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出水神社秋季例大祭と細川氏の治世

★加藤清正公の治世だけでなく、細川藩政下で整備された江戸時代のインフラが、現在の熊本県の交通インフラ、防災インフラ、生産インフラの礎となって、県民の安全で快適で豊かな生活を支えている

 今年も10月18日~10月20日の3日間、出水神社(熊本市)で秋季例大祭が開催され、肥後大神楽、献幣祭・能楽式などがとりおこなわれた。  出水神社は、明治11年に細川家旧藩士によって水前寺成趣園内(藩主別邸の跡)に建てられた神社で、肥後細川藩歴代藩主を祀る(当初、細川藤孝公ほか3柱が斎鎮され、後に歴代の藩主10柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀された)。公式ホームページによると、当時の熊本の街は、その前年までの西南の役により焼け野原となっており、200年以上続いた肥後熊本藩主・細川氏の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から創建されたとある。  ここ熊本では、初代肥後熊本藩主・加藤清正公が熊本城を築き、城下町や街道(豊後街道など)を整備し、白川や緑川・菊池川等の主要河川を治め、新田開発や井手(灌漑用水路)・堰の整備によって農業生産性を向上させたと云われている。土木事業に力を注ぎ領内基盤整備の礎を築いた「清正公さん」(せいしょこさん)の人気は、今日の熊本においても非常に高い。  しかし、加藤氏(清正-忠広)による肥後熊本藩の統治は半世紀にも満たないのであり、江戸時代の熊本のインフラ整備は、230年を超えて統治した細川氏の功績によるところも小さくない。細川氏は、人気のあった加藤清正公の統治を尊重し、清正公位牌を行列の先頭に掲げて入国。加藤家家臣や肥後国人を多く召抱えたという。細川氏もまた、領内の基盤整備に力を注いだのである。  私がこの『熊本国土学』で取り上げたインフラストラクチャー(infrastructure)だけをみても(清正公によって最初、手掛けられたものも少なくないが)、  ■街道整備(薩摩街道、豊後街道、豊前街道、日向往還、三池往還)  ■石橋整備(八勢目鑑橋、霊台橋、馬門橋、二俣橋)  ■港湾整備(川尻、高瀬、八代)  ■治水(宝暦萩原堤)  ■農業基盤整備(御船の元禄・嘉永井手、通潤橋、雄亀滝橋、八代干拓、横島干拓、湯の口ため池)  ■ライフライン整備(轟泉水道) 等は江戸時代に(細川藩政下で)整備されたものであり、これらが現在の熊本県の交通インフラ、防災インフラ、生産インフラの礎となって、熊本県民の安全で快適で豊かな生活を支えている。

 出水神社について(水前寺成趣園ホームページ)↓ http://www.suizenji.or.jp/izumi/01.html

 出水神社の歴史(ふるさと寺小屋/熊本県観光サイトなごみ紀行)↓ http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=026&pre_page=2

 細川藩時代(熊本県ホームページ)↓ http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_2125.html

(水前寺成趣園)

(豊後街道・二重峠)

(豊前街道・腹切坂)

(霊台橋)

(川尻の船着場跡(国指定史跡))

(萩原堤防の風景)

(通潤橋)

(湯の口ため池)

(今回の舞台)

(2017年10月20日)

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