

肥後熊本の桜/2017年・春
★熊本のシンボル「熊本城」をはじめ、本妙寺、田原坂、人吉城跡など、肥後熊本には「満開の桜」が似合う場所があり、歴史がある。1年前に歴史的大地震に見舞われた熊本だが、被災地を含め、今年も満開の桜花で彩られた。 【桜と日本人】 ...


近代化産業遺産「肥薩線」の過去・現在・未来
★肥薩線は、明治近代化から戦後復興に至るまで、多くの人や物を運び、わが国の経済成長を力強く支えてきた。また、開業以来1世紀以上を経た現在においても、明治・大正時代の鉄道遺構は現役。地域の足として、また観光産業を支える基幹インフラとして、肥薩線は多くの人々に利用され、愛されて...


八代平野を干拓した鹿子木量平と清正公信仰
★八代平野の現在の豊かな恵みは、先人達の努力の賜である。その先鞭をつけたのが初代肥後熊本藩主・加藤清正公であり、これを大きく発展させたのが野津手永惣庄屋・鹿子木量平翁である。 【八代平野と干拓の歴史】 「八代平野(やつしろへいや)・・・熊本県南部,八代海にのぞむ低平な沖...


『宝暦萩原堤』と稲津弥右衛門の物語
★地域の人々が「あのや 稲津様は 仏か神か 死ぬる命を 助けさす」と歌い、稲津弥右衛門の功績をたたえたと伝えられている球磨川・萩原堤防。現在此の地では、景観に配慮した堤防補強工事が進められている。 【球磨川下流右岸・萩原地区で進められている堤防補強工事】 ...


小国郷の総鎮守・宮原両神社とやまなみハイウェイ観光連携
★小国郷の開拓に尽力、農耕を起こし文化を広め郷土開発の先駆者として多大な功績を残された高橋宮・火宮を祀る「宮原両神社」。小国郷は今、やまなみハイウェイを軸にした新たな周遊観光連携で活性化を図る。 【肥後国小国郷の由来】 ...


田作祭・火振り神事(阿蘇神社)と熊本地震からの復旧・復興
★3月22日、阿蘇神社で田作祭・火振り神事が行なわれた。昨年(平成28年)4月の熊本地震で、阿蘇神社は拝殿や楼門が倒壊するなど甚大な被害を受けたが、年間行事の祭礼は一度も中止されることなく催行されてきた。阿蘇神社の再建(災害復旧)も着実に進められている。...


球磨川を切り開いた林正盛の物語(球磨川の舟運開発)
★江戸時代(17世紀)の人吉藩の御用商人・林藤左衛門正盛によって舟路が開削されて以降は、球磨川は外部との交通・物流の幹線として、また参勤交代にも利用され、人吉・球磨地域の発展に多大な貢献を果たした。 人吉球磨地域は、鹿児島県と宮崎県との県境にあって熊本県の最南端に位置し、四...


大慈禅寺の涅槃会と大渡架橋
★3月15日、九州の曹洞宗の本山・大慈禅寺で涅槃会が営まれた。開祖・寒巖義尹禅師は大渡(かつての緑川と白川の合流部。交通の難所)に大橋を架けて、川を渡る人々の安全を確保された。現住職は、寺に寄せられる支援に感謝し、熊本地震で被災した古刹の再建を誓う。...


世界かんがい施設遺産『幸野溝・百太郎溝水路群』
★江戸時代中期、人吉藩や領民の長い年月を掛けた努力によって完成した灌漑用水「百太郎溝と幸野溝」は、領内の農業(米作)生産性を向上させた。今回の「世界かんがい施設遺産」登録が、人吉球磨地方の農業の活性化や観光産業の発展のきっかけになればと思う。...


人吉球磨は、ひな祭り(くま川鉄道で巡る相良氏700年の歴史)
★人吉球磨地方に春の訪れを告げる観光キャンペーン『人吉球磨は、ひなまつり』。多くの観光客が『日本でもっとも豊かな隠れ里』人吉球磨を訪ねてまわる。そして、これを支えているのが、地域の基幹交通インフラ『くま川鉄道・湯前線』である。 【人吉球磨は、ひな祭り2017】 ...