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香取海/霞ヶ浦の恩恵

★古代から現在に至るまで、先人たちは香取海/霞ヶ浦に働きかけ、その豊かな恵みを享受してきました。古代、蝦夷の地・進出の拠点、鹿島・香取両神宮の湊としてヤマト王権を支えた内海は、現在、わが国の農業、工業、研究開発を支える水資源として大いに活用されています。


■武神を祀る鹿島神宮と香取神宮

 常陸国一宮の鹿島神宮は、古くは『常陸国風土記』に鎮座が確認される東国随一の古社で、日本神話において、国土を開拓した大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)に「国を譲ってほしい」と〝国譲り〟の交渉を行った武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祭神とします。

 一方、利根川を挟んで相対する場所に鎮座される下総国一宮の香取神宮も、武甕雷大神とともに〝国譲り〟の交渉を行ったとされる経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祭神としており、鹿島・香取両神宮は、古代には朝廷(ヤマト王権)から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬されていました。さらに、その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬されてきました。


 鹿島神宮↓


 香取神宮↓


■蝦夷の地・進出の拠点となった香取海、その地形と重要な役割

 それでは、なぜ蝦夷の地・進出の拠点として、この地が選ばれたのでしょうか。それは当時、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯には香取海(かとりのうみ)と呼ばれる内海が広がっており、水上交通が盛んであった古代においてこの地が交通の要衝となったためです。

 古代、常陸国は東海道(駅路、行政区分)の終点に位置していましたが、房総半島は〝海の難所〟であり、そこを超えた地点となる香取海は大きな意味を持っていました。加えて香取海は内陸まで入江が広がる優れた港湾でもありましたから、まさに水上交通と陸上交通の結節点として、重要な役割を果たしていたのです。この内海に面して、鹿島・香取両神宮は鎮座されていました。いずれも神郡(そこで行われる神祀りを国家的に保障する地域)を持ち、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として陸奥国沿岸部の各地で祀られていきました。

 現在も鹿島神宮には北浦に一之鳥居(水上鳥居)があり、海の玄関口となっています。また、両神宮は12年に一度「御船祭」を行いますが、ここにも交通の要衝であった面影が残されています。


■香取海から霞ヶ浦へ、人と自然による働きかけの歴史

古代から中世にかけて、銚子方面から海が内陸部に深く入り込む大きな入江(香取海)の一部だった霞ヶ浦。それが現在のような淡水湖の姿になったのは、江戸時代中期のことです。川の運ぶ土砂などによって海との間がせき止められ徐々に現在の姿に近づき、さらに利根川の東遷(東京湾に注いでいた利根川を現在の銚子を河口とする川筋に瀬替えした)が行われた結果、霞ヶ浦の南東部に運ばれる土砂の量が増え、17世紀中頃には海水との連絡が悪くなり淡水化した湖となり、それから「霞ヶ浦」という名も定着したと言われています。

 一方で、利根川の東遷により、霞ヶ浦を含めた利根川水系は関東平野に巨大な水上交通網を形成し、関東地方だけでなく、外海ルートと結ばれた津軽や仙台など陸奥方面からも物資が盛んに行き交うようになりました。明治になると蒸気船が就航し、水上交通はますます盛んになっていきましたが、明治29年の常磐線の開通を封切りに鉄道の整備が進み、またその後バスやトラックなどの陸上交通も登場し、水上交通は幹線輸送の手段としては鉄道・自動車に主役を譲ることになりました。


 霞ヶ浦の生い立ち(茨城県霞ケ浦環境科学センター)↓


■私たちの暮らしを支えている霞ヶ浦の豊かな恵み

 現在、霞ヶ浦(霞ヶ浦(西浦)、北浦、鰐川、常陸利根川、横利根川の5河川の総称)の流域は、茨城県、栃木県、千葉県の3県の18市5町1村からなり、流域内人口は約95万人にのぼります。

<農業、漁業>

 霞ヶ浦では、湖面積の約1割にあたる2,660haが干拓されてきた歴史があり、現在でも霞ヶ浦周辺は有数の穀倉地帯となっています。また、霞ヶ浦から筑波山をトンネル水路で通過し茨城県南西部へ灌漑用水や都市用水を供給する事業(霞ヶ浦用水事業)の成果を含め、茨城県は水稲栽培で全国第5位となっています。さらに、湖周辺では特産品のレンコンの出荷量が日本一を誇るなど、農業が盛んです。

 漁業に関しても、古くから大徳網や帆引き網など様々な漁法を駆使し、豊かな資源を対象とした漁業が行われ、現在でも全国湖沼漁獲量の約6%を占めています。

<工業、研究開発、自然環境・水郷景観>

 霞ヶ浦の西には、高水準の研究と教育を行うための拠点の形成を目的に国家プロジェクトとして建設された筑波研究学園都市が、北浦の東には、鹿島臨海工業地帯が立地しています。

 また、流域の約16%は水郷筑波国定公園に指定される等、自然環境に恵まれ、豊かな水郷景観を有するとともに、様々な水利用が行われています。

 現在、霞ヶ浦と利根川、那珂川の間を主に地下トンネルで結び、その時々で水量に余裕がある水系から他水系へ相互に送水する事業(霞ヶ浦導水事業)が進められていますが、これにより渇水対策など水資源の確保、水戸市内にある那珂川水系の千波湖を含めた水質浄化などを図ることが期待されています。


 霞ヶ浦(国土交通省)↓


 霞ヶ浦の干拓(関東農政局)↓


 霞ヶ浦用水事業について(茨城県)↓


 茨城県 霞ヶ浦用水事業―水土の礎(農業農村整備情報総合センター)↓


 霞ケ浦の輪郭(茨城県霞ケ浦環境科学センター)↓


 霞ヶ浦導水事業の概要(霞ヶ浦導水工事事務所)↓


 古代から現在に至るまで、先人たちは香取海/霞ヶ浦に働きかけ、その豊かな恵みを享受してきました。古代、蝦夷の地・進出の拠点、鹿島・香取両神宮の湊としてヤマト王権を支えた内海は、現在、わが国の農業、工業、研究開発を支える水資源として大いに活用されています。


香取海(現在の霞ヶ浦)


鹿島神宮・一之鳥居


鹿島神宮・本殿


香取神宮・拝殿


古代・関東地方の地勢と香取海(印旛沼環境基金HPより)


利根川東遷事業と現在の利根川(印旛沼環境基金HPより)


霞ヶ浦


(今回の舞台)


(2022年1月16日)

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