白川ではあるが、近年は、新たに「熊本都心にある賑わい親水空間」としても、その役割が期待されている。  熊本駅前の白川橋を中心とするエリアでは「熊本駅周辺かわまちづくり」事業が実施されており、高水敷、管理用通路、護岸、水制工(石刎)が整備された白川河川敷では、年間を通して様々なイベントが開催されている。  今年からは、12年ぶりに「くまもと春の植木市」もこの地で開催されることとなり、この2月から3月にかけて、多くの市民や観光客で賑わいを見せた。

(白川河川敷で毎年開催されている熊本市消防出初め式:2016年1月10日)

(水制工(石刎)が整備された白川河川敷:2018年3月)

(12 年ぶりに白川河川敷で開催された「くまもと春の植木市」:2018年3月11日)

(12 年ぶりに白川河川敷で開催された「くまもと春の植木市」:2018年3月11日)

 一方、地域住民との共同参画により整備を進めてきた「緑の区間(大甲橋から明午橋間)」では、整備の完成した2015年度から「ミズベリング白川74」の取り組みが始まっている。ミズベリングとは、「水辺とまち」に対する社会的関心を高め、市民・企業・行政が三位一体となり、かつてのにぎわいを失ってしまった水辺の新しい活用の可能性を創造していくプロジェクト。(ミズベリングは「水辺+RING(輪)」、「水辺+R(リノベーション)+ING(進行形)」の造語)  今年は満開の桜が咲き誇る3月25日に開催され、マルシェに出店した飲食や物販などの個性的なお店は、散策に訪れた人々で賑わった。

 白川の川づくりの取組み(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/river/shirakawa/kawadukuri.html

 白川「緑の区間」樹木冊子(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/site_files/file/river/sirakawa-jyumoku/sirakawa-jyumoku-otona.pdf

 ミズベリング白川74の取り組み(2015年)(熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/site_files/file/river/mizubering/mizbering.pdf http://www.qsr.mlit.go.jp/n-shiryo/kenkyu/program/01/01_03.pdf

 白川河川敷でお花見マルシェ!3月25日にMIZBERING Shirakawa74(肥後ジャーナル)↓ http://higojournal.com/archives/mizbering-shirakawa20180325.html https://i0.wp.com/higojournal.com/wp-content/uploads/2018/03/mizbering.jpg

(白川「緑の区間」:大甲橋からの眺め)

(MIZBERING Shirakawa74お花見マルシェの様子:2018年3月25日)

(MIZBERING Shirakawa74お花見マルシェの様子:2018年3月25日)

(白川「緑の区間」:説明版)

白川「緑の区間」の歴史  白川は、自然豊かな阿蘇を源とし、中流では、豊富な地下水を涵養しながら、熊本平野の広大な田畑を潤しています。下流では熊本市の市街地を流れ、海苔をはじめ多様な海産物を育む有明海へ注いでいます。  1588(天正16)年、肥後に入国した加藤清正公は、領地にある各地の河川の改修にとりくまれました。当時の白川は代継橋から長六橋の間で大きく蛇行していましたが、熊本城下の治水と灌漑と防衛(お城の外堀)のために、現在の流路に改修されました。  しかし、古くから白川は、度重なる水害を引き起こしてきました。特に、1953(昭和28)年の6月26日に発生した洪水は、白川流域で甚大な被害(死者・行方不明者422人、流失・全半壊家屋9,102戸)をもたらしました。この水害以降、早急な洪水対策が求められました。  一方、明午橋から大甲橋区間(「緑の区間:緑のつながる区間」)は、地元住民の鶴田 絲平氏が自ら植えられた樹木の緑を中心とした右岸(水道町側の通称・鶴田公園)だけでなく、左岸(新屋敷側)の豊かな緑も合わせて、河畔の樹木が川面に映る緑と遠くに見える立田山の風景が「森の都くまもと」のシンボルとして、市民に親しまれてきました。  この環境保持と治水の両立という課題を抱えた整備事業を進めるにあたり、「白川河川懇談会」(1988~90年)や「白川市街部景観・利活用検討会」(2007~)をはじめ各種の検討会を開催しています。その中での意見をとりまとめると共に地域住民のみなさまの協力をいただきながら、河川整備を行なっています。  「緑の区間」は、2015年度グッドデザイン賞を受賞しています。 「緑の区間」の整備  熊本市街地を流れる白川の中でも、大甲橋から明午橋の「緑の区間」は、治水面においても、環境面においても重要な区間となっています。名前の由来となった豊かな緑をできる限り残すために、河川の拡幅と堤防工事に支障となった200本の樹木の移植を行ないました。移植には、江戸時代から伝承されている技術(立曳き工法)などを用い、さらに、移植した樹木が大きく成長できるよう樹木間を広くして植栽しました。  また拡幅に伴い新設した護岸は、白川が熊本城下の外堀であった歴史を踏まえて、熊本産の石材を使用して整備を行ないました。この護岸には、水際に下りられるよう石の階段を各所に設け、川面に沿って散策が楽しめる遊歩道を整備しています。

(今回の舞台)

(2018年3月25日)

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