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荒尾・玉名地域の神社と秋季例大祭

★秋も深まった10月15日、荒尾・玉名地域の神社(野原八幡宮、伊倉八幡宮、疋野神社)で、秋の例大祭が行なわれた。いずれの神社も、長い年月をかけて、郷土とそこに暮らす人々を育んできたインフラストラクチャーである。

【野原八幡宮と秋季例大祭】  野原八幡宮(荒尾市)は、旧荒尾郷(荒尾、長洲地方)の総氏神(一の宮)であり、平安時代初期の延暦15年(796年)の創建、当初宮内にあったものが、後に野原荘(旧荒尾郷)成立とともに現在地に遷宮されたと伝えられている。主祭神は応神天皇、神功皇后、住吉明神。  本日10月15日の秋の例大祭『のばらさん』(通称)は、あいにくの雨であったが、「風流(ふうりゅう)」と「節頭(せっとう)」という二つの伝統芸能が奉納された。  風流は、赤い狩衣をまとい和紙でできた獅子頭を被った2人の少年が、太鼓を叩きながら大人たちの吹く笛の音に合わせて優雅に舞う楽(奉納)。昔、野原八幡宮の社殿に取り憑く悪魔払いのために奉納されたのが由来であり、歌詞には収穫のよろこびを神に告げる言葉が記されている。現在は、熊本県の重要無形民俗文化財にも指定されている。  節頭は、その年の作物の収穫感謝を告げる農業祭で、神馬にのった稚児が、節頭奉行と馬を引く仲間(ちゅうげん)とともに「ヘーロイ!ハーロイ!」という掛け声を上げながら地域を練り歩き、八幡宮へ神幸する行事。「節頭奉納歌」と収穫を感謝し稲穂の束が奉納される。(節頭は、荒尾市の指定無形民族文化財。)  これらの伝統芸能は、鎌倉時代以降、荘園だった野原八幡宮の周辺が宮方(荘園領主)と武家方(地頭)に分割統治されたことに由来し、風流は宮方の雅な、節頭は武家方の力強さを残した芸能として、現在まで伝わっている。  『のばらさん』は、ひと月早い七五三を祝う地域のお祭りでもある。

 野原八幡宮/まるごとあらお(荒尾市観光協会)↓ http://arao-kankou.jp/sightseeing/history/nobara.html

(野原八幡宮)

(由緒板)

(野原八幡宮の神事)

(節頭奉納)

(節頭奉納)

(風流楽奉納)

(七五三を祝う)

【伊倉八幡宮と秋季例大祭】  伊倉八幡宮(玉名市)は、県道167号線を挟んで南北に「南八幡宮」と「北八幡宮」が向き合って鎮座しているという全国的にも珍しい神社で、創建は和銅2年(709)という古社。社伝には『玉名郡司日置(へき)氏の荘園を宇佐八幡宮が買得し直接経営したことに始まり、中世に行われた下地中分線を境に南方、北方に別れました』『北八幡宮は熊襲鎮静のため南向き、南八幡宮は海外貿易の発展を祈願して有明海を望む西向きにしたと伝えられています』とある。ちなみに、玉名市伊倉は17世紀の初め頃、海外貿易の拠点港として栄えた。  10月15日の秋の例大祭では、「ねり嫁行列」と「馬追節頭」という二つの伝統芸能が奉納される(残念ながら、今年はあいにくの雨のため、奉納行事は簡素化された)。  ねり嫁行列は、美しく着飾った女性が烏帽子、天冠、狩衣の稚児を伴って町をねり歩き、社参するもの。もともとは、この地域で作物が荒らされることを防ぐため、美しい未婚の女性を人身御供として神前に捧げていたが、ある年、この怪物が退治され、幸せに過ごせるようになったので、これに感謝して始まったのが由来とされている。  馬追節頭は、その年の祭を担当する節頭家の親子を乗せた馬が伊倉の町中を巡り、最後に境内の石段を一気に駆け上がれるか否かで、その年の五穀豊穣を占う神事(節頭馬奉納)。  この伊倉地域でも、宮方の優雅な「ねり嫁行列」と、武家方の勇壮な「馬追節頭」の二つの伝統芸能が、現在まで伝わっている。

 伊倉南北両八幡宮(玉名市ホームページ)↓ http://www.city.tamana.lg.jp/q/aview/405/2056.html

 伊倉八幡例大祭(玉名市ホームページ)↓ http://www.city.tamana.lg.jp/q/aview/475/1617.html

 歴史と史跡の伊倉(ふるさと寺小屋/熊本県観光サイト・なごみ紀行)↓ http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=122&pre_page=7

(例大祭の風景)

(北八幡宮と南八幡宮)

【疋野神社と秋季例大祭】  疋野神社(玉名市)の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って官社に預からしむ」と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社「国史現在社」であり、また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも記載されている、いわゆる「式内社」でもある。(※熊本県内の式内社は、阿蘇三社(阿蘇神社(健磐竜命神社、阿蘇比咩神社)、国造神社)と疋野神社のみ)  奈良・平安時代、玉名地方の豪族日置氏の氏神神社として栄えたが、中世には廃絶。江戸時代になって細川氏によって再興された。

 疋野神社(公式ホームページ)↓ http://www.hikino-jinja.jp/

(疋野神社)

(今回の舞台)

(2017年10月15日)

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