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甲佐町の開発の歴史(緑川とともに)

★鵜の瀬堰、大井手川用水、やな場(お簗)、アウトドア・スポット(自然公園・運動公園)など、「甲佐町」は、町を南北に貫流する「緑川」と共に歩み、発展してきた歴史を持つ。

【甲佐町と緑川】 熊本県のほぼ中央、上益城郡の南西部に位置する「甲佐町」は、町を南北に貫流する「緑川」と共に歩んできた歴史を持つ自然豊かな町で、緑豊かな山々、清らかな川の流れ、肥沃な大地など自然の恵みを十分に受け、農業を中心に文教の町としても発展してきた。  「甲佐」という名称は、町の中心部から緑川に沿って上流約2.5km程の地に鎮座する「甲佐神社」(肥後国二の宮、阿蘇四社の一つ)に由来し、古代、神功皇后が三韓の役から凱旋したのち、着用の甲冑を献納された(又は、神功皇后三韓出兵に際し、天から金甲が授けられ皇后を助けた)ことによるとの伝承がある。

 甲佐町の概要(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/54/12.html

 甲佐神社/神社探訪(狛犬見聞録)↓ http://www.komainu.org/kumamoto/kamimasuki_kousa/kousa/kousa.html

(緑川の流れ:安津橋から下流を望む)

(甲佐神社)

【加藤清正公の偉業:鵜の瀬堰と大井手川用水】  甲佐盆地は、近世に入って、肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公が緑川の治水・利水工事を行なうことによって本格的に開発された。『新〈トピックスで読む〉熊本の歴史』(弦書房 (2007/7/15))には、その概要が次のように紹介されている。  「甲佐盆地は、往古緑川と佐俣川が併走して流れており、大雨が降るごとに荒れ川となる氾濫原であり、旱天が続く時期には取水が困難となり、水田農業はきわめて不安定であった所である。  清正は肥後入国以来、領内の水利・水防に力を入れ、土地の開発に重点をおいた。清正は、慶長12年(1607)、緑川の鵜の瀬(甲佐町)に堰をつくり、その下流日和瀬に新川を掘削して佐俣川と合流させ、盆地の西側に流路を変更させ、平地側には氾濫防止のため堤防を築いている。同時に、鵜の瀬堰から導水した大井手用水(甲佐用水)は、簗場を沈砂地とし、盆地中央部を南から北へ貫流させた。これによって荒涼たる氾濫原は、一転して緑の沃野となり、あいついで計画整備された麻生原堰、糸田堰(ともに甲佐町)と、その井手(用水)による灌漑受益面積は1560ヘクタールに及んでいる。  水田は、砂質土壌と量・質とも豊かな清流に恵まれ、良質の米を産し、酒造業も起こった。大井手用水沿いには近郷近在の人達が集まり市も成立し、活気溢れる町並みが形成されてきた。町を見下す丘には、加藤神社がまつられ、町民たちより神君として尊崇されているのである。」

 甲佐神社から500メートル程下流に位置する「鵜の瀬堰」は、清正公によって1607年着手され、翌年完成したと伝えられる。堰は、1メートル程に切りだした石を、全長660メートル、幅95メートルの範囲で、(水の抵抗を和らげるために)緑川を斜めに横断するように石畳状に敷き詰めて造られており、この堰で得られた潅漑用水は甲佐、竜野、白旗、豊秋の663haの水田を潤し、江戸時代以降現在まで人々の生活を支えている。(「鵜の瀬堰」は、その後の洪水被害により改修が繰り返され、一部は積み直され、一部はコンクリート構造になっているが、左岸側に石畳の一部が確認できる。)  この「鵜の瀬堰」の築造については、清正公にまつわる民話も残されている。

 鵜の瀬堰/土木遺産in九州(九州地域づくり協会)↓ http://dobokuisan.qscpua2.com/search-list/04kumamoto/23unosezeki/

 甲佐町の民話・鵜の瀬ぜき(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/54/5.html

(鵜の瀬堰)

(加藤神社(岩鼻神社):清正公の偉業を後世に伝える。寛永元年(1624)建立。)

(加藤神社から見た甲佐の街並み)

 「大井手川用水」は、緑川中流の「鵜の瀬堰」から取水し、甲佐町の中心街を流れる延長約7kmの農業用水路。江戸時代から現在に至るまで、灌漑用水として甲佐盆地を潤し、また地域住民が生活を送るうえで必要な生活用水や防火用水等としても利用されてきた。一時期(昭和30年代)生活排水の流入などで汚濁が進み、水路沿いの柳並木も姿を消していたが、清流回復の住民活動を受けて、近年は県や町が環境整備事業に乗り出し、「やな場」から水路に沿って「あゆやな公園」を整備、「甲南パーク」と呼ぶ中流域から下流にかけては、柳並木を復活させ、自然石積護岸や植栽スペースを整備、親水テラスも新設された。現在は、町民が安らげる空間、交流できる空間として蘇っている。

 大井手川用水(疏水名鑑)↓ http://midori.inakajin.or.jp/sosui_old/kumamoto/a/656/index.html

 大井手川水路(くまもと緑・景観協働機構)↓ http://kumamoto-midori.com/shokai/keikan/H15/2/002.html

(鵜の瀬堰で分水した大井手川用水が流れる「簗の樋門」)

(大井手川用水:あゆやな公園付近)

(甲佐町の中心部を流れる「大井手川用水」)

(甲佐盆地を潤す「大井手川用水」)

【細川藩政下で:甲佐町やな場(お簗)】  大井手川用水の上流、「鵜の瀬堰」近くには、寛永10年(1633)に細川忠利公の命で設けられた「やな場(お簗)」がある。もとは、大井手用水の調整池(水田用水調節の場)であったものが、その後、代々の藩主が毎年とれたての落ち鮎を楽しみに来遊するようになって、広く知られるようになった。  今年も6月1日から「やな場」はオープン。竹で編んだ簀(す)に落ちてくる鮎を捕る簗(やな)漁を目の前にしながら、甲佐ならではの味覚を楽しむ大勢の人々で賑わいを見せている。

 甲佐町やな場へようこそ!(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/120/430.html

 甲佐町公式画像公開サイト「甲佐町やな場」↓ https://www.flickr.com/photos/126581195@N04/sets/72157645821395037

(甲佐町やな場)

(甲佐町やな場)

【現在は:アウトドア・スポットとして】  甲佐町を流れる緑川(河川敷)には、幾つものアウトドア・スポットが整備されている。通称「乙女河原」とも呼ばれる「津志田河川自然公園」は、夏場には、川遊びやバーベキューを楽しむ人々で賑わいを見せる。また、安津橋下流左岸にある健康広場グラウンド・ゴルフ場「グリーンパル甲佐」も、地域住民の健康増進とスポーツを通した交流の場として、週末を中心に大いに機能している。  そして、更に、安津橋上流左岸の緑川河川敷では、交流拠点施設として総合運動公園(野球場、サッカー場、ソフトボール場、テニスコート、多目的広場、遊歩道)の整備が進められている。当該公園の整備に当たっては、緑川の河川管理者である国土交通省(熊本河川国道事務所)も、高水敷整正、坂路工、護岸工(階段)、管理用通路、緩傾斜護岸を担当する予定であり、甲佐町と一体となって、様々な世代が集う水辺拠点を創造し地域交流の促進を図るとともに、河川利用者の安全性の向上、河川巡視・河川管理の円滑化を図っていく予定である。

 アウトドア志向のグループやファミリーの人気を集めている「津志田河川自然公園」(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/102/425.html

 安津橋健康広場グラウンド・ゴルフ場「グリーンパル甲佐」(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/125/24.html

 安津橋総合運動公園整備事業(甲佐町)↓ http://www.town.kosa.kumamoto.jp/q/aview/221/2030.html

 緑川総合水系環境整備事業(国土交通省熊本河川国道事務所)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/site_files/file/river/sonotanokaigi/siryou3-6kai.pdf

(グリーンパル甲佐)

(今回の舞台)

(2018年6月10日)

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