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三河国一宮「砥鹿神社」に詣でる<穂の国「東三河」①>

★大己貴命(大国主命)を御祭神として祀る三河国一宮「砥鹿神社(奥宮・里宮)」は、東三河地域を治めていた古代「穂国」の氏神として、また律令国家の「国土開拓の神」として、篤い崇敬を受けてきました。


愛知県を特徴付ける「尾張」と「三河」

 愛知の県民性は地域によって異なると言われることが少なくありません。まずもって、愛知県は「尾張」地方と「三河」地方に大別され、尾張地方の中でも、名古屋市域と周辺地域(名古屋市北部の尾張地域、旧・海部郡地域、知多半島地域)ではそれぞれ特徴が異なり、また、三河地方についても、西三河(岡崎市や豊田市など)と東三河(豊橋市や渥美半島地域など)では県民性が異なると言われています。

 そもそも、愛知県(という地方行政区分)が発足したのは明治維新後(19世紀終盤)のことでしかなく、大宝律令(701年)が制定されて以降、江戸幕府が終焉を迎えるまでの千年以上の長い期間、この地域(現在の愛知県エリア)は「尾張」と「三河」という二つの国に分かれていました。


三河国一宮「砥鹿神社」は「国土開拓の神」

 このため、愛知県内には「一宮(いちのみや)」が二社存在します。一宮とは、神社の社格を示す格式のひとつ、律令各国の中で最も格式の高い神社のことで、尾張国一宮が愛知県一宮市に鎮座する「真清田神社(ますみだじんじゃ)」、三河国一宮が愛知県豊川市に鎮座する「砥鹿神社(とがじんじゃ)」とされています。なお、尾張国については、愛知県一宮市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)も尾張国一宮を称されています。

 現在、私が暮らしている豊橋市を含む三河国の一宮「砥鹿神社」は、日本神話において国津神(くにつかみ)の主祭神とされる「大己貴命(おおなむちのみこと)」を御祭神としており、大国主命(おおくにぬしのみこと)や大国様(だいこくさま)としても慕われる御祭神は、「福徳の神」・「国土開拓の神」・「縁結びの神」として、三河地方はもとより各方面からの篤い崇敬を受けておられます。

 また、「砥鹿神社」は、標高789メートルの霊山「本宮山(ほんぐうさん)」に千三百年以上前から鎮まる神を祀る「奥宮」と、山麓の里にて祀る「里宮」とで二所一体の崇敬を集める神社として長い歴史を刻まれており、その詳細については、神社公式ホームページにて次のように伝えられています。


 砥鹿神社とは|砥鹿神社



砥鹿神社・奥宮①


砥鹿神社・奥宮②


砥鹿神社・奥宮③


砥鹿神社・里宮①


砥鹿神社・里宮②


砥鹿神社を奉斎された穂国造と「東三河」

 神社公式ホームページに記載の通り(前出)、三河国一宮「砥鹿神社」の創建については、文武天皇の大宝年間(701年~704年)に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山(ほんぐうさん))の神を迎えて里宮が創建された・・・とあります。

 また、砥鹿神社の「社伝によると、当社の世襲神主家草鹿砥氏は穂別命の後裔であるという。この一族は穂別命と同族の日下部連の後裔と考えられており、当社は穂国造が奉祭したものと推定されている」とのことです(谷川健一、「砥鹿神社」、『日本の神々 神社と聖地 第10巻 東海』、白水社、昭和62年)。

 律令国家が完成される以前、豊川流域一帯、豊橋市を含む愛知県東三河地域は「穂国(ほのくに)」と呼ばれていました。「穂」の語源については、奥宮の鎮座する本宮山(本茂山)が古代から信仰の山として尊崇されてきたことに由来するとする説や、豊かな実りを意味する「稲穂」に由来するとする説などがあります。

 神社公式ホームページ(前出)の「奥宮の歴史」にも、「神代より本宮山は大己貴命の神霊が鎮まる霊山。その姿が秀麗で東三河平野のどこからも拝することが出来るため、古代の人々の崇敬の対象とされてきました」や、「宝川を始め御山から平野に流出する幾筋もの渓流は、稲作の豊かな水源として尊ばれてきました」と記述されていたところです。


 穂国の誕生/とよはしアーカイブ|豊橋市


 ほの国とは?|愛知県東三河広域観光協議会


 豊橋市石巻本町にある「馬越長火塚古墳」は、県下最大の横穴式石室を持つ前方後円墳で、2016年(平成28年)3月1日に、隣接する大塚南古墳・口明塚南古墳と合わせ、「馬越長火塚古墳群」として国史跡に指定されています。

 また、この古墳は、東海地方を代表する古墳時代後期の大首長墳のひとつであり、穂国造の墓に比定されています。


 馬越長火塚古墳|豊橋観光コンベンション協会


 馬越長火塚古墳/とよはしアーカイブ|豊橋市


 国史跡 馬越長火塚古墳群保存活用計画を策定しました|豊橋市美術博物館


 現在、豊川流域に位置する愛知県東三河地方(豊橋市、豊川市、蒲郡市、新城市、田原市、設楽町、東栄町、豊根村)の8つの市町村は、「東三河広域連合」を設立し(平成27年1月30日)、介護保険事業をはじめとした共同処理事務の着実な推進により、誰もが安心して暮らせる地域を実現するとともに、地方創生事業など東三河の発展に資する新たな事業にも積極的に取り組んでいるところです。

古代、「穂国」と呼ばれた実り豊かな地域(豊川流域一帯)の名称は、現在も「穂の国・東三河」(あるいは「ほの国・東三河」)というフレーズの中で受け継がれています。


 東三河広域連合


(今回の舞台)



(2023年04月02日)

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