国道57号北側復旧ルート「二重峠トンネル」着工
★平成29年6月17日、阿蘇市車帰地先で「二重峠トンネル」の着工式が開催された。引き続き「平成32年度(震災から概ね5年)での全線開通」を目標に、全力で復旧工事を進めてまいりたい。 【二重峠の歴史】 「二重峠(標高683m)」は大津町から阿蘇市に向かう途中の阿蘇北外輪を...
加勢川堤防整備によるストック効果
★「堤防ができた!水害リスクが減った!商工業団地がうまれた!」堤防整備が治水安全度の向上だけでなく、地域の発展に大きく貢献している。 河川、道路、港湾、公園などの社会資本は一度つくれば、適切に維持管理することで、その役割や機能を持続させることができる。また、これまでつくった...
H29梅雨期を前に、白川・緑川堤防の災害復旧が完了
★5月31日、熊本地震で被災した白川・緑川の堤防の災害復旧(本復旧)が完了しました。目標であった平成29年梅雨期前までの堤防復旧が実現した背景には、沿川住民の方々や関係機関の理解と協力、そして工事受注者(熊本県建設業協会等)各位の尽力がありました。...
高森町の国土教育と南阿蘇鉄道(熊本地震から1年)
★熊本地震から1年が経ち、被災地は復旧から復興への歩みを始めている。しかし、高森町の道徳教育用郷土資料『高森の心』にも採録されている「南阿蘇鉄道」の全線復旧の目途は立っていない。学生やお年寄りなど交通弱者の足として生活を支えてきた、そして南阿蘇の観光を支えてきた「南阿蘇鉄道...
『碑に込められた願い』島原大変肥後迷惑
★寛政4年(1792)に生じた普賢岳の火山活動により前山(眉山)が崩壊し、それにより引き起こされた大津波は肥後の有明海沿岸地域にも甚大な被害をもたらした。八代平野を干拓した鹿子木量平は、ここでも大いに活躍している。 225年前の今日(寛政四年四月一日、西暦1792年5月21...
日本遺産「菊池川流域 今昔『水稲』物語」と冨田甚平
★日本遺産に認定された「米造り、二千年にわたる大地の記録~菊池川流域 今昔『水稲』物語~」のストーリーにも出てくる菊池市出身の農業技術者「冨田甚平」は、私財をなげうって湿田を乾田に変える「暗渠排水技術」を開発した。 【日本遺産認定/菊池川流域 今昔『水稲』物語】 ...
日本最古の水道「轟泉水道」
★轟泉水道は、寛文3(1663)年完成の現存する日本最古の石管上水道。轟水源から宇土城下町まで総延長約4,800m、標高差5mの区間には、塘や桝等の技術が駆使されている。 「平成28年熊本地震」は熊本~阿蘇周辺地域に甚大な被害を与えた。多数の家屋倒壊や土砂災害による人的被害...
宗像堅固と「釜の迫の堀切り」(天草)
★道徳教育用郷土資料『熊本の心』に採録されている『白魚の来る川』の主人公・宗像堅固。私財を投入して完成させた「釜の迫の堀切り」は、地域の人々の豊かな生活を担保するものであった。 【道徳教育用郷土資料『熊本の心』から】 『白魚の来る川』-小学校3・4年- ピチッ。ピチッ。...
天草五橋と『橋にかけた夢』
★天草五橋は開通以来、九州屈指の広域観光ルートとして、また、生活道路、産業道路、命の道など、地域の様々な活動を支える生命線として大車輪の活躍をしてきた。地元出身の森慈秀(元熊本県議会議員・元大矢野町長)等の四半世紀にわたる尽力のおかげである。 【天草五橋の役割】 ...
九州自動車道の価値と熊本地震
★熊本地震の復旧工事のために車線規制が続いていた九州自動車道が4月28日、全線4車線で交通解放された。主要幹線道路が大きな損壊を受けると、人、物の流れが滞り、経済社会的に大きなダメージを与えてしまう。熊本地震は重層的な交通ネットワークの必要性を改めて教えた。...