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立岡ため池の春(加藤清正公が熊本に遺したもの)

★「後の世のため」を口ぐせとしていた加藤清正公。「熊本城」の築城、全県下に亘る治水・利水工事、有明海の干拓、街道づくりなど、没後400年以上を経た現在も、県内各地で「清正公の遺産」を目にすることが出来る。「せいしょこさん」は肥後熊本の大恩人である。

【立岡自然公園の桜と加藤清正公】  春爛漫。熊本県内でも桜が満開を迎えている。県内には、熊本城、水前寺成趣園、健軍自衛隊通り、田原坂公園(以上 熊本市)、人吉城跡(人吉市)、湯の児チェリーライン(水俣市)、蛇ヶ谷公園(玉名市)、菊池公園(菊池市)、市房ダム湖(水上村)、一心行の大桜(南阿蘇村)、高森峠の千本桜(高森町)など数多くの桜の名所があるが、宇城市にある「立岡自然公園」も代表的な桜の名所のひとつである。  立岡自然公園は、花園池と立岡池を中心とした自然公園で、スポーツセンターや総合グラウンド、ジョギングコース、雁回山遊歩道などが整備されている。2つの池はバス釣りのスポットとしても有名であり、また、毎年春には約2,000本の桜が咲き誇り、多くの花見客で賑わいを見せる。

 立岡自然公園の桜/お花見特集2018(乗換案内のジョルダン)↓ https://sp.jorudan.co.jp/hanami/spot_643.html

 立岡自然公園の桜/全国お花見1000景2018(ウォーカープラス)↓ https://hanami.walkerplus.com/detail/ar1043e26366/

 立岡池(130,336m²)と花園池(91,438m²)、この2つの池はいずれも農業用ため池で、江戸時代に築造されたものである。そして、「立岡ため池」は慶長16(1611)年に加藤清正公によって築造された(花園ため池は幕末の安政2(1855)年に造られた)と伝えられている。  立岡ため池について、『加藤清正の川づくり・まちづくり』(平成7年11月30日発行、建設省熊本工事事務所)は、次のように説明している。  「溜め池は周囲1里9町、深さ8尺、水溜めが5町6畝に及ぶ大池で、清正が築いた溜め池の中では最大級の規模である。(中略)立岡溜池に対する意気込みは、造成に当たって多くの家臣を引き連れ、抜き身の槍を持って陣頭指揮をしたと伝えられていることでも察せられる。また、清正は池のそばの小さな山に指揮所を設け、自ら工事に関する帳簿を付けたので、その山を帳塚山と呼ぶようになったともいわれる。  清正は溜め池の貯水量を最大に保つよう種々の工夫を施した。導水路へ急に水が吐き出して井樋口を破壊しないよう溜め池の中に土置き場を設けたり、今でいう砂防ダムの役割を果たす殻堤を築いたりしたことなどである。また、清正は池の底には巨大な岩をおいて「この岩が泥に埋まるときは必ず用水が不足するだろう」と語ったともいわれる。事実、岩が埋まるままに竣諜を怠ったところ、果たして清正の言葉どおりになったそうである。  導水路は深さ3間、底幅3尺。宇土市境目から松山村へと丘陵を掘り抜き、道路が横断するところは方形に切り石をもって暗渠を造り用水路とした。なお、丘陵を掘り抜く場合には白川水系の馬場楠堰で用いた「鼻ぐり井手」の方法が取られたという。鼻ぐりは水路に立ちはだかる岸壁に互いに食い違った位置に穴を聞けて水を通すやり方で、このため水が壁にぶつかって、渦巻き、土砂はその渦に巻き込まれて流れていくので、溝に溜まらないという仕掛けであった。  立岡溜池は宇土市の境目・松山・下松山・立岡・善導寺・古保里地域に水を供給し、その灌漑面積は212町に達したといわれている。」  ここにも、肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公の遺産が遺されていた。立岡ため池は、宇土地域の生産(農業)インフラとして、また、市民(県民)の憩いの場として、今も郷土に恩恵をもたらしてくれている。

(立岡自然公園)

(立岡池と桜:2018年3月25日)

(立岡池畔の桜:2018年3月25日)

(立岡池畔の賑わい:2018年3月25日)

【加藤清正公が肥後熊本に遺したもの】  このブログ『熊本国土学』では、県内各地を巡りながら、肥後熊本の自然条件やインフラの整備状況について、また、先人たちの郷土への働きかけの歴史とその成果などについて、さまざまな視点からこれを取りまとめてきているが、肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公にまつわる話題(テーマ)が如何に多かったことか。  勇猛な戦国武将として全国に名を馳せている加藤清正公は、ここ熊本に於ては、肥後熊本のシンボル「熊本城」の築城、菊池川・白川・緑川・球磨川など全県下に亘る治水・利水工事、有明海の干拓、豊後街道をはじめとする道づくり、さらには産業の奨励保護や学問の奨励・文化の開拓に至るまで、今日の熊本の礎をつくった(偉業をなした)大恩人として称えられ、「せいしょこ(清正公)さん」という愛称で呼ばれている。

 「肥後と加藤清正」(熊本県観光サイトなごみ紀行)↓ http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=018&pre_page=1

 「セイショコ(清正公)さんの魅力」(熊本県観光サイトなごみ紀行)↓ http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=119&pre_page=6

 清正公の口ぐせは「後の世のため」であったと伝えられているが、没後400年以上を経た「後の世」である現在も、県内のさまざまな場所で「清正公の遺産」を目にすることが出来る。そして、熊本城内に鎮座する「加藤神社」をはじめ、県内には清正公をお祀りする神社が沢山あり、今も多くの人々から崇拝を受けている。

 清正公が築造した熊本のシンボル「熊本城」も、清正公を祀る「浄池廟」があることで知られる「本妙寺」も、平成28年熊本地震で甚大な被害を受け、いまだ修復途上にある。 熊本地震から概ね2年が経った今春、熊本城・行幸坂の花見開放(2018年3月24・25・31日、4月1日)には全国から多くの観光客が訪れ、昨夜(2018年3月31日)2年ぶりに開催された「桜灯籠」では、本妙寺(さん)が多くの参拝客で賑わいを見せた。

 熊本城公式ホームページ↓ http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/

 加藤神社公式ホームページ↓ http://www.kato-jinja.or.jp/

 本妙寺公式ホームページ↓ http://www.honmyouji.jp/

<白川>

<緑川>

<菊池川>

<球磨川>

<豊後街道>

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(迎春準備を整えた熊本城:2015年12月末)

(熊本城・行幸坂の桜:2018年3月25日)

(復旧工事が進む熊本城大天守と桜:2018年3月25日)

(2年ぶりに開催された「本妙寺 桜灯籠」:2018年3月31日)

(2年ぶりに開催された「本妙寺 桜灯籠」:2018年3月31日)

(今回の舞台)

(2018年4月1日)

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