木曽三川明治改修とデ・レーケ<尾張国土学⑫>
★木曽三川明治改修をはじめ、オランダ人土木技術者「ヨハネス・デ・レーケ」の功績は枚挙にいとまがありません。郷土学習や河川学習の教材としても、今なお彼は大きな役割を果たしてくれています。
木曽三川明治改修とヨハネス・デ・レーケの功績
前回のブログで紹介した薩摩藩による「宝暦治水」は、木曽三川分流のさきがけといえる大規模な治水工事で、一定の成果をあげましたが、木曽三川下流地域が抱える課題の抜本的な解消には至りませんでした。
明治になり新政府は全国主要河川の治水、港湾の整備を進めるため、当時の水工技術先進国・オランダから数名の土木技術者(いわゆる“お雇い外国人”)を招聘しましたが、その中で木曽三川の改修に深く携わったのがヨハネス・デ・レーケでした。
デ・レーケは1878年(明治11年)に木曽三川流域(犬山から津島まで)の最初の現地調査の結果を「木曽川下流概説書」としてとりまとめました。ここでは、水害の原因を周辺や上流の山地からの流出土砂の堆積であるとし、三川分離の方向性(木曽川は分離、長良川・揖斐川の分流方法は要調査)を示すとともに、上流域の山林の保護や土砂流出の防止(砂防)の必要性を提言しました。
その後、分流工事に先立つ調査や測量と並行して、上流域での砂防工事が始まるとともに、政府の命によりデ・レーケが中心となって進められた改修計画が1886年(明治19年)に作成されています。
改修計画の主な内容は以下の通りですが、尾張国内では、三里の渡し/佐屋路(佐屋廻り交通の物語<尾張国土学⑦>を参照)の航路であった佐屋川がこのタイミングで廃川になっていることも特徴といえます。
<改修計画の主な内容>
〇木曽三川を完全分流する(ケレップ水制の技術を用いた背割堤の築造を含む)。
〇木曽川の派川である佐屋川を廃川にする。
〇立田輪中に木曽川新川を通す。
〇長良川の派川である大槫川・中村川・中須川を締切る。
〇高須輪中に長良川新川を通す。
〇油島洗堰を完全に締切る。
〇船頭平に閘門を設け、木曽川・長良川間で舟の往来を可能にする。
〇木曽川、揖斐川の河口に導流堤を設ける。
1887年(明治20年)から本格的にスタートし、4期に分けて実施された三川分流工事は、1911年(明治44年)に完成。長年望まれてきた三川分流の願いがついに叶えられ、木曽三川はほぼ現在の姿になりました。この工事(明治改修)でつくられた施設は、現在でも重要な働きをしています。
デ・レーケは日本の河川・湾岸事業に大きな功績を残してくれました。オランダ人技師の中でも、30年と最も滞在期間が長かったデ・レイケは、オランダの水工技術を基礎としながらも、日本の国土条件と社会条件を的確に把握し、その特徴にあった河川改修・港湾事業を指導してくれています。今回紹介した木曽三川明治改修をはじめ、淀川改修、大阪築港、四日市築港、細島築港、デ・レイケ工法あるいはオランダ工法と呼ばれた不動川の砂防工など、その功績は枚挙にいとまがありません。
明治改修完成百年特別号|KISSO(国土交通省木曽川下流河川事務所)
ヨハニス・デ・レイケ/木曽三川治水偉人伝|国土交通省木曽川下流河川事務所
ケレップ水制|国土交通省木曽川下流河川事務所
船頭平閘門|国土交通省木曽川下流河川事務所
内務省技術顧問 ヨハネス・デ・レーケ/土地改良偉人伝~水土里を拓いた人びと~ |農林水産省
「治水の恩人 ヨハネス・デ・レーケ」像(愛西市立田町「船頭平河川公園」内)
木曽川と長良川の背割堤(木曽三川公園センター展望台からの眺め)
木曽川と長良川の背割堤(愛西市)
※川幅約700mの木曽川と約500mの長良川の2つの大河川を分流するため設けられた延長約12kmの堤防。
木曽川ケレップ水制群(愛西市)
※川の流れを中央部に導き、堤防近くの流れの勢いを抑える、石と木材でつくられた施設。
船頭平閘門と明治の水門扉(愛西市立田町「船頭平河川公園」内)
※水の高さが違う木曽川と長良川の間を船が行き来できるようにした施設。
郷土学習教材としての「木曽三川分流工事とヨハネス・デ・レーケ」
「地域の発展に尽くした先人が、様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを学ぶ」という郷土学習のプログラムは、戦後の小学校の学習指導要領が、一貫して、児童の発達段階(学習能力)が高まった小学4年生の社会科において義務付けてきたもので、土木・建設分野の仕事の目的(本質)について時間をかけて学ぶことのできる唯一無二の学習単元であると言っても過言ではありません。
デ・レーケによる木曽三川明治改修は、この学習プログラム(郷土学習)に相応しい素材であるようで、愛知県総合教育センター(愛知県が設置する教育に関する研究及び教育関係職員の研修を行う機関)が提案している小学4年生・社会の授業案例(コンテンツ活用例)の中で、この物語(ノンフィクション)が大きく取り扱われています。
地域のはってんにつくした人々(小学校4年社会科)|愛知県総合教育センター
木曽三川を分流した男 ヨハネス・デ・レーケ(小学校4年社会科)|愛知県総合教育センター
偉人の功績を通じて伝える土木―「教科書」の中に記述される「土木」―|月刊「土木技術」Vol.77 (2022.6)
【第2回】小学4年・社会科で学ぶ「水インフラ」「防災」「先人の働き」/教科書で学ぶ「国土とインフラ」2022~23|月刊「建設マネジメント技術」(2022.7)
あらためて、木曽三川はわが国を代表する「河川学習」フィールド
過去のブログ(木曽川の流れと御囲堤<尾張国土学⑧>)でも触れましたが、木曽三川はわが国を代表する「河川学習」フィールドとして、学校教育現場でも大きく取り扱われています。
具体的には、小学5年生の社会科では「自然条件から見て特色ある地域」を学習することになっているのですが、わが国を代表する「低地(河口に近い地域や海沿いの平地)」の事例として取り上げられているのが木曽三川なのです。
東京書籍(令和3年度の全国の出版社別教科書占有率第1位(=約55%))では、木曽三川が合流する低湿地(岐阜県海津市)の「輪中」に住む人々の生活をターゲットにして、河川管理の目的である「治水」、「利水」及び「河川環境」をしっかりと学習する機会が提供されています。また、日本文教出版(同第3位(=約17%))でも、岐阜県海津市の「輪中」に住む人々の生活をターゲットにして、河川の施設や機能(堤防と輪中、治水工事の歴史、土地改良と排水機場による農業構造改善、水防活動、避難訓練、木曽三川公園など)について総合的に学習する機会が提供されています。
ちなみに、東京書籍における記述内容は概ね以下の通りですが、輪中堤のことも、宝暦治水のことも、そしてデ・レーケが指揮した明治改修(三川分流工事)についても、しっかりと教えられることになっています。
【第3回】小学5年・社会科で学ぶ「河川」と「防災インフラ」/教科書で学ぶ「国土とインフラ」2022~23|月刊「建設マネジメント技術」(2022.8)
これまで5回にわたって、近世~近代(江戸・明治時代)の木曽三川の治水・利水事業を紹介してきました。現地に出向き、足が棒になるまで(約9万歩/2日)沿川を取材して歩いた上で、あらためて、木曽三川はわが国を代表する「河川学習」フィールドであることを確信した次第です。
近代治水百年記念碑(三重県桑名市長島町)
※木曽三川の近代大改修百年を記念し「未来につなごうふるさとの川」という願いを込めて1987年(昭和62年)に油島洗堰跡地に建立された。記念碑の手前には、宝暦治水の功労者平田靱負と明治改修に貢献したデ・レーケのレリーフ像が設置されている。
木曽川文庫(愛西市立田町「船頭平河川公園」内)
※河川に関する学習の場として一般開放されている「木曽川文庫」(国土交通省木曽川下流河川事務所)には、デ・レーケのサインが入った木曽三川改修計画図や宝暦治水三之手水行・定式・急破御普請出来形絵図が展示されているほか、木曽三川に関する各分野の図書、研究論文等の収集・保存が図られている。1987年(昭和62年)開館。
(今回の舞台)
(2024年05月19日)