西尾(西三河南部)と鉄道<三河国土学⑩>
★沿線自治体・名鉄・市民応援組織等の連携によって、「にしがま線(西蒲線)」が地域住民の通学・通勤の足として、また地域の経済活動の基盤として存続してくれることを願ってやみません。 「にしがま線」とともに 2023年9月9日(土)10時57分、西尾市制70周年を記念して、名鉄の...
昭和東南海地震の記憶<愛知の歴史災害⑤>
★終戦前後の厳しい時代、日本人は大規模自然災害とも闘わなければなりませんでしたが、先人たちはこうした苦難を乗り越えて戦災復興を果たし、さらに高度成長を成し遂げました。 大規模空襲/戦災復興と大規模自然災害との闘い 太平洋戦争末期、わが国(国民)は米軍による空からの爆撃(無差...
祝・阿蘇神社楼門復旧完成!
熊本地震の復旧事業で深く関わることになった阿蘇地域。阿蘇神社の楼門保存修理工事完成と竣功祭開催の便りは、私の心を豊かにしてくれるものとなりました。 楼門保存修理工事「竣功祭」 令和5年12月7日、平成28年熊本地震で甚大な被害を受けた肥後一之宮・阿蘇神社の楼門(国指定重要文...
枝下用水と社会科副読本『豊田』<三河国土学⑨>
★豊田市の小学4年生は、枝下用水(近代における挙母地域の農業基盤整備)またはトヨタ自動車(現代における工業都市・豊田市の発展)のいずれか一つをテーマとして取り上げ、郷土学習を実践しています。 インフラ整備の重要性を学ぶ/小学4年生の郷土学習「地域の発展に尽くした先人」...
明治用水と日本のデンマーク<三河国土学⑧>
★内村鑑三が活躍した時代(晩年)、愛知県碧海郡一帯(安城市周辺)は、明治用水の整備を切っ掛けとして、わが国を代表する先進的農業実践地域「日本デンマーク」と呼ばれていました。 内村鑑三と『後世への最大遺物』 内村鑑三(1861-1930年)は、札幌農学校(現在の北海道大学)時...
峠の国盗り綱引き合戦<三遠南信連携①>
★青崩峠道路の開通による三遠南信地域の連携・交流の促進が期待されますが、貴重な地域資源として「峠の綱引き合戦」も末永く開催していただきたいと思います。 「峠」の物語~プロローグ~ かつて「峠」は国境(くにざかい)であり、その先は異郷の地でした。峠の向こうに、何があるのか、ど...
安政東海・南海地震の記憶<愛知の歴史災害④>
★愛知県内とりわけ渥美半島の太平洋岸には、『稲むらの火』の切っ掛けとなった安政東海地震・安政南海地震に関する史跡が遺されています。 『稲むらの火』と濱口梧陵 <村の高台に住む庄屋の五兵衛は、長くゆったりとした地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に...
濃尾地震の記憶<愛知の歴史災害③>
★愛知県内には、近代日本が遭遇した初めての巨大地震「濃尾地震」の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれている場所が沢山あります。 熊本地震を経験して 平成28年4月14日21時26分、熊本地方を震央とするマグニチュード(Mj)6.5の地震が発生(前震...
三河地方に残る鎌倉街道の面影<三河国土学⑦>
★東部(豊橋市域)や西部(安城・知立・豊田・刈谷)など、三河国内には、鎌倉街道にまつわる史跡や街道の面影が残されている区間がいくつかあります。 鎌倉街道とは? 過去のブログ(全3回)にて、近世(江戸時代)の東海道と三河地方にあった七つの宿場町(二川、吉田、御油、赤坂、藤川、...
宝永地震の記憶<愛知の歴史災害②>
★渥美半島の太平洋岸では、かつて海岸近くの伊勢街道沿いに栄えていた寺院や神社、集落の多くが、宝永地震津波を教訓にして、高台(海食崖の上)に移転しています。 切迫性が高い状態にある「南海トラフ地震」 南海トラフ地震は、駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界(フィリピン海プレ...