「緑川の日」一斉清掃と流域復興イベント
★4月29日は「緑川の日」。緑川流域各地で一斉清掃が行なわれると共に、本部会場(嘉島高田みんなの広場)では「流域復興イベント」が開催され、多くの人で賑わった。熊本地震で大きな被害を受けた緑川堤防の復旧も、梅雨期前までの完成を目標に進められている。...
横島干拓(玉名)の歴史
★明丑・明豊・大豊開の堤防は、高さ5~6mの石積堤防が約4kmも連続し、壮大な景観を呈している。干拓の歴史(先人達による国土への働きかけの歴史)を伝える貴重な土木遺産である。 熊本県には「八代郡築干拓」(<第56回>参照)と並んでもう一つ有名な干拓地がある。玉名市にある「横...
熊本地震から1年
★熊本河川国道事務所では、地域の期待に応えることができるよう、九州地方整備局(本局)、熊本復興事務所、国総研、熊本県、関係市町村などと連携して、引き続き全力で災害復旧事業に取り組んでまいります。 平成28年4月14日21時26分、熊本地方を震央とするマグニチュード(Mj)6...
八代郡築干拓事業と『さよならの写真』
★明治時代、大規模な郡築干拓事業を指揮したのは当時の八代郡長・古城弥二郎。弥二郎は、いまでも郡築の生みの親として慕われており、彼の造った広い農地では先達に感謝しながらトマトやメロン、い草などが栽培されている。 トマト、キュウリ、スイカ、イチゴ、メロン栽培などの園芸農業やイグ...
肥後熊本の桜/2017年・春
★熊本のシンボル「熊本城」をはじめ、本妙寺、田原坂、人吉城跡など、肥後熊本には「満開の桜」が似合う場所があり、歴史がある。1年前に歴史的大地震に見舞われた熊本だが、被災地を含め、今年も満開の桜花で彩られた。 【桜と日本人】 ...
近代化産業遺産「肥薩線」の過去・現在・未来
★肥薩線は、明治近代化から戦後復興に至るまで、多くの人や物を運び、わが国の経済成長を力強く支えてきた。また、開業以来1世紀以上を経た現在においても、明治・大正時代の鉄道遺構は現役。地域の足として、また観光産業を支える基幹インフラとして、肥薩線は多くの人々に利用され、愛されて...
八代平野を干拓した鹿子木量平と清正公信仰
★八代平野の現在の豊かな恵みは、先人達の努力の賜である。その先鞭をつけたのが初代肥後熊本藩主・加藤清正公であり、これを大きく発展させたのが野津手永惣庄屋・鹿子木量平翁である。 【八代平野と干拓の歴史】 「八代平野(やつしろへいや)・・・熊本県南部,八代海にのぞむ低平な沖...
『宝暦萩原堤』と稲津弥右衛門の物語
★地域の人々が「あのや 稲津様は 仏か神か 死ぬる命を 助けさす」と歌い、稲津弥右衛門の功績をたたえたと伝えられている球磨川・萩原堤防。現在此の地では、景観に配慮した堤防補強工事が進められている。 【球磨川下流右岸・萩原地区で進められている堤防補強工事】 ...
小国郷の総鎮守・宮原両神社とやまなみハイウェイ観光連携
★小国郷の開拓に尽力、農耕を起こし文化を広め郷土開発の先駆者として多大な功績を残された高橋宮・火宮を祀る「宮原両神社」。小国郷は今、やまなみハイウェイを軸にした新たな周遊観光連携で活性化を図る。 【肥後国小国郷の由来】 ...
田作祭・火振り神事(阿蘇神社)と熊本地震からの復旧・復興
★3月22日、阿蘇神社で田作祭・火振り神事が行なわれた。昨年(平成28年)4月の熊本地震で、阿蘇神社は拝殿や楼門が倒壊するなど甚大な被害を受けたが、年間行事の祭礼は一度も中止されることなく催行されてきた。阿蘇神社の再建(災害復旧)も着実に進められている。...