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緑川上流右岸丘陵地に鎮座する肥後南方の守護神・肥後国二の宮「甲佐神社」

★鎌倉時代の武将・竹崎季長が 『蒙古襲来絵詞』を奉納したことでも有名  甲佐神社は、熊本県上益城郡甲佐町の緑川上流右岸丘陵地に鎮座する肥後国の二の宮で、阿蘇神社(阿蘇市)、郡浦神社(こうのうらじんじゃ、宇城市)、健軍神社(けんぐんじんじゃ、熊本市東区)と共に「阿蘇四社」と称せられ、肥後南方の守護神として信仰されている。  阿蘇大神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子、八井耳玉命(やいみみたまのみこと、甲佐明神)を主祭神とし、健磐龍命、蒲池比咩命(かまちひめのみこと)、神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を配祀する。  甲佐神社は、中学校の社会科(歴史的分野)教科書にも出てくる「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」と関係がある神社で、蒙古襲来絵詞は、元寇で戦功を挙げた鎌倉時代の武将・竹崎季長が甲佐神社に奉納したという歴史をもつ。  竹崎季長とは、下益城郡豊福荘竹崎の生まれの肥後の御家人。元寇(蒙古襲来)の際、見たこともない元軍の武器(火器)や毒矢を恐れず、負傷するほど勇戦したものの、幕府からの恩賞を得ることができなかったことから、これを不満に思った季長は鎌倉まで行って幕府に直訴し、その結果、戦功が認められて、甲佐神社の社領だった海東郡(宇城市小川町東部)の地頭職を獲得することができたというエピソードが残されている。

 甲佐神社の近くには肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公が緑川に造られた「鵜ノ瀬堰」があり、甲佐神社と清正公を繋ぐ伝説が残されていますが、この話は後ほど。

(甲佐神社)

(甲佐神社・御神殿)

(甲佐神社・御神殿)

(緑川上流の流れ:「鵜の瀬堰」付近)

(今回の舞台)

(2016年4月3日)

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