尾張国一宮・二宮・三宮に詣でる<尾張国土学①>
★肥沃な濃尾平野に位置し、東西交通の要地として古くから栄えた「尾張国」は、真清田神社(一宮)、大縣神社(二宮)、熱田神宮(三宮)といった延喜式名神大社の信仰に支えられて発展してきました。
信長・秀吉・家康が活躍した「尾張国」
今回からは「尾張国」の国土とインフラについて学んでいきたいと思います。
尾張国は、戦国時代の三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)ゆかりの地であり、彼らの活躍がこの国を戦国の乱世から天下統一へと導いたことで有名です。尾張の戦国時代は、織田氏の内紛から始まりましたが、尾張統一を成し遂げた信長は、その後、天下布武への道を突き進んでいきます。信長の家来であった秀吉は、尾張を直接統治することこそありませんでしたが、清洲会議や小牧長久手の戦いなど、重要な政治的局面を尾張で迎えています。家康は三河出身で、遠江(浜松)、駿河(静岡)、江戸を拠点としましたが、江戸幕府が軌道に乗った段階で、尾張の中心を清須から名古屋へ移転させ(清洲越し)、名古屋城築城や堀川掘削など、現在の名古屋市の基盤を形作っています。
「尾張国」とは・・・
そもそも、尾張国とは現在の愛知県の西半部を指し、「東海道」の一国、「延喜式」の上国で、8つの郡(海部・中島・葉栗・丹羽・春部・山田・愛智・智多)からなっていました。国府・国分寺は中島郡(現・稲沢市)に置かれ、尾張国造(くにのみやつこ)は皇室と姻戚関係があったと言われています。
尾張国は、肥沃な濃尾平野に位置していたことから、平安時代から中世にかけて皇室や権門寺社の荘園が数多くあり、またわが国のほぼ中央に位置する地理的条件から、東西交通の要地として古くから栄えました。
ちなみに、「記紀」神話の日本武尊の伝説にみえる熱田神宮は古来、大社として聞え、源頼朝の母が大宮司家の娘であったことから、鎌倉時代初期には権勢を誇りました。
尾張国一宮「真清田神社」に詣でる
愛知県一宮市の中心部に鎮座する「真清田神社」は、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命(あめのほあかりのみこと;太陽神・農業神)を祭神としていますが、『真清田神社史』では、“祖先神”である天火明命とあわせて、“奉斎神(土地神)”としての大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神)をも併せ祀っていた可能性が指摘されています。大国主神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)や大国様(だいこくさま)としても慕われる「国造りの神様」です。
また、真清田神社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。一宮とは、神社の社格を示す格式のひとつ、律令各国の中で最も格式の高い神社のことを指しますが、通説では一宮の起源は国司が任国後に巡拝する神社の順番にあるとされています。ここ尾張国では、皇室とゆかり深い熱田神宮(貞観元年から正二位)を別格とすれば、真清田神社は尾張国内で最も神階が高く、その所在地が尾張国府と同じ中島郡にあったことから、陸路を通って美濃から尾張国府に向かえば、まず真清田神社を拝して国府に向かうのが順路であり、国府を起点として考えれば、真清田神社(一宮)から大縣神社(二宮)を経由して熱田神宮(三宮)に向かうのが順路であったと考えられます(『真清田神社史』による)。
なお、現在の「一宮市」の名称は、真清田神社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町ありますが、市制のひかれている自治体は愛知県一宮市のみとなっています。
ちなみに、真清田神社の名の由来に関して、神社ホームページには「当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています」とあります。
真清田神社
真清田神社(一宮市真清田)
尾張国二宮「大縣神社」に詣でる
愛知県犬山市に鎮座する「大縣神社」は、尾張開拓の祖神・大縣大神(おおあがたのおおかみ)を祭神とし、式内社(名神大社)、正四位下、尾張国の二宮として、古来より人々の崇敬を集めてきました。当神社の鎮座の歴史は古く、社伝によれば「垂仁天皇27年(紀元前3年)に、本宮山の山頂から現在地に移転した」と伝えられています。
大縣神社
大縣神社(犬山市宮山)
尾張国三宮「熱田神宮」に詣でる
名古屋市熱田区神宮に鎮座する「熱田神宮」は、天照大神から授けられた三種の神器、鏡、玉、剣のうちの一つである「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を祀る、皇室ゆかりの由緒正しい神社です。熱田大神(草薙神剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のこと)を主祭神とし、相殿神として、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命の5柱が祀られていますが、神話では、日本武尊が神剣の大いなるご加護により東国を平定した後(尊のなきあと)、神剣は宮簀媛命により熱田の地に祀られたとあります。
以来、熱田神宮は延喜式名神大社・勅祭社(祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる神社。全国で16社)に列せられ、国家鎮護の神宮として特別の扱いを受けるだけでなく、伊勢神宮につぐ格別に尊い神宮として篤い崇敬をあつめてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されています。また、熱田神宮の境内には、本宮、別宮1社、摂社8社、末社19社が、境外にも摂社4社、末社12社と、全部で45の社が祀られています。
なお、名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する熱田神宮は、古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたようで(周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない)、尾張国府からも遠く、尾張国では三宮という位置づけにありました。
熱田神宮
熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)
(今回の舞台)
(2024年02月25日)