肥後の浄土信仰と行基をつなぐ「阿弥陀」の不思議な縁
★奈良時代の僧「行基」は、利他行を布教する傍ら、その実践のために、農業用の池や溝を掘り、道を拓き、橋を架けるなど、民衆を率いて土木事業を進めていった。熊本市にある「阿弥陀寺」は、行基により創建されたといわれている。 繰り返し述べてきたことであるが、先人たちが国土に働きかける...
『熊本の心』
★道徳教育用郷土資料『熊本の心』の活用を通して、児童の発達の段階や特性等を考慮した創意工夫ある国土・インフラ教育を行ってもらいたい。また、RKKテレビ番組『熊本の心』にも期待したい。 実在人物の業績や生き方を素材とする「伝記」は、子どもの読書の好みに合うジャンルだ。このため...
妙見神(北極星の化身)を祀る「八代神社」と個性豊かな「妙見祭」
★静と動の混淆した異国情緒漂う「八代妙見祭」神幸行事は、神仏両部の宮寺「妙見宮」の例大祭として発展してきた。ユネスコ無形文化遺産として認められることを喜ぶとともに、海外の大型クルーズ客船の寄港も相次ぐ八代港の発展と相まって、地域振興につなげたい。...
港湾都市「八代」の歴史(港湾都市の発達➂)
★中世の八代は、中央の権力に直結した港湾都市として発展。「徳淵の津」は、3代の八代城(古麓城・麦島城・松江城)とともに、貿易商人で賑わった。近年は、物流拠点としてだけでなく、海外の大型クルーズ客船の寄港も相次ぐなど、東アジアのゲートウェイとしての機能も発揮しつつある。...
球磨川を治める(加藤清正公の川づくり④)
★加藤清正公が手掛けた八字形の石堰「遙拝堰」と直下流の「萩原堤」は、城下町・港町「八代」を洪水から守る文字通りの生命線であった。 球磨川流域は台風や梅雨前線による大雨が降りやすい南九州の多雨地域に位置しており、さらに流域は約8割が森林で急峻な山々に囲まれている。したがって、...
日本三大急流の一つ「球磨川」流域の地形と歴史
★平家の落人伝説で有名な秘境「五家荘」を源流に持つ「川辺川流域」、相良氏統治700年の歴史が育んだ球磨独自の文化を有する「人吉・球磨盆地」、干拓によって生まれた広大な耕地と熊本県第二の都市「八代市」を有する「八代平野」。球磨川(周辺)流域は様々な顔を併せ持つ。...
熊本県(肥後国)の起源、「火の国」と野津古墳群
★氷川町にある「野津古墳群」は、当時、この辺りで最も権力を持った「火の君」一族の墳墓である可能性が高いと考えられている。 現在の熊本県の地域は、「火の国」→「肥の国」→「肥後国」→「隈本」→「熊本」と、その名称を変えてきた。...
港湾都市「高瀬」と鎮守・繁根木八幡宮の秋季大祭(港湾都市の発達②)
★鎮守・繁根木八幡宮とともに発展してきた港湾都市「高瀬」。中世~近世にかけて、肥後を牽引してきた交通インフラの記憶が「高瀬船着場跡」に遺る。 今年も10月28日・29日の両日、玉名市の「繁根木八幡宮」で秋季大祭が催行され、節頭区(世話役)の若者らが五穀豊穣に感謝して威...
菊池川を治める(加藤清正公の川づくり➂)
★清正公は、国際貿易港「高瀬」の治水と有明海沿岸の農業生産力の向上を意図して、菊池川の改修工事に取りかかった。 県北の菊鹿盆地や玉名平野の穀倉地帯を豊かに潤して流れる菊池川は、古くから舟運も盛んで、古墳時代には、近畿地方や大陸との交流の跡が見られ、平安末期に開かれた高瀬港は...
日本屈指の穀倉地帯を育んできた「菊池川」の歴史
★菊鹿盆地や玉名平野では稲作が盛んなほか、近年では、スイカ・メロンの国内有数の生産地としても知られている。菊池川流域の歴史的魅力や特色(史跡、伝承、文化、食など)を活かした「日本遺産」認定に期待したい。 本ブログ「熊本国土学」の第1回目で紹介したが、熊本在住の歴史家・渡辺京...