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「渥美線」の推しポイント<穂の国「東三河」⑧>

★通勤・通学路線として、また観光路線としても大活躍の豊鉄渥美線ですが、その歴史は長く、来年2024年(令和6年)で開業100周年を迎えます。


豊橋鉄道が運行するもう一つの鉄道路線「渥美線」

 豊橋市を代表する観光資源の一つ「市電(路面電車)」。そのあらましについては、第1回ブログ「交通の中心都市・豊橋と「市電」<『かがやく豊橋』①>」で紹介したところですが、この市電(路面電車)を運行している「豊橋鉄道」は、あと一つ鉄道路線を運行しています。それが、「豊橋鉄道渥美線(豊鉄渥美線)」です。

 豊鉄渥美線は、JR豊橋駅に隣接する「新豊橋駅」を起点として、豊橋市内を南西に進み、渥美半島の入口「三河田原駅」までの18kmを走る鉄道路線で、新豊橋駅~高師駅あたりまでは市街化された区域を走り、そこから先はどちらかと言えば田園風景が広がっている地域を走って行きます。

 起終点が豊橋市・田原市の中心部に位置していること、ターミナル(JR豊橋駅・豊鉄新豊橋駅)における他の路線・交通機関との乗り換えが比較的容易であること、渥美線沿線には愛知大学豊橋キャンパス、時習館高校、豊橋南高校などの文教施設が数多く立地していることもあって、豊鉄渥美線は通勤・通学路線として大きな役割を果たしています。



 渥美線|豊橋鉄道株式会社


豊鉄・新豊橋駅(豊橋市花田町)


愛知大学とのコラボ企画「渥美線推しポイント10連発」

 「愛知大学前駅」があるように、愛大生にとって豊鉄渥美線はとても身近な存在です。こうした御縁もあって、昨年(2022年)4月、豊橋鉄道と愛知大学(文学部メディア芸術専攻の学生らでつくる「豊鉄部」)が連携して、2本の豊鉄渥美線PR動画を制作、豊鉄ホームページに掲載しました。

動画は約3分間の「渥美線推しポイント10連発」と約1分間の「地域の足を支える公共交通」。前者の動画では、車窓から見た沿線の風景や車内の映像とともに、通学で利用する愛大生が気付いた渥美線のお薦めポイントがテンポ良く紹介されていきます。「01 つり革が低い」、「02 歴史がある」、「03 車掌さんのアナウンス」、「04 豊富なグッズ」、「05 景色を楽しめる」、「06 華やかな見た目」、「07 時刻表がわかりやすい」、「08 弱冷房車がある」、「09 バリアフリー」、「10 サイクルトレイン」。いずれも渥美線のPRポイントに違いありませんが、項目や説明内容によっては、思わず微笑んでしまう・・・ものもあったのではないでしょうか・・・(笑)。


 愛知大学×豊橋鉄道株式会社 連携事業「豊橋鉄道映像コンテンツ制作」|豊橋鉄道株式会社


豊鉄・愛知大学前駅(豊橋市北丘町)


観光路線として/カラフルトレインとサイクルトレイン

豊鉄渥美線は通勤・通学路線として大きな役割を果たしていますが、その一方で、渥美半島方面へ向かう旅行者にとっては、大変重要な観光路線でもあります。前出の「渥美線推しポイント10連発」で言えば、「04 豊富なグッズ」、「05 景色を楽しめる」、「06 華やかな見た目」、「10 サイクルトレイン」といった項目が、観光路線としての推しポイントになるでしょうか。

 豊鉄渥美線では、渥美半島を代表する花をテーマにしたイメージ色にカラーリングし、その花のヘッドマークを掲出した車両「カラフルトレイン」を運行しています。カラフルトレインの車内は、吊り革も花をデザインしたステッカーで装飾されています。

 列車(車内)に自転車をそのまま持ち込むことができる「サイクルトレイン」を運行していることも、豊鉄渥美線の大きな特徴です。温暖な気候の渥美半島は、農業や花の生産も盛んで、春の菜の花など季節の景色を堪能することが出来る東三河(愛知県内)屈指の観光スポット。サイクルトレインを利用して三河田原駅を起点に自転車で出発すれば、伊良湖岬を含む風光明媚な渥美半島のサイクリングを楽しむことが出来ます。


 カラフルトレイン|豊橋鉄道株式会社


 サイクルトレイン|豊橋鉄道株式会社


 豊橋鉄道渥美線ガイドブック|豊橋鉄道株式会社


カラフルトレイン「菜の花」


豊鉄・三河田原駅(田原市田原町)


菜の花まつり(田原市堀切町)


伊良湖岬灯台、恋路ヶ浜、幸せの鐘(田原市伊良湖町)


太平洋ロングビーチ(田原市赤羽根町)


蔵王山展望台(田原市浦町)から三河港を見下ろす


渥美線の歴史/渥美半島と外界をつなぐ鉄道の物語

 通勤・通学路線として、また観光路線としても大活躍の豊鉄渥美線ですが、その歴史は長く、来年2024年(令和6年)で開業100周年を迎えます。

 田原市教育委員会・田原市博物館・中日新聞社が主催した三河田原駅開業90周年企画展(平成26年12月6日~平成27年2月1日)の冊子『渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄道の物語』他によると、豊鉄渥美線の前身である「渥美電鉄」が、師団口駅(現在の愛知大学前駅)〜田原駅(現在の三河田原駅)間を開業したのが1924年(大正13年)。その後、1927年(昭和2年)までに、起点側は新豊橋駅まで、終点側は三河田原駅より2.8km先の黒川原駅まで延伸されました(計20.8km)。

 この時点で、渥美鉄道には、さらに渥美半島西部の中心地・福江まで路線を延伸する計画がありましたが、資金難等でこの計画は実現することはありませんでした(渥美鉄道未成線)。

 一方で、1934年(昭和9年)には、旧鉄道省(国鉄)による半島先端部(伊良湖岬)までの新たな鉄道敷設が決まります。その背景には、陸軍伊良湖試験場(射場)に物資輸送をしたい陸軍の意向があったといわれています。同区間は実際にある程度工事が進んだものの、戦局悪化によって工事は中断され、その後再開されることはありませんでした(旧鉄道省(国鉄)未成線)。

 こうした渥美線延伸計画の挫折と並行して、1940年(昭和15年)に渥美鉄道は合併で名鉄(名古屋鉄道)渥美線になり、さらに1944年(昭和19年)には三河田原駅〜黒川原駅間(2.8km)が不要不急路線として休止になりました。

 戦後、1954年(昭和29年)に名鉄は新豊橋駅~三河田原駅間を豊橋鉄道に譲渡、現在の豊鉄渥美線がスタートしましたが、黒川原駅〜三河田原駅間は名鉄線として休止のまま廃止されました。


 1924年(大正13年)に開業した「師団口駅」の名称変更の歴史が、この鉄道路線(渥美線)の役割の変化を端的に示しています。最初は、この地には陸軍第15師団があったので「師団口駅」でしたが、1943年(昭和18年)に陸軍第15師団がビルマの第15軍に編入されたため「高師口駅」に改称されます。その後1944年(昭和19年)に駅は休止。戦後、旧陸軍第15師団跡地で開校していた愛知大学豊橋校舎までのスクールバスが廃止されたため、1971年(昭和46年)になって豊橋鉄道が「大学前駅」として営業を再開。2005年(平成17年)に「愛知大学前駅」に改称されたのでした。


『渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄道の物語』



(今回の舞台)


(2023年05月21日)

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