top of page

「田口線」の遺構<穂の国「東三河」⑨>

★昭和の奥三河を支えた交通インフラ「田口線」の遺構は郷土の風景に溶け込み、当時の車両は新しくオープンした「道の駅」に停車しています。


「道の駅したら」で見つけた旧田口線車両

 奥三河の拠点、北設楽郡設楽町の国道257号沿いに「道の駅したら」がオープンしたのはちょうど2年前の2021年(令和3年)5月。敷地内には、設楽町奥三河郷土館も併設されており、奥三河・設楽の自然や歴史について幅広く学ぶことができます。また、郷土館の屋外には、廃線となった豊橋鉄道田口線の車両「モハ14」が展示されており、実車することで、当時の鉄道の雰囲気を楽しむこともできます。

 歴史を遡ると、この地にはかつて鉄道が敷設されていて、「(鉄道の)駅」が何箇所もあったとのこと。「道の駅したら」のオープンは、地域の方々にとって、久しぶりに「駅」が戻ってきたという印象を与えたかもしれません。


 道の駅したら



道の駅したら(北設楽郡設楽町清崎)


廃線となった豊橋鉄道田口線の車両「モハ14」(奥三河郷土館)


田口線の誕生と廃線の経緯

 現在、奥三河を走る鉄道と言えばJR飯田線しかありませんが、かつてはもう一路線、鉄道が敷設されていました。それが、田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)です。

 明治時代の後半から大正時代にかけて、1900年(明治33年)に豊川鉄道(吉田駅~大海駅間)が開業、1923年(大正12年)には鳳来寺鉄道(大海駅~三河川合駅間)も開業したことで、豊川上流域方面、田口町(現在の設楽町田口)までの鉄道延伸を求める動きが活発になります。

 こうしたなか設立されたのが「田口鉄道」で、先輩鉄道である豊川鉄道や鳳来寺鉄道の協力を仰ぎながら、また、宮内省の出資・経営参加を得て鉄道建設がスタート。1929(昭和4)年に鳳来寺口駅(現JR飯田線本長篠駅)~三河海老駅間(11.6km)が開業し、その後、清崎駅まで(6.5km)、さらに三河田口駅まで(4.5km)延伸され、1932年(昭和7年)12月に全線22.6kmが開通しました。

 宮内省の出資・経営参加を得られた背景には、当時、豊川上流域の段戸山付近の山林は、皇室が所有する御料林であり、その木材搬出のためにも鉄道敷設が必要であった、ということがありました。

 田口鉄道の開業により、木材の搬出はもとより、生鮮食料品の確保、沿線での高校の開校、通勤・通学の広域化、観光客の誘致などが進み、奥三河地域の生活と産業は大きく発展しました。

 しかしその後は、自家用車利用・トラック輸送の普及や過疎化の進行、木材需要の減少などを背景として、鉄道需要は減少し続けることとなり、1956年(昭和31年)には名古屋鉄道系列の豊橋鉄道に吸収合併され、田口鉄道は豊橋鉄道田口線となります。

 残念ながら、その後も鉄道需要は伸びず、

○1964年(昭和39年):豊橋鉄道から田口線廃止の通知

○1965年(昭和40年):台風被害により、清崎駅~三河田口駅間が運休

○1968年(昭和43年):台風被害により、三河海老駅~清崎駅間が運休

という経緯をたどり、最終的には、1968年(昭和43年)8月31日の「さよなら列車」の運行を最後に、多くの人々に惜しまれつつ、田口線は全線が廃止となりました。



 旧田口線をめぐる|奥三河観光協議会


 旧豊橋鉄道田口線|愛知県の観光サイトAichi Now


 旧田口線/歴史を感じる|したらん♪トレイル


 田口鉄道は線路やホーム跡が現存する奥三河の秘境私鉄だった|まっぷるトラベルガイド編集部



『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』・『豊橋鉄道田口線-田口鉄道の残影-』


鳳来寺山(新城市門谷)


鳳来山東照宮(新城市門谷)


田口線の今

 廃線となった豊橋鉄道田口線の代替路線として、現在、豊鉄バス「田口新城線」が運行され、地域交通の要となっていますが、近年、利用客が伸び悩んでおり、豊鉄バスと地元自治体(新城市・田口町)が連携して、利用促進策を講じているところです。


 新城~設楽でバス存続危機 通院・通学に不可欠な存在市と町が乗車呼びかけ/観光客利用促進など求められる工夫(2023/05/26)|東日新聞


 豊鉄バス 田口新城線沿線デジタルスタンプラリー開催について|豊鉄バス


 一方、豊橋鉄道田口線が走っていたルート上には、現在も、線路が通っていた路盤や橋梁、トンネル、プラットホームなどの痕跡が残っており、往時の様子を偲ぶことができます。なお、田口線の廃線跡のうち清崎駅~三河田口駅間は、現在建設中の設楽ダムによって水没することとなります。

 ちなみに、当時、終着駅(三河田口駅)が田口市街に建設されなかったのは、田口市街がさらに高台にあった(約200mの高低差があった)からで,結果、三河田口駅は寒狭川沿いに建てられ、駅と田口市街の間はバスによって接続されることとなりました。


旧田口線本長篠駅(鳳来寺口駅)

※JR飯田線ホームの脇(手前側)には、最近まで旧田口線の当時の線路がそのまま残っていましたが、今は撤去されていて、旧田口線ホームには転落防止策が設けられています。


旧田口線内金隧道越しの河津桜(新城市長篠)

※田口線の廃線跡には、軌道敷が生活道路になっていたり、トンネルが今も使用されている区間もあります。旧田口線内金隧道は現在、芳ヶ入トンネルとして利用されています。


旧田口線大井川橋梁跡(新城市長篠丸井)


旧田口線三河大草駅跡(新城市富保)


旧田口線双瀬隧道(新城市副川西山)


設楽ダム建設予定地(三河田口駅のあった場所)


(今回の舞台)



(2023年05月28日)

最新記事
アーカイブ
​カテゴリー
​熊本国土学 記事一覧
bottom of page