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菊池の井手と『イデベンチャー』(楽しみながら学ぶインフラの歴史)

★加藤清正公築造と伝えられる「築地井手」をはじめ、菊池市内を流れる数多くの井手(農業用水路)は、築後数百年を経て今も現役で水田を潤している。そして、「原井手」をカヤックで下る『イデベンチャー』など、子供たちが楽しみながら歴史的インフラ遺産に触れ、学ぶことのできる機会を提供してくれている菊池市に感銘を受けた。

 菊池は、平安時代から450年間にわたって栄えた、菊池一族の城下町。菊池氏は、南北朝時代の一時期には九州を平定する程の勢力を誇り、その本拠地・隈府(わいふ)も肥後・筑後の都として繁栄をきわめた。  現在は、「菊池温泉」「菊池渓谷」「菊池一族ゆかりの地」などで有名な菊池市であるが、菊池の一押しは何と云っても「菊池米(肥後米)」。江戸時代、菊池地方は穀倉地帯として全国に知られ、菊池米(肥後米)は、播州米・備州米とともに最高級の品質(大坂堂島の米相場を決定する際の基準)とされていた。

 菊池の観光ナビ「きくち物語」(菊池市観光情報ウェブサイト)↓ http://www.city.kikuchi.lg.jp/kankou/

 菊池観光協会↓ http://www.kikuchikanko.ne.jp/

(菊池わいふのひなまつり)

【菊池市と井手】  菊池市は、一級河川・菊池川の上流部に位置し、古くから日本屈指の穀倉地帯として名を馳せてきた。日本遺産にも認定された菊池川流域には、二千年にわたる米作りを支えた様々な大地の記憶が遺されているが、ここ菊池市に数多く遺されているのは「井手」と呼ばれる農業用水路(生産インフラ)。  加藤清正公によって築造されたとの記録が残されている「築地井手」や、日本遺産のストーリー「菊池川流域 今昔『水稲』物語」にも採録されている「原井手」をはじめ、菊池市内には中世以降に整備された井手(用水路)のネットワークが張り巡らされており、これらは今でも現役で活躍している。

-・-・-日本遺産「菊池川流域 今昔『水稲』物語」のストーリーから抜粋-・-・- [二千年にわたる米作りの開墾の歴史]  菊池川流域は、阿蘇外輪山の菊池渓谷を源とする清らかでミネラル豊富な水に恵まれた地域である。約二千年前、最初は小さな水田から始まった米作りだったが、灌漑技術の導入により、8世紀頃から大規模な土地区画制度である「条里制」が全国各地に敷かれると、古代、菊池川流域の平地では一区画約1ha(10,000㎡)の水田が整備された。また、大和朝廷は米の豊かなこの土地の高台に古代山城「鞠智城」を築き、米倉を建てて軍事補給基地としての機能をもたせた。条里制の地割は時代が移り変わる中でも大きな改良を必要とせず、鞠智城跡を訪れると、碁盤状にきれいに区画された千年以上続く田園風景を一望できる。 中世以降、山間では、溜め池造成や水路建設などの農業土木技術の向上によって、菊池川流域でも井手(用水路)が整備され、それまで水が届かなかった高台を水田に変えた。江戸時代になると測量技術や土木技術が更に向上し、各地に長距離の井手が通された。全長11kmの「原井手」は、延べ454mものマブ(水路トンネル)を手作業で穿ち、水田を作るのが難しかった山地に棚田を拓き、米作りを可能にした。「原井手」は300年以上経った今も現役で、地域の棚田を潤している。番所地区の棚田は、急峻な山の斜面を切り拓き石積みを組んだものであるが、集落内の住宅等も石積みの上に築かれ、漆喰や泥壁等の伝統的な工法で建てられており、棚田をはじめ山里の自然と古い屋並みが調和した農村景観を見ることができる。  近世以降、海辺では、築堤や樋門建設の技術が発達し干拓事業が続けられてきた。菊池川河口には広大な干潟があり、堤防を築いて潮止めすることで耕作地を開くことができた。その規模は年を追うごとに大きくなった。明治時代中頃には高さ3~6mの石積みが長さ5.2kmにも及ぶ、当時国内最大級の「旧玉名干拓施設」の堤防が築かれ、最終的には面積3,000haの耕作地が海から誕生した。「海の万里の長城」とも称されるこの堤防は、城の石垣のような様相で、近くに佇むと見る者を圧倒し、秋の収穫時には金色の稲穂と石積みの堤防群とが美しいコントラストを見せてくれる。  近代に入ると菊池川沿いの沼地では、菊池市出身の農業技術者、冨田甚平が私財をなげうって収穫期にも水が抜けなかった湿田を乾田に変える暗渠排水技術を開発した。同時に湿田から抜いた水を水田に活用する技術を開発して日照り対策も行い、この技術を全国に広めていった。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-  米作り、二千年にわたる大地の記憶(日本遺産ポータルサイト)↓ https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story053/index.html https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/app/upload/heritage_data_file/053-6719584757769237.pdf

【加藤清正公築造と伝えられる「築地井手」】  菊池川水系最古の井手といわれ、現在も菊池平野一帯の水田を潤している「築地(ついじ)井手」は、加藤清正公が肥後を統治していた慶長年間(1596~1615年)に築造されたと伝えられており、井手の上流にある水分神や清正公像は今も大切に祀られている。  築地井手は、市の中心部・隈府町の東端・築地に取水口を設け、市街地のほぼ中央を東西に流れているが、その流路は、菊池氏が築いた守山城(菊池城)の城郭(正確には、菊池氏滅亡後に隈部親永がこれを活用して構築した壕)を、清正公が活用して造られたと考えられている。現在は、隈府から西部の市街地では暗渠となっているが、取水口から東正観寺までは風情のある水の流れをみることができる。また、現在の正観寺付近で二手に分かれ、南側を通る井手(=新堀井手)は、その後に掘られたもので、かつては、水田のみならず生活用水や防火用水として利用されていた。

 築地井手/癒しの里 菊池(菊池観光協会)↓ https://kikuchikanko.ne.jp/taiken/s049.html

 築地井手(熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト)↓ http://kumamoto-museum.net/blog/archives/chiiki/1235

(築地井手の碑)

(築地井手)

(加藤清正公石像)

(新堀井手)

 築地井手では、ゴムボートに乗って井手を下る体験型アトラクションが開催されており、大人も子供も楽しく遊覧しながら歴史的インフラ遺産を肌で感じることができる。

 またまた新しいアトラクションが誕生「きくち井手あそび」(菊池市)↓ http://www.city.kikuchi.lg.jp/kankou/q/aview/1/1379.html

【原井手と『イデベンチャー』】  一方、菊池川の更なる上流には、江戸時代(1701年(元禄14年))、惣庄屋だった河原杢左衛門が完成させて以来、300年以上経った今も現役で、地域の棚田を潤している「原(はる)井手」がある。井手の流路は、基点の大場堰から山を越えた名河原地区まで延長11キロ余り。当時としては岩を砕き山を穿つ難工事であったが、延べ454mものマブ(水路トンネル)を手作業で穿ち、水田を作るのが難しかった山地に棚田を拓き、米作りを可能にした。

 原井手(日本遺産) | 菊池の観光ナビ「きくち物語」(菊池市)↓ http://www.city.kikuchi.lg.jp/kankou/q/aview/156/2495.html

(原井手)

(「マブ」と呼ばれる用水路トンネル)

(原井手と菊池川)

 この「原井手」を舞台として開催されている体験型イベントが『イデベンチャー』。廃校を活用した交流施設「きくちふるさと水源交流館」が主催する体験プログラムのひとつで、原井手をカヤック(二人乗り)で下るスリル満点のネイチャーアトラクションとして人気を集めている。全長2㎞の緩急にとんだコースには橋や丸太などの障害物や、マブと呼ばれる水路トンネル(最長のマブは約300m)もあり、子供たちが楽しみながら歴史的インフラ遺産「井手」に触れ、そして、その効用に気付くことのできる貴重な機会を提供してくれている。

 原井手下り「イデベンチャー」(きくちふるさと水源交流館)↓ http://www.suigen.org/page0129.html

 原井手下り「イデベンチャー」(菊池市)↓ http://www.city.kikuchi.lg.jp/q/aview/314/4968.html

 熊本発!カヌーで用水路を行く“井手下り”(NewsWalker)↓ https://news.walkerplus.com/article/62571/

 きくちふるさと水源交流館の遊び・体験レポート(じゃらんnet)↓ https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000181541/report/

(イデベンチャー:菊池市ホームページより)

(今回の舞台)

(2018年2月18日)

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