西尾(西三河南部)と鉄道<三河国土学⑩>
★沿線自治体・名鉄・市民応援組織等の連携によって、「にしがま線(西蒲線)」が地域住民の通学・通勤の足として、また地域の経済活動の基盤として存続してくれることを願ってやみません。
「にしがま線」とともに
2023年9月9日(土)10時57分、西尾市制70周年を記念して、名鉄の復刻塗装列車が蒲郡駅に向かって西尾駅1番線ホームを発車しました。また、同日に開催された「復刻塗装列車発車式」や「にしがまフェスタ」には多くの参加者があり、鉄道ファンにとってはとても楽しい一日となりました。が、このイベントが企画・実施された背景を考えると、単純に喜んでばかりいる訳にはいかないようです。
そもそも「にしがま線(西蒲線)」とは、名鉄西尾線の西尾~吉良吉田間と蒲郡線(吉良吉田~蒲郡間)を足した区間のことを指しますが、この区間は利用者が少なく、不採算路線であることから、近年は廃線が取り沙汰されている状況にあります。
西蒲線の建設経緯は後ほど述べますが、最盛期(1960年代)には、温泉旅行や海水浴・潮干狩り客などで賑わい、名鉄・名古屋本線直通の特急列車が毎時2本も乗り入れるほどの観光路線であったものが、現在では通学に利用する高校生の姿が目立つ程度のローカル線(2両編成のワンマン列車が各駅停車で走り、途中、吉良吉田駅で乗り換えも必要)となっています。
路線の存廃に関しては、2005年(平成17年)に名鉄が「経営努力の限界」として沿線の自治体に協力を呼びかけたことを切っ掛けとして、「名鉄西尾・蒲郡線対策協議会」が設置され、『鉄道は生活交通に必要な社会基盤』との大方針が定められるとともに、沿線の西尾市と蒲郡市が中心となって、西蒲線の存続に向けた具体的な支援策が様々講じられてきました。2010年度(平成22年度)からは西尾市と蒲郡市が3か年ずつ2.5億円/年の規模の支援金を拠出することに合意し、それ以降定期的に更新されて今に至っています(現在では2025年度までは運行する事が決定されています)。
また、蒲郡市の「市民まるごと赤い電車応援団」や西尾市の「西尾市名鉄西尾・蒲郡線応援団」といった市民による応援組織も設立され、各種鉄道イベントの開催など、お互いに連携しながらも、それぞれが主体的な立場で存続のために取り組んできています。
このように、沿線市と名鉄が連携して利用促進の取り組みを進めてきた結果、コロナ前までは利用者数が順調に伸びていた(2007年に約293万人まで減少した年間輸送人員が、2018年には約341万人にまで回復していた)のですが、コロナによって利用客は大幅に減少してしまい、今後のV字回復が期待されています。
西尾市制70周年を記念して、復刻塗装列車の運行を開始/名鉄西尾・蒲郡線|西尾市
【西尾市✖蒲郡市✖名古屋鉄道】復刻塗装列車の運行開始/名鉄西尾・蒲郡線|蒲郡市
名鉄「にしがま線」てこ入れ再び 復刻列車や駅ピアノ(2022年10月19日)|日本経済新聞
【名鉄西尾・蒲郡線】西尾~蒲郡は廃止を防げるか?存続のカギは対立より協働|鉄道協議会日誌
名鉄西尾線・蒲郡線利用促進にしがま線応援団【鉄研】
市民まるごと赤い電車(名鉄西尾・蒲郡線)応援団/名鉄西尾・蒲郡線|蒲郡市
名鉄西尾・蒲郡線
名鉄西尾駅と蒲郡駅
復刻塗装列車(名鉄西尾駅1番線ホーム)
復刻塗装列車発車式・にしがまフェスタの様子(名鉄西尾駅・多目的交流スペース「おいでっき」)
西蒲線の建設経緯(西三河南部地域の鉄道網形成の歴史)
西蒲線は、今でこそ名鉄西尾線(新安城~吉良吉田間)と蒲郡線(吉良吉田~蒲郡間)とをつなぐ1本の鉄道路線(ネットワーク)の一部区間という位置付けになりますが、その建設経緯を振り返ると、3本の異なる鉄道路線が組み合わさっで出来たものであることが分かります。
このうち、一番最初に建設されたのが「西尾~吉良吉田間」で、この区間は、西尾鉄道(軽便鉄道)が東海道線の岡崎(1888年開業)と西三河南部の西尾、平坂(港)、吉田(港)とを結ぶべく、1916年までに全通させた路線(岡崎新~西尾間1911年、西尾~港前間1914年、西尾~吉田港間1916年)の一部区間でありました。現在の西三河南部地域の鉄道網には、西三河の中心都市・岡崎と幡豆地方の中心・西尾とを直接繋ぐルートはありませんが、実は(やはり)岡崎~西尾間は一番最初に鉄道で結ばれていたのです。
次に建設されたのが「新安城~西尾間」で、この区間は、碧海電気鉄道(名鉄の前身の一つである愛知電気鉄道の子会社)が名古屋本線(1923年、神宮前~東岡崎駅間が開業)の今村(現・新安城)から南に分岐して西尾に至る路線を敷設したもので、1928年までに全線が開業しています。なお、先に開業していた西尾鉄道は1926年に愛知電気鉄道に合併されていたことから、(碧海電気鉄道)終点の西尾においては愛知電気鉄道の西尾線と接続し、すぐさま西尾線吉良吉田駅まで直通運転が開始されたのでした。
そして最後に建設された区間が「吉良吉田~蒲郡間」で、この区間は、三河鉄道が東海道線の刈谷から高浜(港)、新川を経て大浜港(現・碧南)にいたる鉄道を開業(1914年)したことをスタートに、松木島まで(1926年)、吉良吉田まで(1928年)、三河鳥羽まで(1929年)と順次ネットワークを延伸していった後、1936年に吉良吉田から蒲郡までを開業させた(全線が繋がった)というものでありました。
以上のような経緯を経て、現在の西蒲線は形成されてきたわけですが、このこととは別に、この時代の鉄道網の整備が時代の要請を反映していたことがよくわかります。西三河南部地域で優先的に整備されたのは、西尾鉄道しかり、三河鉄道しかり、鉄道(幹線)と港湾(海運)とを結ぶ鉄道路線だったのです。
ちなみに、この地域で一番最初に建設された西尾鉄道(岡崎新~西尾間)は、戦時不急不要路線として1943年に休止となり(レールが撤去され別路線に転用された)、このうち岡崎駅前~福岡町間は1951年に福岡線として一旦は再開したものの、1962年には廃止されました。また、西尾鉄道(西尾~港前間)は戦後1960年に廃止となり、さらに三河鉄道(碧南~吉良吉田間)も2004年に採算が取れなくなったとして廃止されました(いずれも、名鉄に経営が移行されてからの廃止となります)。
西三河の鉄道のうつりかわり/おぼえがき(ゆめてつどう)|Hatena Blog
西尾(軽便)鉄道/岡崎市制100周年記念事業 岡崎まちものがたり
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名鉄三河線(海線)
名鉄碧南駅と大浜港(碧南市)
衣浦港(碧南市)
名鉄三河線 大浜口駅跡/碧南レールパーク(碧南市)
※2004年(平成16年)に廃線となった名鉄三河線の廃線跡地。現在は、ポケットパーク&遊歩道「碧南レールパーク」として整備されている。
碧南レールパーク|碧南市
わが国の鉄道インフラ(地域鉄道)を巡る課題
地域鉄道(ローカル線)は、地域住民の通学・通勤の足として重要な役割を担うとともに、地域の経済活動の基盤として不可欠な交通インフラですが、モータリゼーションの進展や地方部の過疎化などによって輸送人員の減少が続いた結果、運賃だけで収支が見合わない路線の切り捨てが全国各地で行われてきました。
さらに、令和2年度以降のコロナ禍の影響により、地域鉄道を取り巻く環境は厳しさを増しており、公的支援策の拡充を含めた総合的な対策が求められています。
本来、公共交通機関である「鉄道」は、民間事業(営利目的の運輸事業)としての視点のみで捉えるべきではなく、社会インフラとして、公的支援を受けながら整備・維持管理されるべきものであるはずなのですが(ヨーロッパをはじめ世界の常識)、わが国では「鉄道は民間事業」との意識が強く、事業者任せにしてきた結果、不採算路線が相次いで廃線になってしまったということかと思います。
今回取り上げた「にしがま線(西蒲線)」は、まさに存廃の議論の真っ只中にあります。沿線自治体・名鉄・市民応援組織等の連携によって更なる利用促進が図られ、西蒲線が地域住民の通学・通勤の足として、また地域の経済活動の基盤として存続してくれることを願ってやみません。
【インフラ】鉄道路線がどんどん消えている?日本の悲惨なインフラ実情とは。|大石久和のオンライン国土学ワールド
(今回の舞台)
(2023年12月24日)