

肥後の石橋と種山石工
★緑川流域(日向往還が通る地域)で花開いた肥後の石橋文化。その背景には、国内最高峰の石橋築造技術を有する石工集団「種山石工」の存在があった。今、熊本では、石橋構築・修復技術を次世代につなぐ活動が始まっている。 【「日本の石橋を守る会」と「肥後種山石工技術継承講座」】 ...


布田保之助と通潤橋の物語
★伝記は、文明国家の建設を志向するとともに、近代社会の実現を肯定的に捉え、それへの寄与を重要視する。また、勉学、努力、利他的精神を強調してもいる。『布田保之助と通潤橋』の物語は、国土・インフラ教育にとって格好の教材だ。 【第百九十二回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説】...


御船の元禄・嘉永井手と八勢目鑑橋
★「大矢野原の水引きて 美田つくりし光永氏 八勢に目鑑の橋架けて 通路開きし林田氏」江戸時代の後期、肥後国各地で盛んにインフラ整備が行われたが、その中心として惣庄屋や豪商といったプレーヤーたちが重要な役割を果たしていた。 【元禄・嘉永井手】 ...


阿蘇開拓神「健磐龍命」ゆかりの地を巡る
★日向往還が通る県央地域一帯には、男成神社、弊立神社、草部吉見神社など、阿蘇開拓神「健磐龍命」ゆかりの神社が鎮座する。そして、それらは日本神話ゆかりの地「高千穂」と繋がっている。 日向往還が通る県央地域一帯には、南北朝期以降この地を勢力下におさめた阿蘇氏との関わりの深い文化...


熊本地震で通行止めになっていた「俵山トンネルルート」が開通
★年内開通の背景には、地権者の方々や関係機関の理解と協力、工事受注者(熊本県建設業協会関係)各位の尽力、そして九州地方整備局熊本地震災害対策推進室インハウスエンジニアのマネジメント力がありました。 平成28年4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とするマグニチュード(...


九州の中央を横断する(日向往還→国道445号・218号→九州横断自動車道延岡線)
★江戸時代の街道・日向往還(八勢目鑑橋)も、これと並走する一般国道445号(下鶴地区)も、いずれも熊本地震により大きな被害を受けた。そのような中、九州横断自動車道延岡線の整備が進められている。地域の期待は大きい。 【日向往還】 ...


長六橋を渡る(薩摩街道の難所、熊本の玄関・シンボルという歴史を経て)
★加藤清正公によって白川に架けられた「長六橋」は、薩摩街道の難所(木製/土製の橋)、熊本の玄関・シンボル(鋼製橋)を経て、現在(PC箱桁橋)に至る。 【熊本城/内堀(坪井川)と外掘(白川)/城下町/街道】 天正16年(1588)、肥後に入国した加藤清正公は、隈本城(古城)...


熊本地震で被害を受けた「南阿蘇鉄道」は今(南郷谷を鉄道で行く)
★学生やお年寄りなど交通弱者の足として生活を支えてきた、そして南阿蘇の観光を支えてきた「南阿蘇鉄道・高森線」の復旧を強く願う。 南阿蘇鉄道・高森線は、南阿蘇村の立野駅(JR豊肥本線と接続)から高森町の高森駅に至る鉄道路線で、立野駅を出て北の阿蘇五岳(中央火口丘)、南の外輪山...


阿蘇谷を鉄道で行く(鉄道整備の歴史とJR豊肥本線)
★九州屈指の観光路線であるとともに、大分市・熊本市への通勤・通学路線でもあるJR豊肥本線。2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、現在も、肥後大津駅~阿蘇駅の間で不通となっており、早期復旧が期待されている。 1868年に成立した明治政府は、版籍奉還や廃藩置県を通して中央...


滝室坂を越える(豊後街道の難所/国道57号の隘路)
★人が行き来する豊後街道の石畳の滝室坂。車で往来する舗装道の滝室坂。H24九州北部豪雨後(応急復旧工事)の仮橋の滝室坂。洞門で越える現在の国道57号・滝室坂。そして、トンネルで滝室坂を越える新たなプロジェクトも始まっている。...