ありがとうございました。
- moritayasuo
- 23 時間前
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更新日:4 分前
★月日が経つのは早いもので、着任して早1年になります。このたび7月1日付けをもって九州地方整備局長を退任することになりました。この間、職員の皆さんには、それぞれの職場において職務に精励していただき、組織のミッションである「地域の安全・安心の確保」、「インフラの整備・管理」、そして「建設業の働き方改革・生産性向上」のために尽力していただきました。あらためて感謝を申し上げたいと思います。
1点目の「地域の安全・安心の確保」という面では、近年、全国的に自然災害が激甚化・頻発化するなかで、また、平成28年熊本地震を担当事務所長として経験した私にとって、この1年間、(熊本地震を超えるような)大規模な自然災害に見舞われることなく過ごすことができたことは、大変ありがたいことでありました。
とは言っても、気候変動により水災害は激甚化・頻発化しています。昨年8月29日には、非常に強い台風(中心気圧935hPa)に発達した台風10号が、鹿児島県薩摩川内市付近に上陸し、熊本県、大分県と九州を横断しました。鹿児島県に「暴風・波浪・高潮」の特別警報が発表されるとともに、通過速度が 10km/h と非常にゆっくりとした速度であったため、九州各地で大雨・強風等による被害が生じました。
また、8月8日に発生した日向灘を震源とする地震では、初の南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されましたが、南海トラフ地震が発生した場合、宮崎県や大分県、鹿児島県を中心に、甚大な被害が想定されるということを改めて認識させられたところです。まさに、防災・減災、国土強靱化の推進は待ったなしの状況にあります。
2点目の「インフラの整備・管理」に関しては、整備局長就任後、(全46事務所を含む)管内各地を訪問させていただくなかで、四半世紀前に道路計画第一課長として九州各地を訪問した時と比べて、交通インフラが格段に進化したことを実感することになりました。東九州自動車道は北九州市から日南市までが1本でつながり、南九州道西回り自動車、西九州自動車道等の整備も進んでいます。九州新幹線も整備され、移動時間は大きく短縮されました。今年の3月には、九州及びアジアの玄関口として社会経済活動の中心的役割を果たしている福岡空港の増設滑走路も供用しました。毎年のように発生している災害経験を踏まえながら、河川やダム、砂防などの防災インフラの整備も着実に進んでいます。
しかし、九州管内のインフラ整備は未だ道半ばです。この1年の間に私は、管内の知事や市町村長、地元経済団体、道守や女性の会、河川協力団体など、幅広い方々からインフラ整備に関する数え切れないほどの要望をいただきました。また、管内各地で開催される式典や大会にも毎週のように参加させていただきましたが、そのたびに、「国土(郷土)に対して働きかけを続け、現世代だけでなく将来世代に対しても、より良いインフラを引き継いでいかなければならない」との思いを深めていきました。
3点目の「建設業の働き方改革・生産性向上」については、建設業はインフラ整備の主役(私たち発注者のパートナー)であり、災害時にはいち早く駆け付け道路啓開や応急復旧を行ってくれる地域の守り手であるとの確信のもと、関係の皆さまと連携しながら「中長期的な担い手の確保・育成」に向けて取り組んでまいりました。
1年間という短い期間でありましたが、多くの皆さまに支えていただいたお陰で、与えられた職務を全うすることができました。誠に感謝の念に堪えません。
そしてこれは私事になりますが、このたび(九州地方整備局長を最後に)37年余りの公務員生活を終えることになりました。
昭和63年4月に建設省(当時)に入省してから、これまでの間、九州には長崎工事事務所調査第二課(平成6年10月~平成9年3月)、道路部道路計画第一課(平成9年4月~平成11年6月)、熊本河川国道事務所(平成27年12月~平成30年6月)、そして今回(令和6年7月~令和7年6月)と計4度(8年余り)勤務させていただきました。いつも温かく迎えていただきましたし、時には厳しい局面もありましたが、とても充実した日々を過ごさせていただきました。
とりわけ、熊本河川国道事務所勤務の際は、事務所長として、平成28年4月に発生した熊本地震からの復旧・復興(具体的には、発災直後の初動対応から、権限代行で実施した俵山トンネルルートの暫定開通、国道57号大規模斜面崩落現場の無人化施工による砂防工事、国道57号北側復旧道路や国道325号新阿蘇大橋の工事を軌道にのせるまでのプロセス)に携わらせていただきました。その後の関係の皆さまの尽力のおかげで、これらのプロジェクトは「発災後5年以内」に全て完成し、地域の発展に大きな足跡を残すことができたのではないかと考えています。
そして、公務員人生の締めくくりとなったこの1年間は、若い頃から九州にご縁をいただいて育ててもらった私にとって、まさに恩返しの時間であり、感謝の日々の積み重ねでありました。第二の故郷である「愛する九州」の為に、皆さんと一緒に楽しく仕事をすることができたことを、そしてこの地で卒業できることを幸せに思います。
長年にわたり、本当にお世話になりました。そして「ありがとうございました」。
(令和7年6月末日 森田康夫)

~栄光の懸け橋~
” 誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出した時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で歩いて来た
悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ…
誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと… "
ゆず 2004.7.22 リリース 作詞・作曲北川悠仁
(大濠公園を散歩しながら、繰り返し何度も聴いた曲♪がこれでした)