top of page

「指切りげんまん」世界一!/「天草五橋開通50周年」を契機にインフラのストック効果を考える

★「天草五橋が24日、開通50年を迎えた。離島の天草と九州本島をつなぎ、半世紀にわたって生活と観光の両面で熊本を支え続けた宝である。これからも大切に活用したい。」この地元紙の社説記事こそが、本当の意味でのインフラのストック効果ではないかと思う。

 9月24・25日、天草五橋開通を記念して毎年開催されている天草五橋祭が、今年は五橋開通50周年を祝してパワーアップして実施された。白龍船競漕大会や魚のつかみ取り大会等の恒例イベントの他、今年は、蒲島郁夫知事や堀江隆臣上天草市長らが出席した記念式典、天草市出身の放送作家の小山薫堂さんや、俳優の片岡鶴太郎さんらによるシンポジウム、上天草市の美味かもんが集まる「上天草海風マルシェ」、豪華アーティストを招いたライブなども開催。24日(土)夜には、松島の海上で約3,000発の壮大なミュージック花火も打ち上げられた。  二日にわたる記念行事のメインイベントは、何といっても25日(日)午前中に天草五橋(2号橋~4号橋間)を片側通行規制して実施された「天草五橋Hand in Hand」。このイベントは、「天草五橋開通により「ひと・もの・文化」等の交流が行われ、発展したことへの感謝を表現するため、天草島内外からの参加者が、五橋の上で手をつなぎ、絆を確かめ合い、天草から元気と勇気を送ろう!」というもの。主催は「天草地域観光推進協議会(VISITあまくさプロジェクト実行委員会):天草市、上天草市、苓北町、(一社)天草宝島観光協会、(一社)天草四郎観光協会、苓北町観光協会、天草市商工会、上天草市商工会、苓北町商工会、本渡商工会議所、牛深商工会議所、天草経済開発同友会、熊本県天草広域本部)。  当日は、天草五橋(2号橋~4号橋間、約2.2km)で、「指切りげんまん」のギネス世界記録に挑戦。午前11時45分、2,267人が指切りをして列をつくり、「ありがとう天草五橋、がんばろう熊本」と想いを唱えた。途中で小指が離れた人が確認されるなどして、記録は1,658人となったが、無事、世界記録達成となり、五橋の歴史に「世界一」が加わった。

大会両日は、松島総合センター「アロマ」研修室で、「天草五橋開通50周年記念五橋関連資料・写真展示」も実施された。観光客の増加や新たな祭りの開催など、五橋開通により天草地域にどのような効果・インパクトを与えたかを示す資料が紹介されるとともに、五橋架橋に至る経緯や五橋開通に奔走した先人達(森滋秀氏、森國久氏、蓮田敬介氏ほか)の苦労話も詳しく展示されていた。  まだ離島であった当時、日本を代表する民族学者の宮本常一も天草を訪れている。彼は後の著作「『社会開発の諸問題』日本の中央と地方(宮本常一著作集2)」において次のように述べている。  「私は、その国の文化の高さは、民族の意志が国のすみずみにまで行きわたっているかどうかにあるのだと思います。(中略)国のすみずみにまで民族のもつ理想を行なわせようとするために、最も大切なものは何であるかというと、私はやはり交通だと思うのです。交通網の確立ということが、根本問題になるのではないかと思っております。(中略)私は今離島の世話をしておりますが、離島でもすぐアスファルトの道、観光道路を造らなければ駄目だといって、そのことだけに血道をあげております。」  「地方開発について一番根本になるものは何か、・・・それは交通と資本と教育と、この三つにしぼられるのではないか、・・・。(中略)地域開発の根本問題は、その生産の担い手が誰であるか、どこに重点を置くべきか。私はあくまで地元民に主体がおかれるということに、根本問題がなければならないと思うのです。(中略)地域開発というものは、本当に自分たちの土地をどうしたらよいうかという人たち、真剣に自分たちの土地の問題を、自分たちで解決しようという人たちが育ってこない限り、ありようがないと思うのです。」  天草五橋の開通とその後の天草地域の発展は、まさに宮本の言うところの地域開発(離島振興)の典型的な事例であり、好事例であった。 「インフラストラクチャー(infrastructure)」とは、「社会を下から支える基礎構造」を意味し、これを、法律などの「制度インフラ」と、道路や港湾などの「装置インフラ」に分けて分類することも可能である。  この半世紀間の天草地域にあてはめれれば、1953年(昭和28年)の離島振興法の指定と1956年(昭和31年)の国立公園の指定が「制度インフラ」、そして1966年(昭和41年)の天草五橋の開通が「装置インフラ」ということになる。この両輪によって、天草地域の振興・発展がなしえられたといっても過言ではあるまい。

 地元紙・熊本日日新聞は、イベントの二週間前から特集企画記事「パールラインの行方」を連載するとともに、9月25日の朝刊では「天草五橋開通50年 観光復興の弾みにしたい」というタイトルで、次の社説を掲載している。  「天草五橋が24日、開通50年を迎えた。離島の天草と九州本島をつなぎ、半世紀にわたって生活と観光の両面で熊本を支え続けた宝である。これからも大切に活用したい。 青い海を背に銀色に輝く1号橋や上部にアーチを備えた2号橋、赤いパイプの5号橋-。個性あふれる五つの橋は、それ自体が観光資源でもあった。  天草全域に3千台しか自動車がなかった開通当時、1日最大1万3千台が五橋を利用した。五橋とそれをつなぐ国道を含めた「パールライン」(約15キロ)の32億円近い事業費の償還には当初、30年かかると予想されていたが、わずか9年で完済を遂げた。  開通を契機に天草各地に旅館や土産物店が次々と開業し、観光地としての街並みが形作られた。一方、30航路以上あった天草郡市と九州各地を結ぶ船便は廃業が相次ぎ、現在は11航路に減った。五橋はこの50年間で、天草の「かたち」を変えたのである。  変化の裏では、ひずみも生まれる。現在の五橋は、平日でも1日1万7千台が利用し、橋上で車が数珠つなぎになることもしばしばだ。一方で観光客数は伸び悩み、この10年は390万~440万人と、県が掲げる470万人の目標に及ばない。近まった本島との距離感は「天草離れ」も加速させ、五橋開通時、約20万人だった天草全体の人口は現在、12万人を切った。 そんな中、開通50年を機に再び元気を取り戻そうと、行政や地域住民に新しい動きも起きている。  県は渋滞緩和などを目的に、来年3月完成を目指す新1号橋の建設と高規格道路「熊本天草幹線道路」の整備を急ぐ。各地の旅館や飲食店では、オール天草で連携して海鮮丼や伊勢エビなどを提供する企画が盛んだ。崎津集落を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が2018年の世界文化遺産の推薦候補となったことも、観光面で大きな追い風となろう。 熊本地震の爪痕が今なお深い県内で、ほとんど無傷といっていい天草観光の魅力は希望でもある。「開通50年」を前面に国内外へ情報を発信し、観光キャンペーンを展開するなど、官民挙げて天草を元気にし、熊本全体の観光復興へ弾みをつけたい。」 この地元紙の社説記事こそが、本当の意味でのインフラのストック効果ではないかと思う。

(来年3月完成を目指す新1号橋)

■橋の名称と種類  ○一号橋「天門橋」   橋種:鋼橋  形式:連続トラス  全長:502m  区間:三角~大矢野島   中央径間300mは当時連続トラス形式として世界第1位  ○二号橋「大矢野橋」   橋種:鋼橋  形式:ランガートラス 全長:249.1m  区間:大矢野島~永浦島   支間150mを超えるランガートラスは日本初  ○三号橋「中の橋」   橋種:PC橋  形式:PC箱桁橋  全長:361m  区間:永浦島~大池島  ○四号橋「前島橋」   橋種:PC橋  形式 PC箱桁橋  全長:510.2m  区間:大池島~前島   五橋の中で一番長い橋  ○五号橋「松島橋」   橋種:鋼橋  形式:パイプアーチ  全長:177.7m  区間:前島~合津   パイプアーチとしてスパンが100m以上のものは日本初

■架橋の主な経緯  1936年12月 - 県議会で森慈秀議員が宇土-天草架橋を提案する。  1953年10月 - 天草全域が離島振興対策地域に指定される。  1954年12月 - 天草架橋期成会が発足する。  1955年03月 - 天草架橋一円募金が始まる。  1956年07月 - 雲仙国立公園に天草国定公園を合併、雲仙天草国立公園となる。  1956年11月 - 日本道路公団による天草架橋の本格的な調査が始まる。  1960年04月 - 天草架橋実現世話人会が発足する。  1962年07月 - 天草架橋起工式が行われる。  1963年05月 - 日本道路公団天草架橋工事事務所が天草五橋のスタイルを発表する。  1964年03月 - 公募により天草架橋の愛称が「天草パールライン」と決まる。  1965年08月 - 2号橋が連結する。  1965年12月 - 3号橋が連結する。  1966年01月 - 1号橋が連結する。  1966年02月 - 4号橋が連結する。  1966年03月 - 5号橋が連結する。  1966年05月 - 日本道路公団が天草架橋の正式名称を「天草五橋」と決める。  1966年09月 - 天草五橋開通式(車500台での祝賀パレード)。        日本道路公団が管理する一般有料道路として供用開始。  1966年10月 - 天皇皇后両陛下、天草五橋にご巡幸。  1975年08月 - 償還完了により無料開放(当初計画より21年2か月も早く無料となる)。

(今回の舞台)

(2016年10月2日)

最新記事
アーカイブ
​カテゴリー
​熊本国土学 記事一覧
bottom of page