濃尾地震の記憶<愛知の歴史災害③>
★愛知県内には、近代日本が遭遇した初めての巨大地震「濃尾地震」の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれている場所が沢山あります。
熊本地震を経験して
平成28年4月14日21時26分、熊本地方を震央とするマグニチュード(Mj)6.5の地震が発生(前震)。さらに、その28時間後の4月16日1時25分にはMj7.3の地震が発生し、益城町と西原村で震度7を観測しました(本震)。14日の地震は日奈久断層帯、16日の地震は主に布田川断層帯のそれぞれ一部の区間が活動したものと考えられています。
延べ4,000回を超える余震による影響を含め、「熊本地震」は熊本~阿蘇周辺地域に甚大な被害を与えました。多数の家屋倒壊や土砂災害による人的被害、電気・ガス・水道などのライフラインへの被害のほか、空港・道路・鉄道などの交通インフラにも甚大な被害が生じ、県民生活や中小企業、農林漁業や観光業などの経済活動にも大きな支障が生じました。
熊本地震では、活断層で発生する地震の恐ろしさをあらためて認識させられました。
熊本地震から2年、改めて国土教育について考える(JICE REPORT vol.33 寄稿/2018.07)
陸域の浅い地震と活断層
地球の表面は十数枚の巨大な板状の岩盤(プレート)で覆われており、それぞれが別々の方向に年間数cmの速度で移動しています(プレート運動)。
日本列島周辺では、複数のプレートがぶつかりあっており、岩盤の中に大きなひずみが蓄えられています。そのため、海のプレート境界やプレート内のほか、陸域の浅い所(深さ約20kmより浅い所)でも多くの地震が発生します。これを「陸域の浅い地震」と呼びます。
過去に繰り返し地震を起こし、将来も地震を起こすと考えられている断層を「活断層」と言います。
日本の周辺には約2,000もの活断層があり、それ以外にもまだ見つかっていない活断層が多数あると言われています。
私が現地で経験することになった平成28年(2016年)熊本地震はほんの一例でしかなく、死者・行方不明者6,437人などの甚大な被害が生じた平成7年(1995年)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や、今回のテーマである明治24年(1891年)濃尾地震をはじめ、わが国ではこれまでに活断層の動きによる数多くの大地震が発生しています。
明治以降の近代日本が遭遇した初めての巨大地震「濃尾地震」
明治を代表する交通インフラである日本鉄道の上野~青森間が開通(9月)した「1891年(明治24年)」の10月28日午前6時38分、濃尾地震は発生しました。
地震の規模を表すマグニチュードは、内陸地震としては最大級の規模(M8.0)で、震源断層付近および濃尾平野北西部は現在の震度7に相当する強烈な揺れとなり、岐阜県・愛知県を中心として甚大な被害が発生しました(倒壊家屋14万戸以上、死者7,000人以上)。
この時、岐阜県根尾村(現在は本巣市)に現れた段差6mの断層崖は世界にも紹介され、断層運動と地震との関連を強く印象づけるものとなりました。
また、この濃尾地震を切っ掛けとして、明治政府は翌1892年(明治25年)に日本人の委員のみによって構成される「震災予防調査会」を発足させ、地震や防災に関する幅広い調査・研究(地震予知、建物の耐震性向上、過去の地震史の編纂など)をスタートさせました。この調査・研究機関こそが、世界に冠たるわが国の地震防災科学の舵取り役として重要な役割を果たしていくことになります。
このように、濃尾地震は、明治以降の近代日本が遭遇した初めての巨大地震であり、かつ、わが国における地震防災研究の出発点になりました。
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(1891濃尾地震)|内閣府防災情報のページ
過去の災害に学ぶ(1891(明治24)年濃尾地震)|内閣府防災情報のページ
濃尾地震|国立科学博物館地震資料室
愛知県内にある濃尾地震の記憶
濃尾地震による愛知県内の被害は、死者2,638名、家屋全壊85,511棟、家屋半壊55,655棟に及ぶとともに、濃尾平野の広範囲において、堤防の決壊、ため池の破壊、道路・橋梁の損壊、田畑の隆起・陥没、地割れ、液状化(水・泥・土砂・礫の噴出)など、甚大な被害が発生しました。
現在も愛知県内には、尾張地方を中心として、濃尾地震の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれている場所が沢山あります。
歴史地震記録に学ぶ防災・減災ガイド(全域編)|愛知県
Map2(濃尾地震)/災とSeeing|名古屋大学減災連携研究センター
濃尾地震探索ドライブルート/見てみよう!歴史災害記録と旬のあいちvol.94|名古屋大学減災連携研究センター
清洲公園/見てみよう!歴史災害記録と旬のあいちvol.18|名古屋大学減災連携研究センター
天王川公園/見てみよう!歴史災害記録と旬のあいちvol.03|名古屋大学減災連携研究センター
犬山城/見てみよう!歴史災害記録と旬のあいちvol.60|名古屋大学減災連携研究センター
歴史|国宝犬山城
真清田神社/見てみよう!歴史災害記録と旬のあいちvol.73|名古屋大学減災連携研究センター
清洲城と大地震記念碑(清須市清洲3丁目)
※濃尾地震による清洲地区の被害は大きく、当時の新聞報道では「清洲の惨状最甚しく家屋の存するもの殆んど稀なり」と記されている。清洲公園内には、犠牲者の慰霊とともに復興を紀念して建てられた「大地震紀念碑」が遺されており、碑には地震による地区の死者数(64人)が刻まれている。
天王川公園と濃尾地震の碑(津島市神明町)
※天王川公園にある濃尾地震の碑。碑表には、海東、海西二郡(津島を含む)における罹災の実情、堤防や学校の復旧、救済の様子などが、碑裏には、建碑資金の寄付者名が刻まれている。
犬山城(犬山市犬山北古券)
※濃尾地震によって、犬山城は石垣・櫓・天守閣などが崩壊するという大きな被害を受けたが、修理を条件として愛知県から城を譲与された旧藩主・成瀬家と犬山町民が集めた義援金によって、無事修復されたという経緯がある。
真清田神社(一宮市真清田)
※濃尾地震の際、真清田神社では神殿や楼門は大破しなかったものの、瓦葺の拝殿や勅使殿などは壊滅状態になった。
(今回の舞台)
(2023年10月29日)