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近代土木遺産&世界文化遺産「三角西港」の雄姿/明治のインフラ整備

★オランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルが設計した近代土木遺産「三角西港」。756mにおよぶ石積埠頭と水路は、世界文化遺産にも登録されている。

三角西港は、中学校の歴史教科書(教育出版社発行、平成27年3月検定済「中学社会 歴史 未来をひらく」162ページ)にも採録されている日本を代表する近代土木遺産で、宮城県の野蒜(のびる)港、福井県の三国港と並ぶ明治三大築港の一つ。明治政府から派遣されたオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルの調査・設計により、明治17年(1884年)に着工、3年後の明治20年(1887年)に開港した。 日本全体が近代化を急いでいたこの時代、熊本県は良港に恵まれず、産業振興を図るための貿易港(外港)の整備が不可欠であった。このような状況の中で、ムルドルは、宇土半島の先端に位置する三角の地は水深深く、潮流穏やかな天然の良港であり(大型船舶も入港可能であり)、国内外の貿易の窓口として最適であるとの調査結果を当時の熊本県令富岡敬明に進言、三角西港の築港にこぎつけた。なお、この時に整備されたのは三角西港だけではなく、県都熊本からのアクセスルートとなる熊本~三角西港間の道路整備も同時並行で進められた。 三角西港の特筆すべき点は、山を削り海面を埋め立て、近代的な港湾都市を建設したこと。石積みの埠頭や排水路、橋などが造られたほか、埠頭沿いには倉庫が立ち並び、埋立地には洋風・和風の建物が整然と建ち並んだ。明治22年(1889年)には国の特別輸出港に指定され、その後、昭和初期まで宇土郡警察署、三角簡易裁判所、宇土郡役所が開庁しており、三角西港は、貿易、行政、司法を備えた都市として

繁栄した。  しかし、明治32年(1899年)、九州鉄道三角線(熊本-三角)が際崎(きわざき、現在の三角東港)で終点となると、次第に国の重要港としての役割は東港へ移転して行き、三角西港は次第に使われなくなっていった。一方、そのおかげで明治期の石積埠頭を始め、当時の施設がほぼ原形のままで残されることとなった。  120年以上を経た今も当時の雄姿をとどめているのは、明治三大築港の中でこの三角西港だけであり、756mにおよぶ石積埠頭と排水路は平成14年(2002年)に国の重要文化財に指定され、平成27年(2015年)7月、世界文化遺産に登録されている。

http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/205(土木学会ホームページ)

(三角西港:石積埠頭と旧三角海運倉庫)

(三角西港:東排水路)

(小泉八雲の紀行文「夏の日の夢」の舞台にもなった浦島屋)

(三角西港の夕焼け)

(埠頭から天草一号橋を臨む。あれ?)

(今回の舞台)

(2016年10月1日)

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