2018年・新春/阿蘇神社に詣でる(阿蘇の神話とジオパーク)
★阿蘇の火山神、開拓神として広く尊崇されている健磐龍命。世界ジオパークにも登録されている『阿蘇ジオパーク』には、健磐龍命の神話が数多く遺されている。
穏やかな正月を迎えました。今年も「熊本国土学」を綴って参ります。
2018年・新春、阿蘇市一の宮町宮地に鎮座する「阿蘇神社」に詣でました。 阿蘇神社は、本ブログで幾度となく取り上げてきましたが、所在地名にあるとおり「肥後国一の宮」にして、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社です。社記によれば、初代神武天皇の孫神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ阿蘇十二明神を祀り、孝霊天皇9年(紀元前282年)創立という長い(約2300年の)歴史を有しています。 現在、阿蘇神社では、熊本地震で大きな被害を受けた社殿の復旧工事が進められています。比較的被害が軽かった楼門以外の重要文化財建造物5棟は、今年度中の復旧完了が見込まれており、倒壊した楼門(重要文化財)についても、解体工事が昨年11月迄に完了し、今後は2022年度中の再建を目指し、設計と部材の修復作業が本格化する予定です。
阿蘇神社公式ホームページ↓ http://asojinja.or.jp/
(阿蘇神社/2018年新春)
【火山神から開拓神へ】 健磐龍命は、古阿蘇湖(カルデラ湖)の「水を切って落して美田を開き、農耕の道を教え国土の開拓に尽くされ」た開拓神(農耕神)として、広く尊崇されていますが、もともとは「阿蘇火山の神」(火山神)であったようです。 「阿蘇火山の中岳火口は、古くから「神霊池・霊池・阿蘇大明神の神池」など時代とともに様々な、いわゆる神格化した呼称で呼ばれてきた。このように中岳火口を古くから池と呼んでいることは、火口内に水あるいは湯が溜まっている状態が長く続いていたことを物語る。その池には神が宿っていると思われていたので、神にちなんだ名が与えられ、火口へ登山することを御池参りと云って、信仰の対象となっていた。 火山活動で火山灰が多量に噴出される活動では、黒煙を蛇か龍にたとえ、それが池(火口)より天に昇り立つととらえていた。これは、自然に対する畏敬の念をいだいていたので、火口を信仰の対象とし、その結果、火山による災害を防ぐ役割をも担っていた。すなわち、古い昔の時代では、阿蘇火山は神の宿る山なので火山活動が活発するなどの異変が生じると、天下の凶兆とみなされ、飢饉疫病が生じると信じられていた。したがって、時の為政者は何らかの対策を打たねばならなかった。このため、阿蘇火山の火山活動は阿蘇神社から太宰府に古くから言上されてきた。言上された結果、阿蘇火山の神、すなわち健磐龍命に加増や栄進が与えられ、阿蘇神社の修理や新たな神社の建立などが行われた。」(阿蘇ジオパーク・オフィシャルサイトより引用) 「阿蘇の農耕祭事」(四季を通じて催される古式をよく伝承した農耕祭事。国指定の重要無形民俗文化財)は、開拓神(農耕神)である健磐龍命を祀る阿蘇神社にふさわしい祭事ですが、この中に含まれる「火振神事」(火をつけた茅の束を振り回し神様方の婚礼を祝う儀式。神事中境内は炎の輪で彩られ、幻想的な雰囲気に包まれる)などは、健磐龍命がもとは火山神(自然神)であったことを今に伝えています。
噴火活動と信仰(阿蘇ジオパーク・オフィシャルサイト)↓ http://www.aso-geopark.jp/mainsites/mainsite04.html
(道の駅「あそ望の郷くぎの」から阿蘇五岳を望む)
【阿蘇ジオパークをゆく】 この我が国を代表する活火山「阿蘇山」と世界最大級の規模を誇る「阿蘇カルデラ」をテーマとしたジオパーク(大地の遺産を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラム)が『阿蘇ジオパーク』。2014年には、世界ジオパークにも登録されています。 阿蘇ジオパークには、「阿蘇火山の大地と人間生活」というテーマを理解するための鍵となる、33ヵ所のジオサイト(ジオパーク内の見どころ)が点在しています。これらを巡ることで、阿蘇ジオパークの成り立ちや歴史、文化などを楽しく学ぶことができます。
阿蘇のジオサイト紹介(阿蘇ジオパーク・オフィシャルサイト)↓ http://www.aso-geopark.jp/geosites/geosites.html
(昨年10月に開通した阿蘇南登山道を走る)
(中岳火口と草千里ヶ浜)
(米塚)
(大観峰からの眺め)
【ジオサイトと阿蘇神話】 開拓神(農耕神)となった健磐龍命には、いくつもの神話が遺されています。立野峡谷ジオサイト(立野火口瀬)にまつわる「蹴破り伝説」もその一つ。 「その昔、阿蘇谷や南郷谷は外輪山にかこまれた大きな湖でした。伝説によれば、この湖の水を流し出し、人々の住む村や田畑をひらいた神様は健磐龍命だといわれています。 祖父である神武天皇の命をうけ、九州の中央部を治めるために阿蘇山へ来た健磐龍命は、外輪山の東の端から目の前に広がる湖を眺め、この水を流し出して人々の住む村や田畑をひらくことを考えました。そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたのですが、一度目に挑戦したところは山が二重になっていて、なかなか蹴破ることができません。以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになりました。 少し西の場所で再度挑戦すると、今度は見事に蹴破ることに成功しましたが、そのはずみで健磐龍命は尻もちをついてしまいました。「立てぬ」と叫び、以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになったといわれています。また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまったことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになったのだとか。水が引くと湖底から巨大なナマズが現れ、湖水をせき止めてので、健磐龍命は刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れていったのだといわれています。」(阿蘇ジオパーク・オフィシャルサイトより引用) これら健磐龍命ゆかりのジオサイトを含め、阿蘇ジオパーク内の見どころは、熊本地震の災害復旧ルート(ミルクロード、長陽大橋ルート、俵山トンネルルート、阿蘇南北登山道など)を通って、周遊することができます。
立野峡谷ジオサイト(阿蘇ジオパーク・オフィシャルサイト)↓ http://www.aso-geopark.jp/geosites/geosite29.html
阿蘇の神話(熊本県公式ホームページ)↓ http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_2132.html
阿蘇地域アクセスルートマップ(九州地方整備局)↓ http://www.qsr.mlit.go.jp/bousai_joho/tecforce/pdf/asoaccess
(豊後街道・二重峠2017.10)
(立野峡谷(立野火口瀬)を走る長陽大橋ルート)
(俵山トンネルルート:俵山大橋(仮橋)付近)
※2017年12月14日の鳥子地区の部分開通により、急カーブ・急勾配であった迂回路区間が解消しています。http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto_r/pdf/pressnews/18.pdf
(今回の舞台)
(2018年1月7日)
関連ページ(熊本国土学) <第2回>農耕の道を教え、国土の開拓に尽くされた肥後一の宮「阿蘇神社」(2016/03/27)