top of page

離任に当たって(熊本で錬磨された「国土とインフラ」観)

★私たち日本人は、この脆弱な国土の上で頻発する大規模な自然災害によって、ずっと昔から教育を受けてきました。現代に生きる私たちは、先人たちの努力に思いを馳せながら、国土に対して働きかけを続け、将来世代に対して、より良いインフラを引き継いでいかなければなりません。

脆弱な国土の上で暮らす日本人 地震、津波、火山噴火、洪水、土砂崩れなどの自然災害が頻発する国土の上で、私たち日本人は暮らしています。ここ7年間を振り返っただけでも、平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、平成23年台風第12号(紀伊半島豪雨)、平成24年7月九州北部豪雨、平成26年8月豪雨(広島市の大規模土砂災害)、平成26年の御嶽山噴火、平成27年9月関東・東北豪雨(鬼怒川の堤防決壊)、平成28年熊本地震、平成29年7月九州北部豪雨など、大規模な自然災害が頻発していることがわかります。  また、近年は、毎冬のように記録的な寒波が到来し、北海道・東北・北陸といった積雪寒冷地域だけでなく、首都圏や中部圏・近畿圏、さらには中国・四国・九州といった地域を含め、日本列島各地が記録的な大雪に見まわれ、交通の麻痺やライフラインの切断など、甚大な被害が発生しています。 私たち日本人は、イギリス、フランス、ドイツといった国々とは大きく異なる、このきわめて厳しい条件を備えた国土に働きかけながら、安全で快適な生活環境を築いてきました。この脆弱な国土の上で、日本人は何度も何度も大きな自然災害に見舞われながらも、その都度、諦めることなく努力して、これらの苦しみを乗り越えてきました。

熊本地震から2年  平成28年4月14日21時26分、熊本地方を震央とするマグニチュード6.5の地震が発生(前震)。さらに、その28時間後の4月16日1時25分にはマグニチュード7.3の地震が発生し、益城町と西原村で最大震度7を観測しました(本震)。  延べ4,000回を超える余震による影響を含め、「熊本地震」は熊本〜阿蘇周辺地域に甚大な被害を与えました。多数の家屋倒壊や土砂災害による人的被害、電気・ガス・水道などのライフラインへの被害のほか、空港・道路・鉄道などの交通インフラにも甚大な被害が生じ、県民生活や中小企業、農林漁業や観光業などの経済活動にも大きな支障が生じました。 主要幹線道路では、南北方向の大動脈である九州縦貫自動車道が4月14日の前震段階から甚大な被害を受け、被災後2週間にわたり全面通行止めとなりました。その後も片側1車線での交通規制が続き、全線4車線で完全復旧できたのは地震発生から1年後(平成29年4月28日)となりました。  また、4月16日の本震では、東西方向の生命線ともいうべき国道57号が南阿蘇村立野地点で斜面崩壊により寸断、これと接続する国道325号阿蘇大橋も崩落、さらに県道28号熊本高森線の俵山トンネルとそれにつながる橋梁群も損傷し、2〜3万台/日を超える熊本〜阿蘇間の重交通が機能麻痺の状態となりました。これに対しては、広域の迂回路(国道443号、ミルクロード、グリーンロード)の啓開を急ぎ、いずれも数日で通行可能としましたが、国道57号の現道は南阿蘇村立野地区の大規模斜面崩壊により現在も全面通行止めを余儀なくされています。

幹線道路ネットワークの重要性  今回の地震では、リダンダンシー(redundancy)のある幹線道路ネットワークの必要性を痛感させられました。特に、熊本〜大分を結ぶ東西幹線軸は国道57号1本しかなく、有事の際には大きなリスクになることを改めて認識させられました。  また、南北軸では九州縦貫道がストップしたため、国道3号が大渋滞を引き起こし、機能麻痺の状態となりました。今回のように主要幹線道路が大きな損壊を受けると、人、モノの流れがストップし、経済社会的に大きなダメージを与えることになってしまう。「1本の幹線道路が通行不能になっても代替、迂回できる幹線道路が別にある」、今回の熊本地震は、そういう重層的な交通ネットワークの価値を改めて教えたのだと思います。  一方で、熊本地震による幹線道路網の長期通行止めと、厳冬期を前にした県道28号熊本高森線(俵山トンネルルート)の開通(平成28年12月24日)は、南阿蘇地域の方々に、また広域的な道路利用者の方々に、道路というインフラの存在価値を改めて認識していただくきっかけとなりました。  俵山トンネルルートの開通式では、南阿蘇村の方々が手作りの旗を振って、工事関係者に感謝の気持ちを伝えてくださいました。ルート沿道の方々も、通過する車両に手を振って、開通を喜んでくださいました。「最高のクリスマスプレゼントです」と地域の方に言っていただいて、私自身、とても幸せになりました。  また、長陽大橋ルートの開通(平成29年8月27日)は、分断されていた南阿蘇村内の中心部と立野地区を直接つなげ、通勤通学や通院など村民生活の利便性を大幅に改善しました。村唯一の救急指定病院だった阿蘇立野病院は、外来診療(月曜~土曜)だけでなく、9月30日からは入院診療を再開しています。地域外での避難生活が続いていた南阿蘇村立野の長期避難世帯(357世帯)も、長陽大橋ルートの開通が大きなきっかけとなって10月31日に解除されました。マスコミ各社は、長陽大橋ルートの開通を「希望の架け橋」と大きく報じました。  これらの災害復旧事業は、子供たちにも大きなインパクトを与えました。熊本地震で被災した子どもたちの心温まる体験談や教訓などをまとめた小中学校用の道徳副読本「つなぐ~熊本の明日へ~」(熊本県教育委員会作製)には、俵山トンネルルートや長陽大橋ルートの復旧に24時間体制で取り組む関係者の姿も収録されています。

 子どもの地震体験を教材に 熊本県教委、道徳副読本を作製(熊本日日新聞)↓ https://this.kiji.is/349351040602571873?c=92619697908483575


熊本国土学『二重峠の物語』  現在、われわれが享受している安全で快適な生活は、先人たちが森林や田畑、鉄道や道路を整備し、川を治め、水資源を開発するなど、絶え間なく国土に働きかけを行うことによって、国土から恵みを返してもらってきた歴史の賜物です。  ここ熊本でも、「後の世のため」を口ぐせとしていた肥後熊本初代藩主・加藤清正公をはじめ、多くの先人たちが郷土に働きかけを続けてくれたおかげで、現在の豊かで安全で快適な県民生活が担保されています。街道や港等の交通インフラ、堰や堤防等の防災インフラ、井手(用水路)や溜池等の農業インフラなど、先人たちの郷土への働きかけの成果は、数えればきりがありません。

 例えば、肥後熊本の東西交通路は、延喜式の官道時代から「二重峠(ふたえのとうげ)」を通っていました。この時代、都(朝廷)から地方への法令の伝達のため、駅家(うまや)を一定間隔で配置し、馬を乗り継いで行かせる方法がとられていましたが、肥後国に「二重」という駅があったとの記録が残されています。  「二重峠(標高683m)」は大津町から阿蘇市に向かう途中の阿蘇北外輪を越える峠。北外輪山の西側の最も低い地点で、その名の由来は阿蘇神話、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が外輪山を蹴破ろうとしても、二重になっているから破れなかったという話からきています。  17世紀初頭、この二重峠を越えるルートは、加藤清正公によって政治、経済、軍事の重要なルート「豊後街道」として整備されました。豊後街道は、札の辻(熊本市)を起点として、菊地郡大津町、阿蘇市の二重峠を越え、内牧を経て大分の久住、豊後鶴崎に至る全長約124km(31里)の街道で、途中、二重峠、滝室坂、大利・境の松の山越えと難所が幾つもありましたが、清正公はこの街道の整備に力を注ぎました。特に城下から大津までの間にある幅二十間の一大杉並木街道「大津街道」は、肥後熊本のシンボル「熊本城」の築城、菊池川・白川・緑川・球磨川など全県下に亘る治水・利水工事と共に、清正公の構想の雄大さを今日に伝えるものとなっています。  その後、江戸時代を通して、細川藩が参勤交代路として活用したため、各地に宿場が誕生し、豊後街道は大いに栄えました。

近代から現代、そして未来へ  時は流れ、近代。明治17年に(南阿蘇村立野と大津町瀬田にまたがる)比丘尼谷の難工事がクリアされ、立野火口瀬を抜け熊本から阿蘇に至る新道(=現在の国道57号)が開通。以来、二重峠を越えるルートの交通上の重要性は薄れることとなりました。  ちなみに(阿蘇神話に戻りますが)、二重峠を蹴破れなかった健磐龍命は、次に別の場所を蹴ると見事に成功。外輪山に穴が開いて湖水の水が流れ出し、外輪山の内側には作物ができる平野が生まれました。この蹴破られた箇所が立野火口瀬。立野(たての)の地名は、蹴った時に力余って尻餅をついた命が、「もう立てぬ」と言われたことによる、と伝えられています。  さらに時は流れて、現代。平成28年4月に発生した熊本地震は、再度、二重峠ルートの重要性を顕在化させました。南阿蘇村立野地点(=立野火口瀬)の大規模斜面崩壊により寸断された国道57号の迂回路として、通称「ミルクロード」(県道北外輪山大津線~県道菊池赤水線)が2万台/日に近い交通量を担ってくれています。これこそが、現在の二重峠を通るルートです。  そして今、未来に向かって、国道57号の災害復旧事業として急ピッチで進められているのが「国道57号北側復旧ルート」。このルートは、神様(健磐龍命)が蹴破ることが出来なかった二重峠(外輪山)の下を約3.7kmのトンネルで通過する計画となっています。  二重峠を越えるルートには、時代の変遷と技術革新の積み重ねがあります。阿蘇神話から始まる長い歴史の物語があるのです。

平成32年度内開通に向け急ピッチで工事が進む「国道57号北側復旧ルート」  熊本から阿蘇谷方面への災害復旧道路「国道57号北側復旧ルート」については、平成32年度(=震災から 5 年)内の開通に向け、全線(延長約13km)において急ピッチで工事が進められています。  最大の難関「二重峠トンネル」(延長約3.7km)の掘削延長は、平成30年6月26日現在で、避難坑2,771m/3,652m (76%)、本坑1,919m/3,659m (52%)となっています。

 二重峠トンネル施工状況(平成30年6月26日現在) http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/site_files/file/temporary/kitaroute/180626_futae.pdf

 熊本地震 道路復旧状況 http://www.qsr.mlit.go.jp/kumamoto/fukkyuu.html

 なお、この二重峠トンネル工事の契約にあたっては、改正品確法(平成26年6月4日公布・施行)で新たに位置づけられた「技術提案・交渉方式(ECIタイプ)」という手法を、全国で初めて採用しました。これは、①競争参加者から提出される技術提案に基づき選定された優先交渉権者と技術協力業務の契約(=随意契約)を締結し、②別契約で実施しているトンネル詳細設計に技術提案(+技術協力)内容を反映させ、③価格等の交渉を行い、④交渉成立後に施工の契約(=随意契約)を締結するもので、工事契約プロセスにおける施工者・設計者・発注者の三者のパートナリングが実現することで、二重峠トンネル本坑の掘削・覆工については、現時点で設計可能な最短工期を設定することができました。  「国道57号北側復旧ルート」を事業化した時点(平成28年6月)では、二重峠トンネルの設計や施工にあたって必要となる地質調査等の成果すら十分にない状況でしたから、トンネル詳細設計とトンネル工事発注手続きを並行して進めるとともに、施工者(優先交渉権者)独自の最先端技術・工法等を手戻り無くトンネル詳細設計に反映することが出来たことは、その後のプロジェクト・マネジメントに大きなアドバンテージをもたらすことになりました。  設計段階から、施工者(優先交渉権者)と設計者(別途発注)を巻き込んで最善の建設マネジメントを実現しようとする ECI(アーリー・コントラクター・ インボルブメント)は、発注者の力量が問われる(大きなエネルギーを必要とする)仕組みですが、整備局の組織やインハウス・エンジニアの技術力/マネジメント力を強化するという意味においても、非常に優れた仕組みであると実感しました。チャレンジする価値はあります。

大規模な自然災害から学び、日本人は成長してきた 繰り返しになりますが、地震、津波、火山噴火、洪水、土砂崩れなどの自然災害が頻発する国土の上で、私たち日本人は暮らしています。ここ7年間を振り返っただけでも、平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、平成23年台風第12号(紀伊半島豪雨)、平成24年7月九州北部豪雨、平成26年8月豪雨(広島市の大規模土砂災害)、平成26年の御嶽山噴火、平成27年9月関東・東北豪雨(鬼怒川の堤防決壊)、平成28年熊本地震、平成29年7月九州北部豪雨など、大規模な自然災害が頻発していることがわかります。  しかし、私たち日本人は、こうした大規模な自然災害を幾度も経験し、そのたびに苦難を乗りこえてきました。日本の国土が脆弱であるが故に、大規模自然災害からの復旧を糧として、日本人は成長してきたとも言えます。  内村鑑三は著書『地人論』で、次のように述べています。  「地の目的はいかん。人類を発達せしむるにあり。人類の進歩、啓発を促すために、地はいかなる特質を有せざるべからずか。 (一)進歩を助けんがために、地は開拓、耕耘(こううん)、運輸、交際の便利を人類に供せざるべからず。 (二)啓発を助けんがためには、地は多少の障害を人類に供せざるべからず。  地の配列、構造にして全く人類進歩を奨励せざらんか、人類は失望に沈んで、進まざるべし。一の障害物をも供せざらんか、進歩、簡易に過ぎて心霊の怠惰と傲倨(きょごう)とを招き、知と霊とは啓発せざるべし。適宜なる奨励と適宜なる障害とは教育上の必要にして、天が人に与うるに地をもってせしや、この特質を有する地球をもってせられたり。  われらの棲息する地球は教育上絶大の価値を有するものなれば、はなはだ完全にして、全く完全ならず。すなわち、この地球は人の労力をもって初めて完全たるを得るものなり。」  私たち日本人は、この脆弱な国土の上で頻発する大規模な自然災害によって、ずっと昔から教育を受けてきました。  現代に生きる私たちは、先人たちの努力に思いを馳せながら、国土に対して働きかけを続け、将来世代に対して、より良いインフラを引き継いでいかなければなりません。  そのためには、歴史観と世界観をもって国土とインフラを語る、時間軸と空間軸で日本と世界を捉える(考える)、そうしたことができる日本人を育てていくことが求められています。

(今回の舞台)

(2018年6月30日)

最新記事
アーカイブ
​カテゴリー
​熊本国土学 記事一覧
bottom of page