茨城県の鉄道・今昔
★通勤・通学の交通手段として、観光交通を支える基幹インフラとして、県内の鉄道は重要な役割を果たしており、その維持・更新は地域の最重要課題の一つと言えます。
1868年に成立した明治政府は、版籍奉還や廃藩置県を通して中央集権国家体制を固め、富国強兵や殖産興業の理念のもと、新しい国家づくりを進めていきました。この時代、産業革命により近代化が進んでいた欧米諸国の技術を積極的に導入することによって、わが国のインフラ整備は飛躍的な発展を遂げました。
なかでも、鉄道整備は別格。1870~1874年(明治3~7年)までのインフラ投資シェアをみると、河川整備が14.4%、道路整備が8.6%であったのに対し、鉄道整備はなんと77%にも上りました。その後も、明治期を通して、鉄道整備はインフラ投資全体の5割前後のシェアを占め続けました。
その結果、わが国の鉄道は、1872年(明治5年)の新橋・横浜間の開通を第一歩として、明治末期までに、ほぼ全国の幹線鉄道網が整備されるに至りました。また、この間、1881年(明治14年)に発足した日本鉄道会社を始めとした私設鉄道も数多く建設され、一時期、私設鉄道建設ブームが訪れることとなりましたが、1892年(明治25年)に設立した「鉄道敷設法」により、鉄道建設は官設を建前とし、長期的展望にたって、これを推進する方針が確立しました。さらに、日露戦争後、1906年(明治39年)の「鉄道国有法」により私設鉄道の買収が実施され、明治末期においては全国の鉄道の9割余を官設鉄道が占めることとなりました。
明治政府は、国内各地を鉄道で結び、国としての一体感を高めることを優先すべき価値と認識していました。
日本鉄道史(国土交通省)↓
明治政府におけるインフラ投資の推移
茨城県の鉄道整備の歴史
茨城県下に鉄道が整備されたのは1885年(明治18年)。7月16日に、日本鉄道(現在のJR東日本・東北本線)大宮駅-宇都宮駅間が開業しましたが、この時、茨城県内初の鉄道駅として「古河停車場」が設置されました。当時は、利根川の架橋は完了しておらず、この区間には鉄道連絡船が運行していました。
茨城県内で「線」としての鉄道路線が整備されたのは水戸鉄道(現在のJR東日本・水戸線)。1889年(明治22年)に小山駅-水戸駅間が開業しました。ただ、水戸鉄道は1892年(明治25年)に日本鉄道に買収されてその支線となり、1895年(明治28年)に土浦から友部に土浦線(別名:海岸線、現在のJR東日本・常磐線)が整備されるにあたり、友部駅-水戸駅間は実質的にその一部となりました。なお、水戸鉄道のルート決定に当たっては、北線と南線で大論争がまきおこった(結果、北線が選択された)ことが記録されています。
鉄道の時代に描いた夢(石岡市立ふるさと歴史館第9回企画展)↓
常磐線は、国内屈指の採掘量を誇った常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的として、日本鉄道会社によって建設されました。1895年(明治28年)開業の土浦駅-水戸駅間(土浦線)を皮切りに、翌1896年(明治29年)に田端駅-土浦駅間(土浦線)、翌々1897年(明治30年)には水戸駅-平駅間(磐城線)が開業し、1898年(明治31年)には田端駅(起点)から終点の岩沼駅(宮城県)までが全通しました。ちなみに、南千住駅に隣接する隅田川駅は、1896年の土浦線開業と同時に開設された貨物専用駅で、常磐線のルーツを後世に伝えています。常磐線は、その後1906年(明治39年)に国有化され、茨城県内の主要幹線として人流・物流を支えただけでなく、明治期から戦前の日本経済を牽引しました。
西日暮里「謎の踏切」が物語る常磐線のルーツ 「貨物線」が日本経済を支えた(DANRO)↓
常磐線や水戸線だけでなく、明治・大正・昭和を通して、茨城県内では様々な鉄道路線が敷設されました。現在も運行されている「JR東日本・水郡線」「JR東日本・鹿島線」「鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線」「ひたちなか海浜鉄道・湊線」「関東鉄道・常総線/龍ケ崎線」「真岡鉄道」や、既に廃線となった「鹿島鉄道・鉾田線(石岡駅-鉾田駅間)」「筑波鉄道・筑波線(土浦駅-岩瀬駅間)」「茨城交通・茨城線(赤塚駅-御前山駅間)」「日立電鉄線(常北太田駅-大甕駅-鮎川駅間)」などが該当します。
茨城県の廃線(鉄道歴史地図)↓
茨城県内鉄道路線図(bsiいばらき路線バス案内所)
茨城県内の現代鉄道事情/運賃が高くても、台風で被災しても・・・
茨城県の鉄道では、昔も今も、県内を南北に縦貫する「常磐線」が中心的な役割を担っています。物流(貨物輸送)を支えるという役割は、戦後、道路(自動車交通)に主役の座を譲り渡しましたが、通勤・通学や観光などの人流(旅客輸送)を支えるという意味では、今もその役割は健在です。特急「ひたち」と「ときわ」が30分~1時間毎に行き来し、これらの特急はホームライナー的な役割も果たしているため、東京通勤圏内を茨城県南部まで広げるのに大いに貢献してきました。
この常磐線に比べると、他の路線(水戸線、水郡線、鹿島線、鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線、関東鉄道・常総線/龍ケ崎線、真岡鉄道)はいずれも、ローカル線としての色合いが濃くなっていますが、地域の通勤・通学を支える日々の交通手段として、また、首都圏を始めとする県外からの観光交通を支える基幹インフラとして、重要な役割を果たしています。JR山手線や東京メトロ、首都圏の私鉄(京王電鉄、東急電鉄、小田急電鉄、京成電鉄、京急電鉄、東武鉄道、西武鉄道など)と比べると利用者が少なかったり、また、建設年が新しかったりするため、運賃はどうしても高くなりがちですが、その維持・更新は地域の最重要課題の一つと言えます。
そしてこれは、自然災害発生リスクに対しても言えることです。奥久慈清流ラインという呼び名の通り、観光路線としても魅力のある水郡線は、2019年10月の東日本台風(台風19号)の大雨の影響で、久慈川に架かる茨城県大子町の鉄橋が流される甚大な被害を受け、袋田駅―常陸大子駅間で運転の見合わせが続いていました。が、2021年3月27日、約1年5カ月ぶりに全線で運転が再開され、ようやく地域住民の方々の安堵した笑顔を見ることができたのでした。
鉄道事業者の運賃比較 別表 (2020年6月版)(Desktoptetsu )↓
「お帰り」JR水郡線、全線で運転再開 台風19号から1年5カ月(茨城新聞)↓
奇跡のローカル線「ひたちなか海浜鉄道・湊線」
鹿島臨海鉄道と並ぶ、県内もう1つの第三セクター「ひたちなか海浜鉄道」が運営する湊線は、勝田駅―阿字ヶ浦駅間の14.3kmを結ぶ、全線全駅がひたちなか市内にある小さな路線で、もともとは茨城交通が営業する鉄路だったところ、廃止の危機を第三セクター化することで生きながらえた鉄道路線です。
2008年(平成20年)の第三セクター転換にあたり、富山県の高岡市と射水市を結ぶ第三セクター鉄道「万葉線」を活性化させた手腕を買われた同鉄道の吉田千秋氏が、全国公募で初代社長に迎えられ、吉田社長の指揮の下、地道な営業活動や通学時間帯の増便、接続するJRに合わせた最終列車繰り下げなどの利便性向上策が功を奏し、経営が大幅に改善。2021年(令和3年)1月には、国土交通省大臣から湊線を国営ひたち海浜公園(初夏のネモフィラ、秋のコキアで知られ年間200万人が訪れる県内屈指の観光地)西口まで3.1km延伸する事業許可がおりました。
このように、躍進する「ひたちなか海浜鉄道・湊線」は、鉄道関係者から「奇跡のローカル線」と呼ばれ、全国の地方鉄道にとって再生のモデルケースになると注目を集めています。
ひたちなか海浜鉄道株式会社↓
茨城発 奇跡のローカル線 ひたちなか海浜鉄道躍進の鍵は地元重視(茨城新聞)↓
奇跡のローカル線「ひたちなか海浜鉄道」社長が語る「猫の相棒」と「延伸計画の勝算」(文春オンライン)↓
国営ひたち海浜公園↓
つくばエクスプレス(TX)の開通効果とリダンダンシー
これまでのところで、あえて記述しなかった県内鉄道路線が1つあります。それが2005年(平成17年)に開業した「つくばエクスプレス(TX)」。つくばエクスプレスの開業により、つくば駅~秋葉原駅間が約45分で移動可能となり、つくば研究学園都市から東京都心へのアクセス性が飛躍的に向上するとともに、沿線自治体の人口増加や地価水準の上昇、分譲住宅の供給ラッシュといった効果が生まれています。
そして、つくばエクスプレスの開業は、茨城県南部の鉄道事情を一変させました。それまでは、茨城県民が東京都心に出ようと思えば、実質、常磐線一択しかありませんでした。水戸線で小山に出てそこから宇都宮線(東北本線)に乗り換えるルートも、鹿島線から成田線に乗り継ぐルートも無いわけではありませんが、大半の人々は常磐線に乗って東京都心に出る。それが茨城県の鉄道の常識でした。
しかし、つくばエクスプレスの開業は、常磐線と関東鉄道・常総線に挟まれた交通空白地を埋め、沿線をベッドタウン化することとなりました。守谷駅で関東鉄道・常総線と接続することで、関東鉄道沿線の人々は、常磐線ではなくつくばエクスプレス経由で東京都心に出ることができるようになったのです。これは千葉県内に入っても同様で、つくばエクスプレスは、東武野田線(流山おおたかの森駅で接続)やJR武蔵野線(南流山駅で接続)のあり方を変容させました。
コロナ禍の影響で、つくばエクスプレスの利用者数はここ2年間こそ低迷していますが、それまでは開業以来右肩上り、沿線住民も増加しており、つくばエクスプレスは茨城県の鉄道の主役の座を常磐線から奪いつつあります。
さらに、大規模災害発生時には、常磐線の代替路線(第二の都心直結路線)として機能することも期待されます。これは逆の事象になりますが、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震をつくばエクスプレス車内で経験した私は、帰宅避難民として万博記念公園駅近くの小学校の体育館で一夜を明かした後、翌朝、関東鉄道バスを乗り継いで取手駅まで移動し、再開した常磐線経由で川崎市にある自宅までたどり着くことが出来たのでした。
つくばエクスプレス(TSUKUBA EXPRESS)↓
筑波研究学園都市と東京一極集中問題の今昔(茨城国土学)↓
常磐線とつくばエクスプレス(wikipedia)
JR常磐線特急「ひたち」、ひたちなか海浜鉄道湊線、関東鉄道常総線、つくばエクスプレス(TX)
JR水郡線、JR常磐線、JR常磐線・水戸線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線
国営ひたち海浜公園とコキア
(今回の舞台)
(2022年3月20日)