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風土記と令和の時代。豊かな郷土を支える交通インフラ

★風土記に記された常陸国と令和時代の茨城県。いずれも日本を代表する豊かな土地(国/県)ですが、それらは当地の地理的条件と交通インフラによって支えられていま(した)す。


 常陸国(現在の茨城県の大部分)の往時の姿を令和の今に伝える貴重な文化遺産『常陸国風土記』。今回は、常陸国風土記に記された古代人のメッセージを振り返るとともに、現在の茨城県の県土や県民の暮らしを見つめ直したいと思います。


『常陸国風土記』とは

 常陸国風土記は、奈良時代初期に編纂された常陸国(ひたちのくに)の地誌で、総記の後、常陸国の各郡(新治・筑波・信太・茨城・行方・香島・那賀・久慈・多珂の9郡)ごとにその地の特色などが記載されており、当時の人々の生活の様子や考え方についても断片的にうかがい知ることができます。また、記では、倭武天皇(日本武尊:やまとたけるのみこと)が幾度も登場することや、神々の記述が多いこと、特に香島の大神(鹿島神宮)が鎮座する香島郡の記述に力が込められていることなど、原始・古代の伝承、朝廷による中央集権化の過程等が記録され、郷土の歴史の原点ともなっています。ちなみに、記の編纂は、常陸国守であった藤原宇合(不比等の三男)によると言われています。


常陸国の政治史的立ち位置とその名の由来

 常陸国は、大化改新(645年)により設置され、新治、白壁(真壁)、筑波、河内、信太、茨城、行方、香島(鹿島)、那賀(那珂)、久慈、多珂(多賀)の11郡で構成されていました。また、古代にあって常陸国は、東海道(行政区分であると同時に、五畿七道駅路の一つで、畿内から常陸国国府(現在の石岡市)へ至る)の最東端に位置し、東北(蝦夷)経略の基地として重要視されていました。

 記では、常陸国の名の由来には、「直通(ひたみち)説」と、「衣袖漬(ころもでのひたち)説」の2説があるとされています。

(1)往来する道が川や海の船着き場に隔てられておらず、郡や郷の境界に山河の峰谷が続いていて、直通(ひたみち=続きに続く道)という意味でこの名が付いた。

(2)別の説では、倭武天皇が東夷の国を巡狩し、新治県を過ぎた時に国造の毗那良珠命を派遣して新たに井戸を掘らせたところ、流れる泉が清く澄んでおり、とても新鮮であった。その時、倭武天皇は乗輿を止めて水を褒め、手を洗うと衣の袖が泉に垂れて濡れた。よって、袖を浸すという意味によって この国の名とした。土地の諺にある「筑波岳に黒雲かかり、衣手でひたちの国」は これに由来する。


常世の国(とこよのくに)

 また、記では、この時代の常陸国は、土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだと評されています。

<そもそも常陸国の堺は広大で、土地もまた遥かに遠く、土はよく肥えており、開墾された場所では山海の幸が得られたことから、人々は安らかであり、家々は賑わっていた。もし、耕作や紡績に励めば立ちどころに富み、自然に貧窮から脱却できる。ましてや、塩を求め魚を味わうなら、左は山で右は海である。桑を植え麻の種を蒔くなら、後ろは野で前は原である。いわゆる水陸之府蔵で、物産は豊かである。古の人が常世国(とこよのくに)と言ったのは この国のことかもしれない。>

 この国が豊かであったことは、各郡ごとの地誌記述からも読み取ることが出来ます。

■新治郡:新しく掘った井戸から浄い水が流出している。

■筑波郡:筑波岳の自然美を讃え、人々に与える豊穣の限りなきことを主張する。

■信太郡:鹿などの狩猟にめぐまれ、浜では多くの海苔がとれる。

■茨城郡:高浜の海には信筑の川が流入して、格好の男女の集う場所となっている。

■行方郡:行方の海には鯨を除いてあらゆる海産物が生息している(など多数の記述あり)。

■香島郡:香島の天の大神(鹿島神宮)への奉祀を中心とした楽園である。

■那賀郡:河内の駅家の南に曝井という泉があって、村の婦女にたいそう便宜を与えている。

■久慈郡:密筑の里の浄泉に男女が集い、海山の珍味は限りがない。

■多珂郡:海は大漁で、種々の珍味がとれる。


常陸国の古代交通路

 常陸国風土記には、古代の交通路に関する記述も含まれています。

 古代の日本では、中央集権体制を確立するため、都を中心に放射状に延びる幹線道路の整備が行われました。これを駅路といい、約 16kmごとに駅家(うまや)が設けられました。駅路は、目的地を最短距離で結ぶため、可能な限り直線的に作られ、幅は 12mにも及んだことが発掘調査からわかっています。

 このうち、常陸国は東海道の終点に位置しており、記が編纂された頃の東海道駅路は、鎌倉以東、三浦半島~浦賀水道~房総半島(上総国富津)~上総国府(現在の千葉県市原市)~下総国荒海駅(同成田市)~★香取海★~常陸国榎浦津駅(同稲敷市)~常陸国府(茨城県石岡市)というルートであったようです。

 当時、現在の霞ヶ浦は「香取海(かとりのうみ)」と呼ばれる大きな入り海をなしており、鹿島神宮と香取神宮の目前まで広がっていました。そして、この香取海を横断して、船で東海道を渡っていたということです。

常陸国風土記の信太郡には、「榎浦津あり。すなはち駅家を置けり。東海の大道にして常陸路の頭なり。所以に、伝駅使等、初めて国に臨まむとするに、先づ口と手とを洗ひ、東に面きて香島の大神を拝がみて、然して後に入ることを得。古老曰へらく、倭武の天皇、海辺を巡幸して、行きて乗浜に至りたまひき。時に浜浦の上に、多に海苔を乾す。是に由りて能理波麻(のりはま)の村と名づく。」と記されています。古代、香取海の周辺は香取・鹿島両神宮の神郡であり、陸奥国への要衝、朝廷の蝦夷経営の拠点でありました。

 なお、記には、榎浦津(信太郡)のほか、曽尼(行方郡)、板来(同)、平津(那賀郡)、河内(同)、助川(久慈郡)、藻島(多珂郡)、大神(新治郡:逸文)という駅家の名称も見られ、常陸国では、これらの駅家を繋ぐ道路網が整備されていたと考えられます。


 衣袖漬常陸國風土記 - 大日本真秀國 風土記↓


 常陸国風土記 現代語訳 - 人文研究見聞録↓


 常陸国風土記1300年記念 - 茨城県↓


東海道駅路(古道が常陸国風土記時代のルートを示す)


令和の茨城県の特徴

 現在の茨城県は、常陸国風土記の対象エリア(常陸国全域)と下総国猿島郡・結城郡・豊田郡・岡田郡の全域および相馬郡・葛飾郡・香取郡の一部から成り立っています。県土面積は6,094km2で、国土の約1.6%(全国24位)ですが、可住地面積では全国4位となっています。また、県の人口は2,839,227人(2021年10月1日)で、日本の総人口の約2.3%(全国11位)ですが、人口20万人以上の都市は県都・水戸市とつくば市の2つしかなく、特定の都市に集中せず県域全体に広く人口が分布している点も特徴です。

 経済・産業面では、『常陸国風土記』で「常世の国」と謳われたように、茨城県は現在も日本屈指の農業地帯。農業産出額(2019年)は4,302億円で、北海道、鹿児島県についで全国3位となっています。また、東京都中央卸売市場での茨城県産青果物取扱高(2020年)は562億円で、17年連続で全国1位となっています。

 一方、製造品出荷額等(2019年)は12兆5,812億円で、愛知県、神奈川県、静岡県、大阪府、兵庫県、埼玉県についで全国7位となっています。また、県内の地域別では、県北地域 2兆7,305億円(21.7%)、県央地域6,425億円(5.1%)、鹿行地域2兆3,915億円(19.0%)、県南地域3兆3,939億円(27.0%)、県西地域3兆4,228億円(27.2%)と、県域全体に広く工場立地が進んでいることがわかります。


 地域ごとの特徴は以下の通りです。「茨城を知る KNOW ABOUT IBARAKI - Re:BARAKI」が明瞭にまとめてくれています。


【県北エリア】ノスタルジーな雰囲気漂う海と山の魅力が凝縮!

 海と山に囲まれた県北エリアは、変化に富んだ海岸線や、清流、山並み、渓谷など豊かな自然にあふれた美しい景観が魅力。連続テレビ小説「ひよっこ」の奥茨城村の舞台としても注目を集めた、どこかなつかしさを感じるエリアです。各地で温泉が楽しめるほか、キャンプやマリンスポーツなどのアウトドアを楽しめる場所も豊富にあります。豊かな自然環境を満喫したい方にうってつけのエリアです。


【県央エリア】歴史と芸術・文化が香る県の中心エリア

 県都水戸がある県央エリアは、茨城県の行政・経済・文化の中心。鉄道、高速道路などの結節点であるほか、港湾、茨城空港などがあり、交通の要衝となっています。また、偕楽園・弘道館などの茨城を代表する歴史的資産のほか、美術館、芸術館も多く立地し、文化の香り豊かで県内最大の観光の集積を誇ります。一方で、茨城町や城里町には田園・里山の風景が広がり、農業も盛んであるため、農のある暮らしを送りたい方にもオススメです。


【鹿行エリア】湖と海に面したマリンスポーツとサッカーのメッカ

 霞ヶ浦・北浦と太平洋に面し豊かな水辺空間が広がる鹿行エリア。鹿島神宮や水郷潮来など名高い観光資源がある一方、鹿島臨海工業地帯を擁し、東京から高速バスが最短10分間隔で運行するなど、都心へのアクセスも良好です。メロンやピーマンなど日本一の産出額を誇る品目も多い農業の一大産地であるほか、水産業も盛んです。海に面したライフスタイルを望んで移住する人も多くいます。


【県南エリア】洗練された都市生活と田舎ぐらしのいいとこどり

 秋葉原からつくばまで最速45分の「つくばエクスプレス」の開通などで、新しい街並みが広がり、県内で最も発展が著しいエリア。一方で筑波山や霞ヶ浦などの雄大な自然が広がっており、自然と都市が調和したライフスタイルが送れます。また、つくば霞ヶ浦りんりんロードや石岡・八郷地区のスカ イスポーツなどスポーツ・レクリエーション環境も充実。石岡市周辺は、梨やぶどうなどの果樹の産地として知られています。


【県西エリア】農業の大産地と受け継がれる伝統工芸のふるさと

 栃木県と埼玉県に隣接する県西エリアは、都内へのアクセスが良好で、企業の立地も相次いでいます。また、筑波山の西側には広大な農地が広がり、坂東のレタスやねぎ、八千代のハクサイ、筑西のこだますいか、下妻の梨など茨城県を代表する青果物が育つ県内屈指の園芸産地となっています。結城や真壁には昔からの街並みが今も残り、結城紬や真壁の石灯籠など茨城の誇る伝統工芸も受け継がれています。


 エリア別の紹介/茨城を知る/ KNOW ABOUT IBARAKI - Re:BARAKI


活力ある経済・産業、魅力ある県土を支えている交通インフラ

 こうした茨城県の活力ある経済・産業、魅力ある県土を支えているのが交通インフラです。県内には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)、常磐自動車道、北関東自動車道、東関東自動車道水戸線の4つの高速道路ネットワークが張り巡らされています。また、茨城空港、茨城港(日立港区、常陸那珂港区、大洗港区)、鹿島港の重要港湾を擁するとともに、秋葉原~つくば間を最短45分で結ぶつくばエクスプレス(TX)をはじめ、多様な鉄道網を有しており、さらなる利便性の向上が図られています。

 茨城県では近年、地域活性化につながる企業誘致を加速させていますが、その切り札になっているのが、首都圏や北関東への圧倒的に優位な交通アクセス条件です。交通インフラの整備とあわせて、国内有数の広大な産業用地や1社あたり最大50億円となる全国トップクラスの補助制度を武器にした誘致活動が実を結び、工場のほか、研究所や本社などの移転を決める企業が続出しています。2020年の工場立地件数は65件で全国1位(工場立地面積では北海道に次いで全国2位)。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けたものの、圏央道沿線地域への進出が引き続き活発化したことで企業誘致を優位に進めることができたようです。


茨城県内の主要交通ネットワーク(東洋経済オンラインより)


袋田の滝、筑波山、筑波山神社、霞ヶ浦、鹿島神宮


(今回の舞台)


(2022年1月2日)

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