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元寇防塁(私とインフラin福岡⑦)

  • moritayasuo
  • 5月25日
  • 読了時間: 2分

★前回(私とインフラin福岡⑥)は、古代の防衛インフラ「水城」を取り上げましたが、今回は中世の防衛インフラ「元寇防塁」を紹介したいと思います。

 小中学校の歴史教科書で学ぶ「元寇(蒙古襲来)」は、鎌倉時代中期の1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)に、モンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって行われた日本への侵攻のことですが、日本に大きな被害もたらした文永の役の後、次の襲来に備えて、鎌倉幕府が九州の御家人に命じたのが博多湾沿岸の防衛強化を目的とした「元寇防塁(石築地)」と呼ばれる石塁の構築でした。

 博多湾の海岸に沿って延びる総延長20kmの石塁は、高さ約2mと低めながらも強固で、元軍の上陸を阻むに十分な威力を発揮しました。元寇の最前線であった福岡には、博多湾を囲むように今でも数多くの関連史跡が残されています。

 ちなみに、『蒙古襲来合戦絵巻』の中に登場する竹崎季長は、肥後国竹崎郷の御家人です。文永の役で活躍した季長は恩賞の沙汰が無いことに納得がいかず、馬を旅費に替えて鎌倉まで赴き、先駆けの功を訴えて肥後国海東郷の地頭に就任しました。弘安の役でも活躍して多大な恩賞を得た季長は、その恩賞を使って『蒙古襲来合戦絵巻』を描かせ、武功を示すと同時に甲佐大明神(熊本県甲佐町)に奉納して戦死者の供養をしたと伝えられています。

 

 「元寇」世界最強の国 元の襲来を防いだ鎌倉武士たち!|クロスロードふくおか(福岡県観光WEB)

 

 蒙古襲来から日本を守った「元寇防塁」!!|よかなび(福岡市観光情報サイト)

 


元寇防塁(生の松原地区、百道地区、西新地区)

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