人吉球磨は、ひな祭り(くま川鉄道で巡る相良氏700年の歴史)
★人吉球磨地方に春の訪れを告げる観光キャンペーン『人吉球磨は、ひなまつり』。多くの観光客が『日本でもっとも豊かな隠れ里』人吉球磨を訪ねてまわる。そして、これを支えているのが、地域の基幹交通インフラ『くま川鉄道・湯前線』である。
【人吉球磨は、ひな祭り2017】 人吉球磨地方に春の訪れを告げる観光キャンペーン『人吉球磨は、ひなまつり』が、今年も2月1日~3月20日までの期間、人吉球磨地域一帯で開催されている。人吉球磨広域行政組合(10市町村)や観光関係団体などでつくる「ひとよし・くま旬夏秋冬キャンペーン実行委員会」の主催で、今年で20回目。 人吉球磨地域には、国宝・青井阿蘇神社など相良家700年の歴史を物語る数多くの文化財が点在するだけでなく、日本三急流の一つ「球磨川」を木舟で下る「球磨川下り」、球磨焼酎、球磨神楽、ウンスンカルタ、人吉温泉など、観光資源が豊富。 期間中は、100カ所以上の観光施設などでひな人形が飾られ、街中が雛飾り一色になる。
(「交流館石倉」の雛飾り:多良木町)
(鍛冶屋町の雛飾り:人吉市)
【日本遺産・人吉球磨『日本でもっとも豊かな隠れ里』】 人吉球磨地域は、文化庁が2015(平成27)年度に創設した認定制度「日本遺産」の熊本県第1号として、全国17地域とともに選定されている。 「日本遺産」は、地域の歴史的魅力や特色を通じて、日本の文化・伝統を語るストーリーを各地で認定するもので、人吉球磨のストーリーの軸となるものが、相良氏による700年という長きにわたる統治の歴史と、それによって育まれた有形・無形の文化財群。しかも、その文化財群が、人吉球磨の現在の暮らしのなかに脈々と受け継がれ、この地域の日常の風景として溶け込んでいるのが特徴。 司馬遼太郎は、著書『街道をゆく』で、人吉球磨地域のことを「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。 日本遺産・人吉球磨の認定ストーリーは3つあるが(相良700年、仏教美術、暮らしと文化)、第一のストーリー「相良700年」は以下の通り。 「人吉球磨の日本遺産ストーリーの主役である相良氏。その相良氏の700年にわたる統治は、鎌倉幕府の命令で、遠江国相良荘(現在の静岡県)から人吉球磨地域に派遣されてきたことからはじまります。 当時の人吉球磨地域は、その土地土地の豪族がそれぞれの地を治めていました。相良氏は、領地を広げながら、旧来の豪族を滅ぼしていきましたが、ここで相良氏がとった行動は民衆の心をつかむある秘策でした。新しい領主は、それまでの豪族の統治下におけるすべての文化を壊し尽くし、ゼロから出発することが多かったなか、相良氏はその土地に根付く文化、建造物、心のよりどころとなるものを認め、寛容に受け入れてきました。民衆の心に取り入るという思惑があったにせよ、結果的に相良氏統治以前の文化財が、今の世に受け継がれてきたことにつながっているわけです。 相良氏が700年の長いあいだ、同じ領地で存続することができた理由は、日本史の転換期といわれる時期に、首尾良く情勢を分析し、そのときに最良の判断をした家臣たちの姿があります。時代を読むちから、動向を分析できる能力をもった人たちの存在、そして相良氏のもつ寛容さ。統治がうまくいけば、藩の財政も良くなり、当然のことながら、民衆は領主に心を寄せるようになります。相良700年の年月には、領主と民衆が心をひとつにして、地域の文化を守り、そして新しいものを取り入れて、独自の文化として昇華してきた歴史が刻まれています。」(日本遺産・人吉球磨公式サイトより)
日本遺産・人吉球磨(公式サイト)↓ http://hitoyoshi-kuma-heritage.jp/
(国宝「青井阿蘇神社」:人吉市)
(球磨川の流れと「人吉城跡」遠景:人吉市)
(相良氏の居城「人吉城跡」御下門:人吉市)
(相良氏の第一の菩提寺「願成寺」:人吉市)
(多良木地域の鎮守「王宮神社」:多良木町)
(「青蓮寺阿弥陀堂」:多良木町)
(「城泉寺阿弥陀堂」:湯前町)
【人吉球磨地域の観光・通学を支える「くま川鉄道・湯前線」】 こうした人吉球磨地域の歴史・文化や観光を支えているのが、地域の基幹交通インフラである「くま川鉄道・湯前線」。 湯前線は、九州を縦貫する大動脈である現在の肥薩線(当初は鹿児島線と呼称。八代~人吉間の開通は明治41年6月、全線開通は明治42年11月)から、人吉駅を分岐駅として湯前駅まで延伸した24.9キロの線区で、大正13(1924)年3月30日に開通した。(明治から大正にかけては全国的な鉄道建設ブームの時代で、当時は、人吉から九州山脈を越え、宮崎県とを結ぶ鉄道路線として計画されていた。) 開通当時、湯前線は九州山脈の山々に囲まれた球磨盆地の木材を運ぶ、木材輸送を中心とした鉄道であり、最盛期には、木材を積載した貨車をつないだ貨物列車が毎日運転されていた。また、SLも運行されていたが、いずれも昭和50年代に廃止され、その後は沿線の高校に通う高校生の通学の足としてディーゼル列車の運行が続けられてきた。 そして現在、第三セクター「くま川鉄道・湯前線」は、人吉球磨の観光を支える基幹インフラとして、また高校生や運転免許を持たない交通弱者の大事な足として、大いに活躍中である。
くま川鉄道株式会社↓ http://www.kumagawa-rail.com/
(くま川鉄道「湯前駅」:開業時(大正13年)の駅舎が残る)
(観光列車「田園シンフォニー」)
(ONE PIECE復興支援列車 2016.10.29~2017.2.26)
(ONE PIECE復興支援列車の車内)
(くま川鉄道「おかどめ幸福駅」)
(今回の舞台)
(2017年3月4日)