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芦北・水俣地方の交通の難所「三太郎峠」を越える

★江戸薩摩街道、明治国道、一般国道3号、南九州西回り自動車道という新旧4本の道路が存在する芦北・水俣地域は、道路の歴史に直接触れることができる、非常に興味深い場所である。

 熊本県南部に位置する「芦北・水俣地方」は、山地が不知火海に迫った地形(リアス式海岸)で、日奈久浦、田浦、海浦、佐敷浦、津奈木浦、水俣浦、袋浦といった良港(漁港)が古くから発達した。  徳富蘆花は、随筆『死の蔭に』(大正6年)において、日奈久から故郷・水俣までの海路の様子を次のように表現している。  「日奈久温泉から余の祖先墳墓の地且は余の誕生地たる水俣までは、南へ十里。陸路は三太郎の峠を越すが、海には小蒸気が通ふて唯二時間餘でつい往かれる。余は日露戦争中鹿児島から歸途、菜の花にしとしと春雨の降る日、薩摩の大口から馬車で峠を越えて水俣に一泊し墓参もしたが、妻も鶴子もまだ一度も其土を踏んだことはないのである。何を措いても往つて見なければならぬ。そこで日奈久に着いた翌日、九月二十九日の午後、埠頭から艀に乗り、沖で小蒸気に移乗し、葦北の海を南に向ふ。 北と東一帯は肥後の本土、西は天草諸島、南は薩摩と其島にぐるり取りかこまれた東西六七里、南北二十餘里、一寸琵琶湖大の此内海は、景行天皇以来大分古い歴史を有つて居て、殊に其南部は古来葦北の海と稱へられ、「葦北の野阪の浦に船出して」など歌にも詠まれて可なり歌枕にもなつて居る。(中略) 日奈久から水俣まで十里の海岸は、所謂三太郎の屏風を延べた様な山つづき。處々或は浅く或は奥深く狭い入江が陸に喰ひ込んで、江の頭には屹度川が流れ込み、川の造つた地面に町または村が沖から隠れて住むで居る。松や雑木の茂る磯山つづきに、砂浜と云ふものは絶えてなく、其かはり盆景に欲しい様な小島や岩が磯近くちらばつて居る。日奈久沖から汽船はずつと陸近く寄つて、磯山松の影ひたす碧潮を分け、此處其處で鱸釣る舟を其餘波に盪かしつつ、田の浦、佐敷、津奈木と寄るたびに汽笛を鳴らして三人五人艀の客を上げ下ろしつつ、南に駛せて早くも水俣に来た。此處は西北に向ふてやや打開け、人家が大分、煙突なども見える。」

 一方、陸路の「薩摩街道」は、豊前街道、豊後街道、日向往還とならび肥後熊本を代表する街道で、江戸時代には薩摩藩・人吉藩の参勤交代の道として重要な役割を果たしたが、日奈久~田浦~佐敷~津奈木~水俣までの道は急峻な地形を克服せねばならず、特に、赤松太郎・佐敷太郎・津奈木太郎のいわゆる三太郎峠は交通の難所であった。  江戸時代の薩摩街道は、現在も約1間(約2m)ほどの細い道筋や切通し、石畳等が残っているが、一部区間(?)は、道なき道を進まなければならない。

薩摩街道 三太郎峠「廃道をゆく2」への道/佐敷太郎峠↓ http://tecroad.web.fc2.com/santarou07.html

 近代(明治時代)に入り、「津奈木隧道(明治34年竣工)」「佐敷隧道(明治36年竣工)」「赤松峠の切通し」の開通によって、かつては荷馬車もほとんど通行できなかった三太郎峠を通る道路は、南北九州を結ぶ大動脈としての役割を担うことになった(明治国道37号)。  『死の蔭に』の中で徳富蘆花は、この明治国道を「国道が改修されて馬車も通ふ程になつたが、津奈木太郎は矢張津奈木太郎である。」、「馬車は長い長い佐敷太郎の阪を上り切つた。上り切ると長い長い隧道がある。隧道の闇に入つた馬車が、轟々轆々駛せて北に隧道を出脱けた途端に、「まあ!」嘆聲が一齊に馬車の中からあげられた。其處には一幅生命の躍る油晝が、不用意の游子を駭かすべく待ち設けて披げられて居たのである。とろりと白く膏を流した葦北の海の向ふには、今沈む夕日を銜んで紫は濃く碧は薄く幾重にも重なり列ぶ凸凹の形面白い天草の島山。それを背景に金色の白帆が三つ四つ晝のままに動いて居る。何と云ふ静かな、而して明麗な景色だらう。薩摩潟を美しと嘆美したが、故郷の海も實に美しい。よくぞ馬車で歸つた、と一同また更に江山夕陽の幻めいた現實にひたと見惚れるのである。」、「途寄りはしたが馬車で十一時間、それでも三太郎を越しは越したのである。」と評している。

 さらに戦後は、屈曲の多い山岳道路である明治国道では、急速に増大した自動車交通に対応することが出来ないため、昭和32年に国直轄事業として根本的な改築に着手。峠部には新たに「津奈木トンネル」「佐敷トンネル」「赤松トンネル」を掘り、昭和40年3月に全線の改築が完了した。新国道3号の開通により、八代~水俣の所要時間は大幅に短縮され、芦北地方の主力産業に成長しつつあった甘夏みかんの出荷や芦北海岸への海水浴客の集客など、芦北地方の産業振興へ大きな役割を果たした。

 そして現在、三太郎峠を越える道路は、「南九州西回り自動車道(南九道)」という新しいフェーズに入っている。南九道は、八代市を起点とし、水俣市、薩摩川内市を経て鹿児島市に至る全長140kmの高規格幹線道路(自動車専用道路)で、熊本県側からは八代JCT~芦北IC間が平成21年4月迄に順次供用を開始、芦北IC~津奈木IC間も今年(平成28年)3月に供用し、県南の沿岸地域の農作物、水産物の効率的な物流、年間200件を超える管外搬送を含む救急医療活動など、様々な場面で暮らしや産業、経済の支えとなっている。また災害時には、九州縦貫自動車道や一般国道3号の代替道路として、地域の安心・安全に大きく貢献している。

 南九州西回り自動車道の概要(八代河川国道事務所HP)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/road/mk_gaiyou/index.html

南九州西回り自動車道(芦北IC~津奈木IC間)の開通効果↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/news/h28/20161031kisha.pdf

このように、芦北・水俣地域では、先人達が険しい地形を克服しながら、各時代の要請に応えて所要の道路ネットワークを整備することで、地域住民の生活の快適性・安全性の向上、そして地域内外の経済発展を支えてきた。現在、地域内には、江戸薩摩街道、明治国道、一般国道3号、南九州西回り自動車道という新旧4本の道路が存在し、それらが現在も幹線道路や生活道路、農林作業道、散策道等として多様な機能を果たしている。芦北・水俣地域は、道路の歴史に直接触れることができる、非常に興味深い場所である。

★三太郎峠を「明治のトンネル(切通し)」で越える★

(津奈木太郎峠「津奈木隧道」)

●津奈木隧道は、明治34年(1901)竣工。延長211.6m、幅員5.5m。国登録有形文化財。

●「馬は九月末の午日に照らされた津奈木太郎の長坂を汗をたらして上つて行く。国道が改修されて馬車も通ふ程になつたが、津奈木太郎は矢張津奈木太郎である。豊太閤の薩摩攻入にも、西郷軍の熊本進出にも、此峠を越したのだ。」(徳富蘆花『死の蔭に』から)

(佐敷太郎峠「佐敷隧道」)

●佐敷太郎峠は、三太郎峠の中でも厳しい難所とされた。佐敷隧道は、明治36年(1903)竣工。延長433.5m、幅員5.5m。国登録有形文化財。

(徳富蘆花『死の蔭に』登場場所)

●「佐敷の馬車は立場を出るとやがて佐敷太郎の長坂にかかつた。下へ下へ沈んで行く佐敷の町を下に見て、馬車は上へ上へと電光形の長坂を上つて行く。此佐敷太郎は三太郎の中間には居るが、長いことは第一の兄である。(中略)馬車は長い長い佐敷太郎の阪を上り切つた。上り切ると長い長い隧道がある。隧道の闇に入つた馬車が、轟々轆々駛せて北に隧道を出脱けた途端に、「まあ!」嘆聲が一齊に馬車の中からあげられた。其處には一幅生命の躍る油晝が、不用意の游子を駭かすべく待ち設けて披げられて居たのである。とろりと白く膏を流した葦北の海の向ふには、今沈む夕日を銜んで紫は濃く碧は薄く幾重にも重なり列ぶ凸凹の形面白い天草の島山。それを背景に金色の白帆が三つ四つ晝のままに動いて居る。何と云ふ静かな、而して明麗な景色だらう。薩摩潟を美しと嘆美したが、故郷の海も實に美しい。よくぞ馬車で歸つた、と一同また更に江山夕陽の幻めいた現實にひたと見惚れるのである。」(徳富蘆花『死の蔭に』から)

(赤松太郎峠(切通し)

●「田浦の黄昏から馬車は程なく身を挺いで可なり長い山阪にかかる。漸く上りつめて峠に馬の脚を立てた時は、此處にも最早ほの蒼い黄昏が追い縋つた。透し見る木々の落々と峰に岨に立つは皆赤松である。三太郎を南から越せば最後の太郎、赤松太郎は此だ。余も此峠は初めて越すのである。馭者は角燈に灯を入れ、疲れた馬に鞭をあてはじめた。追々下りになつたが、車の一轉毎に暮色も深くなる。黒い立木や拓き残りの白い岩に時々肝を冷やしつつ、飫肥の夜馬車が徐々記憶に浮いて来る。下り路になつてからが中々長い。 「あの火光が日奈久かね?」 「否々、彼は-」 日奈久でない村の名を馭者が云ふこと二度三度。疲れ切つて眼をふさいで居る内、車は平になつて、足下近く波の音が寄せて来る。 「さあ、もうは日奈久」 火光は見えて向ふへ逃げするかと思はるる日奈久の、電燈はつきながら薄ら淋しい町にやつと入り込み、柳屋の前に馬車が止つた時は、八時を過ぎて居た。 汽船で二時間、途寄りはしたが馬車で十一時間、それでも三太郎を越しは越したのである。」

(徳富蘆花『死の蔭に』から)

★★三太郎峠を「昭和のトンネル」で越える★★

(国道3号「津奈木トンネル」)

(国道3号「佐敷トンネル」)

(国道3号「赤松トンネル」)

★★★三太郎峠を「平成のトンネル」で越える★★★

(南九州西回り自動車道「新赤松トンネル」)

(南九州西回り自動車道「新佐敷トンネル」)

(南九州西回り自動車道「新津奈木トンネル」)

(今回の舞台)

(2016年12月17日)

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