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宮田用水と木津用水<尾張国土学⑨>

★400年、あるいは1000年もの長い歴史を有する「宮田用水と木津用水」。愛知県を代表する農業インフラは、尾張地方北部~西部の広大な農地を潤し、人々の生活を支え続けてきました。

 

濃尾平野を潤す「濃尾用水」

 「濃尾用水」は、木曽川にある犬山頭首工から取水し、濃尾平野を潤す農業用水の総称のことで、構成している3つの用水(宮田用水、木津用水、羽島用水)の幹線水路総延長は約45km、これに付随する用水網を合わせると約260kmにも及ぶ農業インフラが整備・管理されています。

 

 濃尾用水/木曽川水系/愛知県内の大規模農業水利事業|愛知県

 

 このうち、木曽川左岸(愛知県側)に整備されている「宮田用水」と「木津用水」の起源は近世以前に遡り、前回のブログ(木曽川の流れと御囲堤<尾張国土学⑧)でも紹介しましたが、徳川家康の命による「御囲堤」の整備を切っ掛けとして、尾張藩が直営で木曽川に杁(取水口・樋門)を整備したことに始まります。

 


 


犬山頭首工(犬山市犬山)


犬山頭首工と木曽川の流れ(犬山城天守閣からの眺め)


木曽川左岸幹線分水ゲート(犬山市大字西岩神)

※向かって左が宮田用水(導水路)、右が木津用水。

 

宮田用水とその起源

 宮田用水は、近世以前に整備された大江用水、般若用水(新般若用水)、奥村用水、および御囲堤によって締め切られた派川河道をネットワーク化した用水路網のことで、現在では、犬山頭首工から宮田町に至る「宮田導水路」も含め、愛知県を代表する農業インフラとして、尾張地方北部~西部の広大な農地を潤しています。

 御囲堤と同時(1608年)に設置された取水口(樋門)は大野杁(大江用水に接続)と般若杁(般若用水に接続)の2箇所でしたが、当時の木曽川は河道の変動が激しく(澪筋が絶えず変わり)、両杁ともその後取水不能になってしまいました。このため、現在の宮田用水の原型となる水利ネットワークが形成されるまでには、宮田杁・宮田東杁の新設(1628年・1642年)や新般若用水の開削(1790年)、奥村用水の完成(1790年)など、多大な労力と長い時間を要することになりました。

 なお、一宮市や稲沢市を含む地域を流れる大江用水の歴史はとても古く、記録上では1001年に尾張国司であった大江匡衡が本用水の最下流部を整備したことに由来するとも伝えられています。

 

 尾張平野の最大資産~宮田用水通水400年|水土の礎((一社)農業農村整備情報総合センター)

 

 宮田用水|国土交通省木曽川下流河川事務所


宮田導水路(江南市小脇町・宮田町)

※全ての区間が暗渠化(地中化)されており、蘇南公園を含む江南市域では、導水路上部は遊歩道として再整備されている。


大江用水に分水する宮田西閘門(江南市宮田町)


宮田用水水神社(江南市宮田町)

 



般若用水元杁跡(扶桑町小渕)

※現在の場所(扶桑緑地公園内)は1634年(寛永11年)以後のもので、それ以前は約70メートル下流にあった。


大野杁跡の記念碑(一宮市浅井町大野)


大江川緑道(一宮市桜・羽衣)

 

木津用水とその起源

 宮田用水(大江用水や般若用水)が整備されたことで、平野部(一宮市や稲沢市を含む地域)の農業用水の確保には一定のメドは立ちましたが、その上流側に位置する(標高の高い)犬山の扇状地を潤すためには、巨大なため池を造るより方法はありませんでした。

 この時に築造されたのが「入鹿池」で、江崎善左衛門らの通称「入鹿六人衆」(※)が尾張藩の許可を得て工事に着手、1633年に完成しています。【入鹿池の築造は、次回ブログで紹介します】

 木津用水は、この入鹿池の築造と入鹿用水の整備にもかかわらず、水不足に悩まされた用水末端(西側の地域)の農民のために入鹿六人衆が開削した用水路で(1650年完成)、木津村(現・犬山市)で木曽川から取水し、南側に流れ下り、小口村(現・大口町)で合瀬川に合流しています。

 また、さらに高まる新田開発需要に応じるため、春日井原(現・春日井市)の開発のために開削されたのが「新木津用水」で、小口村荒井で分岐して八田川へと合流する約14kmの用水路が1664年(木津用水完成から14年後)に完成しました。

 

※「入鹿六人衆」・・・江崎善左衛門(小牧村)、落合新八郎・鈴木久兵衛(上末村)、鈴木作右衛門(田楽村)、丹羽又兵衛(村中村)及び船橋仁左衛門(外坪村)。

 

 木津用水と入鹿池/濃尾用水拾余話||水土の礎((一社)農業農村整備情報総合センター)

 

 木津用水|国土交通省木曽川下流河川事務所


木津用水と新木津用水の分岐点付近①(大口町上小口)

※柿野橋より上流を望む。向かって正面奥が「木津用水(合瀬川との共有区間)」、右手奥から左手に流れているのが「五条川」。


木津用水と新木津用水の分岐点付近②(大口町上小口)

※柿野橋より下流を望む。向かって左手奥が「新木津用水」、右手奥が「合瀬川」。

 

 400年、あるいは1000年もの長い歴史を有する「宮田用水と木津用水」。愛知県を代表する農業インフラは、尾張地方北部~西部の広大な農地を潤し、人々の生活を支え続けてきたのです。

 


(今回の舞台)

 

 

(2024年04月28日)



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