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河港町「川尻」と河尻神宮・秋季例大祭(港湾都市の発達①)

★河尻神宮が鎮座する川尻地区は、鎌倉時代から緑川や加勢川河口の港町(外港)として栄え、加藤清正公によって再整備された江戸時代以降は熊本藩の物流拠点として、また「御船手」と呼ばれた藩の水軍基地として、さらに薩摩街道の宿場町として繁栄した。

 熊本市南区(川尻地区)に鎮座する河尻神宮は、鎌倉時代、1197年(建久8年)に河尻荘の領主である河尻三郎源実明が、鶴岡八幡大神の御分霊を河尻荘小岩瀬(現在の熊本市南区富合町小岩瀬)に勧請したのが起こりといわれている。鶴岡八幡大神を主祭神とし、天照皇大神、春日大神、住吉大神、阿蘇大神の4柱を配祀するので、古くより若宮五社大明神と称し、河尻荘一円の総氏神として尊崇を受けていた。  室町時代、河尻氏の没落により衰微したが、加藤清正公の尊崇を受け、1587年(天正15年)現在地に遷宮・再興し、続く細川家代々の藩主も同様に篤く崇敬した。  加藤・細川両氏の崇敬が厚く、今でも秋の大祭には流鏑馬・下り馬・獅子舞・傘鉾等が奉納され、大変な賑わいを見せる。  今年の秋季例大祭は10月15日~23日までの5日間で開催。最終日の10月23日には、大祭の呼び物「さがり馬」と祭りのラストを飾る「流鏑馬式」が奉納された。  「さがり馬」では、参道でラッパが吹き鳴らされる中、勢子(せこ)が馬の腹にぴったり寄り添い、たてがみを腕に巻き付け、半ばぶら下がるようにしながら参道に設けられた約150mの馬場を一気に駆け抜け、大勢の観客を沸かせた。  「流鏑馬式」では、天下太平、五穀豊穣、万民安穏を祈願し、騎乗した射手が3つの的をめがけて矢を放ち、吉兆を占った。

河尻神宮が鎮座する川尻地区は、鎌倉時代から緑川や加勢川河口の港町(外港)として栄え、中世には中国との海外貿易も行われていた。加藤清正公によって再整備された江戸時代以降は熊本藩の物流拠点として、また「御船手」と呼ばれた藩の水軍基地として、さらに薩摩街道の宿場町として繁栄した。 現在も残っている幕末時代の御蔵と石造りの船着場の跡は、「熊本藩川尻米蔵跡」として国の史跡名勝天然記念物に指定されている。

川尻の歴史(くまもと工芸会館の案内より)↓ http://www.zuiyo.co.jp/KAWASHIRI/REKISI.html

(河尻神宮 秋季例大祭2016)

(河尻神宮・拝殿)

(さがり馬)

(さがり馬)

(流鏑馬式)

(川尻の船着場跡(国指定史跡))

(川尻の船着場跡(国指定史跡))

(今回の舞台)

(2016年10月23日)

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