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姫街道・本坂峠を越える<穂の国「東三河」⑤>

★姫街道・本坂峠、本坂隧道(旧本坂トンネル)、国道362号・本坂トンネルという新旧3本の峠越えルートが現存する豊橋市嵩山(すせ)町は、道路の歴史に直接触れることができる興味深い場所です。


「嵩山(すせ)」

 豊橋市内には幾つもの難読地名があります。「飯村(いむれ)」、「雲谷(うのや)」、「曲尺手(かねんて)」・・・。今回のブログで扱う「嵩山」も本市にある難読地名の代表格の一つです。この地名(漢字)を初めて見て、「すせ」と読むことは難しい・・・としか言い様がありません。私は「市の北東部にある難しい漢字の校区名は、「さしすせそ」の「すせ」だ!」と、無理矢理覚えることにしました(笑)。

 さて、この豊橋市嵩山町(すせちょう)は、江戸時代には東海道の付属街道「本坂通(姫街道)」の宿場町として、多くの往来でにぎわっていたそうです。その後、(三河国八名郡嵩山→)愛知県八名郡嵩山村→石巻村大字嵩山→豊橋市嵩山町と変遷して、現在に至ります。


本坂通(姫街道)

 本坂通(姫街道)は、御油宿(現・愛知県豊川市御油)で東海道と別れ、嵩山宿、本坂峠、三ケ日宿、気賀宿、市野宿を経て、天竜川を渡って見附宿(現・静岡県磐田市見付)で再び東海道と合流する15里14町(約60km)の街道で、浜名湖入口(今切口)の渡しを避けることのできるルート(浜名湖北岸を通るルート)となっています。

 この街道の歴史は古く、『万葉集』にも詠まれているように、古代から「二見の道」として利用されてきました。その後も、東海道(浜名湖南岸を通るルート)の別線(バイパス)としての役割を担い、1707年の宝永地震津波や、1854年の安政東海地震・南海地震などで浜名湖南岸ルートが通行不能となった際には、本坂通は迂回路として大きな役割を果たしてきました。ただ、嵩山宿は小宿であったため、本坂通に旅人が集中した際は人馬軽立に難渋し、幕府に何度も通行の差し止めを願い出たという記録が残されています。

 “姫街道”との呼称の由来には、①東海道の新居関所の厳しい取調べや舟による今切渡海の危険を避けるため、女性が多くこの街道を利用したからとか、②この街道が東海道の旧街道として、古いという意味の「ひね」街道の名で呼ばれ、それが転じて“姫街道”になった、など諸説があるようです。


 姫街道と嵩山(すせ)浅間神社|豊橋観光コンベンション協会


 東海道と吉田/とよはしアーカイブ|豊橋市


 姫街道と嵩山宿/とよはしアーカイブ|豊橋市



東海道と本坂通(二川宿本陣資料館)


本坂峠

 本坂通(姫街道)の本坂峠付近は石巻山多米県立自然公園に属し、正宗寺、石畳の道、嵩山一里塚、本坂峠、椿の原生林など、往時の面影が色濃く残っており、四季を通じてハイキング(ウォーキング)や自然観察などが楽しめる観光スポットとして、現在も多くの人々に親しまれています。

 今回(2023年2月)、私も「嵩山ウォーキングマップ」と図書館で借りてきた姫街道の地図を片手に、本坂峠越えのウォーキングにチャレンジしてきました。正宗寺に立ち寄ってから、秋葉常夜燈→夏目本陣跡→本坂峠登り口(姫街道道標)→石畳の道→嵩山の一里塚→姫街道の石→・・・、と本坂峠を目指して順調に姫街道を登っていきましたが、途中で道を間違えてしまい、嵩山自然歩道&豊橋自然歩道から頭浅間神社(大山浅間社)経由で本坂峠へ向かうこととなってしまいました。この迂回ルートの登り坂はかなりの急斜面で、途中何度も休憩を余儀なくされ、頭浅間神社まで辿り着いたときは本当にホッとしました。

 「姫街道」という優しい名前の街道ですが、油断大敵です。そう言えば、何かに「旅人泣かせの難所・本坂峠(本坂峠は道が細くて険しいので箱根より大変だといわれていた)」と書いてあったことを今更ながらに思い出しました。


 嵩山ウォーキングマップ|豊橋市


姫街道の地図


正宗寺(豊橋市嵩山町)

※臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は嵩山。鎌倉時代の永仁年間(1293年~1299年)に宋から渡来した日顔禅師の創建で、この地が故国の嵩山(すうざん)に似ているところから、嵩山(すせ)と命名されたと伝えられています。


夏目本陣跡(豊橋市嵩山町)


本坂峠登り口(豊橋市嵩山町)


嵩山一里塚(豊橋市嵩山町)


姫街道の一コマ(豊橋市嵩山町)


道を間違え、嵩山自然歩道&豊橋自然歩道から頭浅間神社経由で本坂峠へ

※途中、浜名湖が見渡せる眺望点がありました。


本坂峠(豊橋市嵩山町)


椿の原生林(浜松市北区)


本坂隧道(旧本坂トンネル)

 近代に入って、移動手段が徒歩から自動車に大きく転換する中、本坂峠越えのルートも自動車交通対応が図られました。それが1915年(大正4年) に開通した延長約200mの煉瓦トンネル(本坂隧道/旧本坂トンネル)ルートで、本ルートの整備によって、道幅は大幅に広がり、勾配も緩やかになったことで愛知・静岡両県の交流が深まり、木材の搬出など地域の経済活動にも大きく貢献することになりました。


本坂隧道(旧本坂トンネル)

※一般国道362号バイパス(本坂トンネル)が開通して以降は殆ど使われなくなり、今では心霊スポットとして注目されることも少なくないようです。


浅間神社(豊橋市嵩山町)

※私のウォーキングの帰路は、膝への負担を回避するため、旧国道362号の九十九折の舗装道路としました。途中、浅間神社の参道がありました。


本坂トンネル

 本坂トンネルは、弓張山地の本坂峠付近南側の下を通過する一般国道362号バイパスのトンネル(全長1,379m、全線2車線)で、1978年(昭和53年)4月1日に愛知県道路公社と静岡県道路公社が共同管理する有料道路(普通車 250円)として開通しました。2008年(平成20年)3月31日には無料開放され、令和の現在も、愛知県東三河地域と静岡県浜松市の産業、観光面において重要な役割を担っています。


一般国道362号・本坂トンネル


このように、姫街道・本坂峠周辺地域では、先人達が険しい地形を克服しながら、各時代の要請に応えて所要の道路ネットワークを整備することで、地域住民の生活の快適性・安全性の向上、そして地域内外の経済発展を支えてきました。現在、この地域には、姫街道・本坂峠、本坂隧道(旧本坂トンネル)、一般国道362号・本坂トンネルという新旧3本の峠越えルートが存在し、それらが現在も様々な役割を担っています。姫街道・本坂峠周辺地域は、道路の歴史に直接触れることができる興味深い場所と言えます。


(今回の舞台)



(2023年04月30日)

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