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ジェーンズが熊本に遺したもの

★ジェーンズは、精神・人格・知性・道徳そして知的な教養が備わった人間(国民)を育てる種、より豊かで豊富な種類の産物と資源に満ちた耕地(国土)を育む種を、ここ熊本の地に遺したのである。

 リロイ・ランシング・ジェーンズ(Leroy Lansing Janes)は、1837年米国オハイオ州ニュー・フィラディルフィア生まれ。米陸軍士官学校を卒業後、南北戦争に北軍少尉として従軍し(最終階級は大尉)、退役後は、東部メリーランド州で農業に従事する。1871年(明治4年)開校の「熊本洋学校」設立のために招聘され、同年9月、熊本洋学校の教師として教壇に立つ。  熊本洋学校は、肥後熊本(実学党)藩庁が、藩の兵制の様式化と人材育成を目的に藩政改革、教育改革を実施し、西洋の文物技術を移入するために創設した学校で、L.L.ジェーンズは英語、数学、地理、歴史、物理、化学、天文、地質、生物などの各教科をすべて一人で教え、原語・原書による徹底した英語教育を行なった。  ジェーンズの教育目標は、生徒を国家発展の事業に適応させる(鉱業、工業、造船、商業、工学、農業の未知の手つかずの資源を活用させる)ことを大きな柱としており、これは彼の講演内容(教育の意義について述べた講演)からも読み取ることが出来る。

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 「国中で最も高価なものは何でしょうか。それは、広大で肥沃な土地でしょうか。しかし土地は、たとえそれがいかに広く、いかに豊かな資源を埋蔵していようと、知性に導かれた人間の手がその価値を呼びさまし、その鉱物を命あるものとし、人間に不可欠の思想としなければ、何の値うちもありません。それでは、その鉱山や、鉱石の山こそ最も高価なものでしょうか。しかしそれらも、いったん人間の心という蒸留器の中で浄化され、人間に奉仕するものにかえされなければ、何の価値を持つというのでしょうか。・・・結局一国でもっと価値あるものは、その国民にほかならないのです。しかしこれでは十分な答えではありません。未開な国では、人々は耕しもせず、鉱物も活用されず、貿易もせず、精神的な能力も認めず、他国と交流しようともしません。・・・すると、我々は未開国のことを言っているのではない、という抗議の声が起こるかもしれません。  では文明の先進国のヨーロッパやアメリカではどうか。そこには現代文明社会の最高水準を誇るどころか、未開社会におけると同じように、野蛮で、怠惰で、救いようのない人々が多数います。また誤った基盤の上に建てられ、無益で虚偽の目的を追求する、文明のカスやクズが満ち満ちています。  ・・・それではいったい、あらゆる組織体の主要な関心事であり、あらゆる政府やあらゆる国家にとって最も切望される、必要なただ一つのもの-それは何でしょうか。それはすべての人間の進歩の根底に横たわっている精神・人格・知性・道徳であります。・・・知的な教養がその基本です。そして、それを通じることによってのみ、人間の生活と運命が最も高度に達成されるための条件が生みだされるでしょう」

著書『ジェーンズ 熊本回想』(熊本日日新聞社)より

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 こうした背景から、ジェーンズの教育は人間開発的で、自学自習教育(教育は与えるものではなく、その人が持っているものを引き出す)、競争的授業(毎日が試験、見込みのない者は退学)、班別学習(優秀な生徒を後進性教授方として、他の者の指導にあたらせる)、演説教育(英語による演説練習、議会政治を看取)、男女共学(日本で初めての男女共学)などを特徴とした。  熊本洋学校の卒業生には、海老名弾正(キリスト教の伝道者、第8代同志社総長)、金森通倫(牧師)、徳富蘇峰(ジャーナリスト)、横井時敬(農学者、東京帝国大学教授・東京農業大学初代学長)などがおり、ジェーンズは、熊本の近代教育の礎を築いたと言われている。

 熊本洋学校とジェーンズ(熊本県観光サイトなごみ紀行)↓ http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=059&pre_page=3

 熊本洋学校教師ジェーンズ邸(熊本市観光ガイド)↓ https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/72

 ジェーンズ邸の復旧に向けた委員会を開催しました(熊本市)↓ https://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=14295&class_set_id=2&class_id=91

(熊本地震で倒壊した「ジェーンズ邸」)

(「ジェーンズ邸」説明版)

(花岡山山頂にある「熊本バンド」※記念地)

※ジェーンズの感化を受けた海老名弾正・徳富蘇峰ら35名が明治9年(1876)、熊本城外の花岡山に集い、信仰を守り広めることを誓約した。後、その多くが京都の同志社英学校に移り、熊本バンドと呼ばれた。横浜バンド・札幌バンドと並んで日本のプロテスタントの三大源流の一つとされる。

 ジェーンズは洋学校の教師としてだけでなく、熊本の近代化に大きな貢献を果たしている。ジェーンズの言葉を借りれば「地域住民の健康と福祉を増進させるための物質的条件の整備」である。熊本の野菜は種類が少なく、栄養価不足を感じたので、アメリカからキャベツやカリフラワー、レタス等の野菜の種を大量に取り寄せ、地域の園芸組合にも分け与えることで、西洋野菜の栽培を熊本でいち早く広めた。また、一汁一菜が当たり前であった当時の日本に牛肉、牛乳、パン食を取り入れ、その普及を図った。国産の小麦づくりにも成功し、栄養豊富なパンを焼くことができるようにもなった。  そして、牛や馬に引かせる西洋鋤(プラウ)を取り寄せて、家畜を使う能率的な農業を紹介したのもジェーンズ。次の下りは、当時を回想したものだが、ジェーンズは「国土への働きかけ」(土地の開拓や農業)を極めて重要なもの、価値の高いものととらえていた。そして、国土への働きかけを疎かにし、海外展開にしか目を向けることのない当時(戦前)の帝国日本がいずれ崩壊することを、彼は見抜いていたのである。

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 「私はこの日のデモンストレーション(※西洋鋤(プラウ)で農地を耕起したこと)こそ、アメリカ農業の指導原理をあらわしたものにほかならないことを、長老たちに諄々と説いた。アメリカは約一世紀という短い間に、あの広大な大陸を開拓したこと、ほとんどゼロに近いところからフランクリンをはじめとしてみんなで創意工夫を凝らし、エネルギーと決意と知性とねばり強さで原始林を開き、大平原の野火を鎮め、大洪水を抑え、危険な野獣を人間の進歩の大道から追い払ったこと、などなど。 実は、この当時はむろんのこと、この回想を執筆中の現在に至るまで、日本こそ農地の開拓と農業改良の必要性はアメリカとは比べものにならないほど切実なはずだ。ところが日本人はそれをやろうとせずなんでもすぐ外国から輸入したがる。私に言わせれば、日本の耕地は適地のまだ半分も開かれていないように思う。こうした現状にかかわらず、日本は最近の戦争=日清戦争、明治二十七、八年=で台湾を領有したが、内地の開拓も十分にできない状態で、海外に領地をもってもなんの役にたつというのだろうか。  日本人は土地を耕さず、海を耕しはじめたようだ。つまり、しきりに船を出しては、膨大な量の米をはじめ、肉、メリケン粉、小麦、果物、砂糖、塩、加工品の大部分、そして干し草までも輸入している。その結果、品質の悪い国内産はますます不振に陥っているようだ。このままではこの悪循環はますます拡大し、将来なんらかの破局を迎えるだろう。その時にならなければ日本人の真の知性は目覚めないのかもしれない。  おそらくその時、日本人はあたかもオランダ人と同じことをするだろう。オランダ=十七、八世紀に隆盛=の通商的植民主義的帝国の諸計画が、戦争の硝煙の中で消滅した時と同じことを。その時になって初めて日本人は自分たちの目を国内に向けるだろう。日本人は、海から、強固な草が根を張り巡らした丘の土から、そして逆巻く奔流が年々荒らしている広大な平野から、より大きく、より豊かで、その先祖がだれも知らなかったような豊富な種類の産物と資源に満ちた帝国(日本)を取り戻そうとし始めるだろう。  この日の奇妙な耕作風景は、参観者の脳裏に強烈な印象を焼きつけた。彼らはなんとかこの可能性を現実のものにしようと努力した。そして牛をわずかばかり訓練してこの西洋鋤を実用化することに成功した。それ以後、毎年春と秋のシーズンにはこの二つの鋤はフルに活用され、新しい耕地の開拓や農作業の能率化に貢献した。こうして私は、日本の新しい農業の発展のための最初のささやかな灯をともしたものと思っている。」

著書『ジェーンズ 熊本回想』(熊本日日新聞社)より

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ジェーンズは、精神・人格・知性・道徳そして知的な教養が備わった人間(国民)を育てる種、より豊かで豊富な種類の産物と資源に満ちた耕地(国土)を育む種を、ここ熊本の地に遺したのである。

(今回の舞台)

(2018年3月4日)

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