

大慈禅寺の涅槃会と大渡架橋
★3月15日、九州の曹洞宗の本山・大慈禅寺で涅槃会が営まれた。開祖・寒巖義尹禅師は大渡(かつての緑川と白川の合流部。交通の難所)に大橋を架けて、川を渡る人々の安全を確保された。現住職は、寺に寄せられる支援に感謝し、熊本地震で被災した古刹の再建を誓う。...


世界かんがい施設遺産『幸野溝・百太郎溝水路群』
★江戸時代中期、人吉藩や領民の長い年月を掛けた努力によって完成した灌漑用水「百太郎溝と幸野溝」は、領内の農業(米作)生産性を向上させた。今回の「世界かんがい施設遺産」登録が、人吉球磨地方の農業の活性化や観光産業の発展のきっかけになればと思う。...


人吉球磨は、ひな祭り(くま川鉄道で巡る相良氏700年の歴史)
★人吉球磨地方に春の訪れを告げる観光キャンペーン『人吉球磨は、ひなまつり』。多くの観光客が『日本でもっとも豊かな隠れ里』人吉球磨を訪ねてまわる。そして、これを支えているのが、地域の基幹交通インフラ『くま川鉄道・湯前線』である。 【人吉球磨は、ひな祭り2017】 ...


肥後の石橋と種山石工
★緑川流域(日向往還が通る地域)で花開いた肥後の石橋文化。その背景には、国内最高峰の石橋築造技術を有する石工集団「種山石工」の存在があった。今、熊本では、石橋構築・修復技術を次世代につなぐ活動が始まっている。 【「日本の石橋を守る会」と「肥後種山石工技術継承講座」】 ...


布田保之助と通潤橋の物語
★伝記は、文明国家の建設を志向するとともに、近代社会の実現を肯定的に捉え、それへの寄与を重要視する。また、勉学、努力、利他的精神を強調してもいる。『布田保之助と通潤橋』の物語は、国土・インフラ教育にとって格好の教材だ。 【第百九十二回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説】...


御船の元禄・嘉永井手と八勢目鑑橋
★「大矢野原の水引きて 美田つくりし光永氏 八勢に目鑑の橋架けて 通路開きし林田氏」江戸時代の後期、肥後国各地で盛んにインフラ整備が行われたが、その中心として惣庄屋や豪商といったプレーヤーたちが重要な役割を果たしていた。 【元禄・嘉永井手】 ...


阿蘇開拓神「健磐龍命」ゆかりの地を巡る
★日向往還が通る県央地域一帯には、男成神社、弊立神社、草部吉見神社など、阿蘇開拓神「健磐龍命」ゆかりの神社が鎮座する。そして、それらは日本神話ゆかりの地「高千穂」と繋がっている。 日向往還が通る県央地域一帯には、南北朝期以降この地を勢力下におさめた阿蘇氏との関わりの深い文化...


熊本地震で通行止めになっていた「俵山トンネルルート」が開通
★年内開通の背景には、地権者の方々や関係機関の理解と協力、工事受注者(熊本県建設業協会関係)各位の尽力、そして九州地方整備局熊本地震災害対策推進室インハウスエンジニアのマネジメント力がありました。 平成28年4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とするマグニチュード(...


九州の中央を横断する(日向往還→国道445号・218号→九州横断自動車道延岡線)
★江戸時代の街道・日向往還(八勢目鑑橋)も、これと並走する一般国道445号(下鶴地区)も、いずれも熊本地震により大きな被害を受けた。そのような中、九州横断自動車道延岡線の整備が進められている。地域の期待は大きい。 【日向往還】 ...


長六橋を渡る(薩摩街道の難所、熊本の玄関・シンボルという歴史を経て)
★加藤清正公によって白川に架けられた「長六橋」は、薩摩街道の難所(木製/土製の橋)、熊本の玄関・シンボル(鋼製橋)を経て、現在(PC箱桁橋)に至る。 【熊本城/内堀(坪井川)と外掘(白川)/城下町/街道】 天正16年(1588)、肥後に入国した加藤清正公は、隈本城(古城)...