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筑波研究学園都市と東京一極集中問題の今昔

★東京一極集中を回避するため、官主導でスタートした「筑波研究学園都市」建設。科学万博やTX(つくばエクスプレス)のブースター効果によって、活力と賑わいのある学園都市が形成されました。一方で、東京・首都圏一極集中の是正は、わが国の喫緊の課題のまま残されています。


官主導でスタートした「筑波研究学園都市」建設

 筑波研究学園都市はわが国最大の学術・研究拠点として、1963年(昭和38年)9月にその建設が閣議決定されました。前回の東京オリンピックの前年、私が生まれる2年半前になります。

 建設の第一目的は、機能上必ずしも東京に置く必要の無い官庁の施設等機関や国立の教育施設などを集団移転することで、東京への過度な人口集中を回避しようとするものでした。当時(も)、地方から東京への人口流入が大問題となっていましたから、政府は研究学園都市を新たに建設することで、この問題に対処しようとしたのでした。また、あわせて、世界に通用する研究拠点を建設し、高度な学術研究や高等教育の充実を図るという目的もありました。

 研究学園都市の候補地として挙がったのは、富士山麓、赤城、那須、筑波の4箇所でしたが、検討の結果最終的に筑波が選ばれました。東京から最も近くに位置すること、近傍に土浦という比較的大きな都市があること、霞ヶ浦を水源として利用可能であること、土地が平坦で地質が安定していることなどがその理由であったようです。

 その後、具体的な建設計画(マスタープラン)に関する様々な議論を経て、1970年に筑波研究学園都市建設法(昭和45年法律第73号)が制定・公布され、これに基づき研究学園都市の建設が始まりました。学園都市の区域はつくば市の全域約28400ヘクタール。東京都区部面積の2分の1にあたる広大な地域に道路、上下水道、通信設備などの都市インフラが整備され、中心部2700ヘクタールを「研究学園地区」として開発し、国の研究・教育施設、商業施設、住宅(公務員宿舎を含む)などが計画的に配置されました。

 途中オイルショックの影響で計画に若干の遅れをみたものの、1980年(昭和55年)3月までに都市インフラがほぼ完成、また筑波地区に移転又は新設されることとなっていた国の研究機関の全て(科学技術庁4、環境庁1、文部省5、厚生省2、農林水産省13、通商産業省10、運輸省3、建設省3、宇宙開発事業団1、郵政省1の合計43機関)の移転新設が完了し、後に、人口約20万人、国と民間を合わせて約300の研究機関や企業が集まり、2万人以上の研究者が暮らす研究開発拠点のベースができあがりました。


科学万博を契機とした官民連携による都市機能の向上

1985年開催の国際科学技術博覧会(科学万博)を契機として、交通インフラや都市施設の整備・拡充が実現していきました。

 交通インフラでは、1985年に常磐自動車道が谷田部インターチェンジまで繋がり、学園都市は東京と高速道路で直結されました。これと関連して、科学万博会場へのアクセス道路も整備され、学園都市の広域的道路ネットワークが拡充されました。また同年、都心地区では学園都市の玄関となるような交通施設として「つくばセンター(バスターミナル)」が竣工し、バス路線はこれを核として再編成されました。1987年にはつくばセンターと東京駅を結ぶ高速バス路線も開設され、公共交通に関する陸の孤島状態が若干和らぐこととなりました。

 都市施設では、科学万博開催前の1983年に、コンサートホール、住民センター、シティーホテル、各種商業・業務施設が入った「つくばセンタービル」が竣工。1985年には、ショッピングセンター「クレオ」がオープンし、キーテナントとして西武百貨店とジャスコが入りました。また同時期に、大手量販店のダイエー筑波店もオープンし、民間商業施設が一気に充実しました。(現在、テナントはいずれも入れ替わっています)

 さらに、1990年には、つくば市立中央図書館、つくば美術館、多目的ホールを兼ね備えた「つくば文化会館アルス」がオープン。同年、地上19階、地下1階、高さ88mのオフィスビル「つくば三井ビルディング」も竣工し、都心地区のランドマークとなりました。


30年前の学園都市生活を振り返ると

 こうしてできあがった研究学園都市での生活はどうだったでしょうか? たまたま、私は約30年前(1990年4月から2年間)、筑波の研究機関に勤務していましたので、記憶を遡って、当時の様子を振り返ってみたいと思います。

 まずは生活環境についてですが、クレオなどの商業施設や市立中央図書館などの文化施設が整備された後でしたから、移動手段として自家用車を用いることで、比較的快適な生活が出来ていたと思います。ただ、公共交通機関は運行頻度の低い路線バスに頼るしかない状況でしたから、もし、自家用車を持っていなかったら・・・と考えるとゾッとします

 また、仕事上、最も重要な東京との行き来は、路線バスと国鉄(現在のJR東日本)常磐線の乗り継ぎが一般的なルートで、乗り継ぎ駅は土浦駅か荒川沖駅しかありませんでした。学園都市の都心地区から路線バスで約30分、さらに常磐線の各駅停車で上野駅まで約70分、乗り換え時間等を見込めば上野駅まで2時間近くを要していたことになります。また、当時の常磐線の運行頻度は決して高いものではなく、昼間は1時間に1本程度でしたから、鉄道に関しては陸の孤島に近い状態であったと言えます。


つくばエクスプレス開業によるブースター効果

 2005年の「つくばエクスプレス(TX)」の開業により、つくば駅~秋葉原駅間が約45分で移動可能となり、学園都市から東京都心へのアクセス性が飛躍的に向上しました。これに伴い、沿線自治体の人口増加や地価水準の上昇、分譲住宅の供給ラッシュといった効果が生まれています。

 学園都市の都心地区及びその周辺では、専門店街の「Q’t(キュート)」、大規模ショッピングセンター「LALA ガーデンつくば」の開業をはじめ、商業・業務機能の集積が図られており、TXの開業が学園都市中心地域の活力・賑わいの創出につながっています。

 一方、つくば駅の隣の研究学園駅の周辺地区は、副都心としての機能集積が図られており、つくば市役所(新統合庁舎)の整備、大規模ショッピングセンター「イーアスつくば」の開業、商業・業務施設の立地、高層マンションの建設などが進められています。


30年後の学園都市の印象

 TXの開業による東京都心へのアクセス性の向上が、学園都市の魅力を大幅にアップさせたことは間違いありません。仕事で上京するにしろ、プライベートで東京都心に出かけるにしろ、定時制の確保された鉄道インフラが整備された効果は絶大です。

 今回のつくば在住で、もう一つ、大きなインパクトを受けたのは、学園都市の都心地区及びその周辺に建設されていた公務員宿舎が老朽化し、空き家が大量に発生しているという現状です。その理由としては、戸建て住宅やマンションを購入して移り住む人がいること、TXの開業によって従前よりも遠隔地から通勤することが可能になったことが考えられます。

 その一方で、公務員宿舎の廃止・売却により、その跡地が民間事業者によって戸建住宅地やマンションとしてどんどん開発されています。つくば駅から徒歩数分のエリアで、高層マンションの建設が幾つも進められています。私が30年前に入居していた竹園ショッピングセンター近くの公務員官舎は、既に民間の戸建て住宅やマンションとして生まれ変わっていました。

 あと、総延長約48キロメートルにもおよぶ歩行者専用道路(ペデストリアンデッキ)のネットワークは、研究学園都市固有の交通インフラとして、30年間、機能し続けています。このうち都市の骨格となっている「つくば公園通り」は、筑波大学から赤塚公園まで至る幅員10から20メートル、延長約10キロメートルに達し、休日の散歩コースとして今なお人気を博しています。

 2015年には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の整備により成田空港へ直結されるなど,交通利便性がさらに向上している筑波研究学園都市。今後の益々の発展が期待されます。


 筑波研究学園都市とは(つくば市)↓


 筑波研究学園都市(茨城県)↓


 筑波研究学園都市(国土交通省)↓


 筑波研究学園都市の現状と諸課題にみる都市形成過程上の問題(国総研資料第815号)↓


東京・首都圏一極集中問題、その後

 筑波研究学園都市建設の切っ掛けとなった「東京・首都圏一極集中問題」については、その後もさまざまな対策が行われてきてはいるものの、現在も、わが国の最大級のリスクの一つとして残されています。

 というのも、わが国では政府機能や経済の中枢機能の東京・首都圏への集中度合がきわめて高いにもかかわらず、この東京・首都圏が、世界のどの首都圏にも例を見ない大自然災害危険地帯であるからです。

 集中度合いについては、1950年から今日までの東京・ロンドン・パリ・ベルリン・ローマ・ニューヨークといった都市圏域の全国に占める人口シェアの推移を見ると明らかなように、世界の先進国で最大人口圏への人口集中がいまだに続いているのは、日本の東京・首都圏だけなのです。

 1995年には、日本の首都圏もロンドンもパリも総人口に占めるシェアが15%程度だったにもかかわらず、その後日本の首都圏だけが総人口シェアを上げ続け、直近では総人口の30%が集中しているという状況になっています。

 このような状況下にあって、わが国では、首都直下地震や南海トラフ地震など「国難」レベルの大震災が発生するリスクが極めて高いというわけですから、十分な対策を施していない現状で巨大地震に襲われたら、日本は「世界の最貧国」になりかねません。

 加えて、東京・首都圏では、すでに集積の利便を超えた交通渋滞、通勤電車の大混雑、環境問題、その他の大きな外部不経済が発生しており、これらはすでに許容できるレベルを超えています。

 さらに、全国の地方公共団体等の人口が自然減の状況になってきている中、東京・首都圏への転出のために社会減が生まれている状況は、地方の人口減少をさらに加速させており、コミュニティが崩壊していくほどの地方集落の崩壊を引き起こす原因にもなっています。

 いずれにしても、東京・首都圏一極集中の是正は、わが国にとって今なお喫緊の課題と言えます。


 企業等の東京一極集中に関する懇談会とりまとめ(R3.1.29)参考資料(国土交通省)↓


つくばセンター(TXつくば駅とは地下で接続)


松見公園展望塔から見た学園都心地区の眺め


学園都市内の移動手段は今も路線バス


研究学園駅を発車する「つくばエクスプレス(TX)」


副都心・研究学園駅周辺地区の様子


都心地区で進む高層マンションの建設(再開発)


竹園ショッピングンター交差点付近の様子

※公務員官舎は、民間の戸建て住宅やマンションに生まれ変わっている。


つくば公園通り


洞峰公園の銀杏並木(つくば公園通りに接続)


(今回の舞台)


(2021年12月19日)

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