江戸時代の交通と暮らし<『かがやく豊橋』③>
★豊橋市にある東海道五十三次の宿場「吉田宿」と「二川宿」。吉田(豊橋)は交通の中心都市として、二川は歴史的なまち並み景観を活かした地域として、現在も発展を続けています。
吉田宿(豊橋)は東海道34番目の宿駅
吉田宿(豊橋)は、江戸時代に設定された東海道五十三次の江戸日本橋から数えて34番目の宿場で、現在の愛知県豊橋市中心部に相当します。
豊橋市の中心部、豊橋市役所や豊橋公園がある場所は江戸時代、吉田城を囲むように武士達の居住区があり、東海道沿いに城下町として栄えた吉田宿がありました。江戸と京都のほぼ中間点にあたり、東海道の中でもにぎわいと華やぎに満ちた宿場でした。付近には吉田城と豊川、そして「吉田橋」や「御橋」と呼ばれていた大橋が存在し、大橋を通じて多くの人・モノ・情報が往来するとともに、豊川・三河湾の舟運や伊勢詣での船旅の湊町としても賑わっていました。
移動の手段は、江戸時代にはもっぱら徒歩や舟であったものが、現在は新幹線を含む鉄道やバス・タクシーを含む自動車交通に大きく様変わりしていますが、吉田(豊橋)は現在も交通の中心都市として発展を続けています。
東海道吉田宿|Network2010
東海道と吉田宿について|豊橋市美術博物館
吉田城について|豊橋市美術博物館
東海道五拾三次之内 吉田 豊川橋|「刀剣ワールド/浮世絵」
東海道(二川宿本陣資料館)
吉田城趾・鉄櫓
吉田宿本陣跡
東海道/史蹟・曲尺手門碑
東海道33番目の宿駅「二川宿」
豊橋市内の東海道には、もう一つ宿場がありました。それが東海道五十三次中33番目の宿場「二川宿」であり、現在でも歴史的な建物や当時の町割りが残り、街道沿いの格子のたたずまいが宿場町の風情を今に伝えています。
二川には、旧東海道の宿場では滋賀県草津市の草津宿とここだけに現存する本陣(大名や公家が休憩・宿泊した場所)の遺構があります。現在、本陣と旅籠屋「清明屋」は「豊橋市二川宿本陣資料館」の一部として改修・復元整備されており、商家「駒屋」も当時の建物や蔵が改修・復元されています。
また、近年では、歴史的なまち並み景観や伝統・文化を将来に引き継ごうと、住民、行政、専門家が協働した新たな取り組みが進められています。具体的には、「豊橋市まちづくり景観条例」に基づき、旧宿場町の約8割が「二川宿景観形成地区」に指定され、沿道の建物や工作物等のデザイン誘導によって、旧東海道二川宿の歴史的なまち並みを活かした景観形成が図られています。
東海道二川宿|Network2010
豊橋市二川本陣資料館
二川宿史跡マップ|豊橋市二川本陣資料館
二川宿の景観まちづくり|豊橋市
二川宿景観形成地区整備計画|豊橋市
二川宿本陣
二川宿の町並み
社会科副読本『かがやく豊橋』で学ぶ、江戸時代の交通と暮らし
豊橋市教育委員会が作成した小学校3・4年生向けの社会科副読本『かがやく豊橋』では、「江戸時代の交通と暮らし」について、以下の学びの機会が提供されています。(第3章第2節「3.かわってきた人々のくらし(2)残していきたい文化財」に掲載)
社会科副読本『かがやく豊橋』(豊橋市教育委員会)の学習コンテンツ
(今回の舞台)
(2023年01月15日)