

阿蘇神社御田植神幸式
★阿蘇神社で最大の神事「御田植神幸式」通称「おんだ祭」が熊本地震に負けず、例年通り催行された。阿蘇の祭神4体が神輿に乗って稲の生育具合をご覧になられ、五穀豊穣が祈られた。 7月28日、阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)で、同社最大の神事「御田植神幸式」(通称「御田祭」)が催行さ...


本妙寺と頓写会大法要
★熊本地震の影響で、今年の「頓写会」も夜店の出店はなく、法要のみが行われた。加藤清正公が築城した「熊本城」が復旧し、清正公を祀る本妙寺「頓写会」の賑わいが戻ったとき、本当の意味での熊本地震からの復旧が完了するのではと思う。その日が1日でも早く来ることを、願ってやまない。...


肥後の鉄道は、明治二十四年に来ました
★北九州市、福岡市、熊本市などの大都市を結ぶ九州随一の重要幹線「鹿児島本線」と、天草への観光ルートとしても脚光を浴びている「三角線」。開通当時は、熊本県の海の玄関口「三角西港」へのアクセス鉄道、熊本県内(九州管内)の「物流の要」として期待されていたという歴史を持つ。...


遠山弥二兵衛と「湯の口ため池」の物語(山鹿市の国土教育)
★山鹿市三玉の蒲生地区にある「湯の口ため池」は、今も地域にとって欠くことの出来ない農業インフラである。毎年四月四日には、ため池を造り、干ばつを防いだ遠山弥二兵衛の功績と水の恵に感謝するため、遠山神社で例祭が営まれている。...


豊前街道、三池往還の今昔
★北九州市から、福岡市を経て福岡県西部・熊本県西部を縦貫し、熊本市に至る近世の「豊前街道」ルートは、古代~中世は西海道を代表する「官道」として、現在は九州自動車道や国道3号が通る「九州の背骨」として、歴史的な時間軸で重要な役割を果たし続けている。三池往還には、激戦地「田原坂...


6・26白川大水害の記憶
★「昭和28年・白川大水害(6.26水害)」の被害は、死者行方不明者422人、家屋浸水31,145戸、橋梁流出85橋にのぼった。現在、白川の河川整備は、この過去最大規模の洪水に対応することを目標として進められている。今年からは、白川の氾濫も視野に入れた関係機関連携の新たな取...


国道57号北側復旧ルート「二重峠トンネル」着工
★平成29年6月17日、阿蘇市車帰地先で「二重峠トンネル」の着工式が開催された。引き続き「平成32年度(震災から概ね5年)での全線開通」を目標に、全力で復旧工事を進めてまいりたい。 【二重峠の歴史】 「二重峠(標高683m)」は大津町から阿蘇市に向かう途中の阿蘇北外輪を...


加勢川堤防整備によるストック効果
★「堤防ができた!水害リスクが減った!商工業団地がうまれた!」堤防整備が治水安全度の向上だけでなく、地域の発展に大きく貢献している。 河川、道路、港湾、公園などの社会資本は一度つくれば、適切に維持管理することで、その役割や機能を持続させることができる。また、これまでつくった...


H29梅雨期を前に、白川・緑川堤防の災害復旧が完了
★5月31日、熊本地震で被災した白川・緑川の堤防の災害復旧(本復旧)が完了しました。目標であった平成29年梅雨期前までの堤防復旧が実現した背景には、沿川住民の方々や関係機関の理解と協力、そして工事受注者(熊本県建設業協会等)各位の尽力がありました。...


高森町の国土教育と南阿蘇鉄道(熊本地震から1年)
★熊本地震から1年が経ち、被災地は復旧から復興への歩みを始めている。しかし、高森町の道徳教育用郷土資料『高森の心』にも採録されている「南阿蘇鉄道」の全線復旧の目途は立っていない。学生やお年寄りなど交通弱者の足として生活を支えてきた、そして南阿蘇の観光を支えてきた「南阿蘇鉄道...