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本妙寺と頓写会大法要

★熊本地震の影響で、今年の「頓写会」も夜店の出店はなく、法要のみが行われた。加藤清正公が築城した「熊本城」が復旧し、清正公を祀る本妙寺「頓写会」の賑わいが戻ったとき、本当の意味での熊本地震からの復旧が完了するのではと思う。その日が1日でも早く来ることを、願ってやまない。

 肥後熊本のシンボル「熊本城」の築城、菊池川・白川・緑川・球磨川など全県下に亘る治水・利水工事、有明海の干拓、豊後街道をはじめとする道づくりなど、今日の熊本の礎をつくった功績から、ここ熊本では「せいしょこさん」という愛称で呼ばれてる加藤清正公。  この加藤清正公を祀っていることで知られる「本妙寺」は、熊本市西区の熊本城北西にある日蓮宗六条門流の寺院で、開創から400年以上の歴史を有する名刹である。  境内入口の巨大な仁王門をくぐると桜並木の長い参道が続き、両側に12の塔頭が並ぶ。参道をまっすぐ進み、向かって右手奥にある本院、大本堂をすぎるとそこから先には胸突雁木(むなつきがんぎ)と呼ばれる176段の急勾配の石段があり、その中央には信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいる。そして、この石段を登り切り、中門をくぐった先にあるのが「浄池廟」。加藤清正公が祀られている。

 本妙寺境内案内(本妙寺公式ホームページ)↓ http://www.honmyouji.jp/annai.html

 本妙寺では、毎年、加藤清正公の命日前夜である7月23日に「頓写会」と呼ばれる法要が行われ、例年は、長い参道にズラリと夜店がならび賑やかな夏祭りの夜となる。ちなみに、「頓写会」の名の起こりは「本妙寺第3代高麗日遥上人が清正公の菩提を弔う為1周忌に法華経を書写したのが始まりで、3回忌に山内の僧侶が加わり行ったところ7月23日の一夜にして写経が出来たところから頓(すみやか)に法華経(69,384文字)を写経した法会ということに由来している」とのこと。

 本妙寺頓写会(本妙寺公式ホームページ)↓ http://www.honmyouji.jp/annai.html

 しかしながら、昨年(平成28年)4月の熊本地震によって本妙寺境内も大きな被害を受けたため、昨年7月の頓写会は、夏の風物詩となっている夜店も出店せず、法要のみ時間を繰り上げて厳修されることとなった。また、春の風物詩である「桜灯籠祭り」も今年は中止となり、満開の桜の花々とともに、幽玄な和紙灯籠・竹灯篭の輝きで本妙寺参道が美しく彩られることもなかった。

 本妙寺花燈籠・公式サイト↓ http://hanatourou.com/index.html

 こうした時間の流れを経て、本日、平成29年度の「頓写会」が執り行われた。僧侶らが写経した巻物を奉納する行列は2年ぶりに再開されたものの、本地震で被災した参道入り口の「仁王門」が今も通行禁止となっているため、残念ながら昨年に続き今年も夜店の出店はなく、法要のみが行われた。  肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公が築城した「熊本城」が復旧し、そして清正公を祀る本妙寺「頓写会」の賑わいが戻ったとき、本当の意味での熊本地震からの復旧が完了するのではと思う。その日が1日でも早く来ることを、願ってやまない。

(本妙寺・頓写会)

(本妙寺・頓写会)

(本妙寺・浄池廟)

(本妙寺・本院)

(本妙寺浄池廟手前で唯一営業する旅籠)

(清正公まつりの風景2017/07/23同日開催)

(復旧工事が進む熊本城天守(奥)、宇土櫓(手前))

(今回の舞台)

(2017.07.23)

熊本国土学

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