長六橋を渡る(薩摩街道の難所、熊本の玄関・シンボルという歴史を経て)
★加藤清正公によって白川に架けられた「長六橋」は、薩摩街道の難所(木製/土製の橋)、熊本の玄関・シンボル(鋼製橋)を経て、現在(PC箱桁橋)に至る。 【熊本城/内堀(坪井川)と外掘(白川)/城下町/街道】 天正16年(1588)、肥後に入国した加藤清正公は、隈本城(古城)...
熊本地震で被害を受けた「南阿蘇鉄道」は今(南郷谷を鉄道で行く)
★学生やお年寄りなど交通弱者の足として生活を支えてきた、そして南阿蘇の観光を支えてきた「南阿蘇鉄道・高森線」の復旧を強く願う。 南阿蘇鉄道・高森線は、南阿蘇村の立野駅(JR豊肥本線と接続)から高森町の高森駅に至る鉄道路線で、立野駅を出て北の阿蘇五岳(中央火口丘)、南の外輪山...
阿蘇谷を鉄道で行く(鉄道整備の歴史とJR豊肥本線)
★九州屈指の観光路線であるとともに、大分市・熊本市への通勤・通学路線でもあるJR豊肥本線。2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、現在も、肥後大津駅~阿蘇駅の間で不通となっており、早期復旧が期待されている。 1868年に成立した明治政府は、版籍奉還や廃藩置県を通して中央...
滝室坂を越える(豊後街道の難所/国道57号の隘路)
★人が行き来する豊後街道の石畳の滝室坂。車で往来する舗装道の滝室坂。H24九州北部豪雨後(応急復旧工事)の仮橋の滝室坂。洞門で越える現在の国道57号・滝室坂。そして、トンネルで滝室坂を越える新たなプロジェクトも始まっている。...
二重峠を越える(延喜式官道→豊後街道→ミルクロード→二重峠トンネル)
★二重峠ルートは古代・中世・近世を通じて、政治、経済、文化、軍事上の重要なルートであった。近代(明治時代)に入ってその機能は、立野火口瀬を抜けるルート(現国道57号)に取って代わられたが、熊本地震が過去の履歴を蘇らせた。...
2017年・新春 熊本城稲荷神社(土木の神様)に詣でる
★土木・建築の神様を祀る「熊本城稲荷神社」。熊本城をはじめ、治水、街道の整備などに力を尽くして熊本の基礎をつくりあげられた加藤清正公の遺徳を偲ぶ。 穏やかな正月を迎えました。今年も「熊本国土学」を綴って参ります。 2017年・元旦、熊本城本丸東側に隣接して鎮座している「熊本...
2016年を振り返る。自然災害に翻弄された熊本(肥後)の一年。
★【1月23~25日:約40年ぶりの大寒波・大雪】【4月14・16日:最大震度7を2回観測した熊本地震】【6月19~22日:梅雨前線による記録的大雨。甲佐町で全国歴代ランキング4位の150.0mm/hを観測】【10月8日:36年ぶりに阿蘇山中岳が爆発的噴火】...
島原・天草・長島架橋構想の実現を願って
★大会には多くの年配の方々も参加されていた。もう30(40)年来の活動参加であろう。石原進氏(九州観光推進機構会長)の基調講演「三県架橋と観光」に聴き入りながら、三県架橋の実現と島原・天草・長島地域の振興、地域活性化を願っていた。...
芦北・水俣地方の交通の難所「三太郎峠」を越える
★江戸薩摩街道、明治国道、一般国道3号、南九州西回り自動車道という新旧4本の道路が存在する芦北・水俣地域は、道路の歴史に直接触れることができる、非常に興味深い場所である。 熊本県南部に位置する「芦北・水俣地方」は、山地が不知火海に迫った地形(リアス式海岸)で、日奈久浦、田浦...
肥後の浄土信仰と行基をつなぐ「阿弥陀」の不思議な縁
★奈良時代の僧「行基」は、利他行を布教する傍ら、その実践のために、農業用の池や溝を掘り、道を拓き、橋を架けるなど、民衆を率いて土木事業を進めていった。熊本市にある「阿弥陀寺」は、行基により創建されたといわれている。 繰り返し述べてきたことであるが、先人たちが国土に働きかける...