国道57号が復旧しました!(熊本地震から4年半)
※本年7月の災害で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
本日、念願でありました国道57号現道部及び北側復旧ルートが開通いたしました。
この日を迎えるにあたり、ご協力をいただきました地域の皆様、並びにご尽力をいただきました関係の皆様に心より感謝申し上げます。
私自身、平成28年4月16日の熊本地震(本震)発生以降、両ルートの災害復旧事業に携わらせていただいた関係者の一人として、この日を迎える事ができましたこと、心より嬉しく存じております。
〝大動脈〟復活でアクセス改善 国道57号・北側復旧ルート開通(熊本日日新聞社2020/10/3)
○国道57号北側復旧ルートにつきましては、地域住民の皆様の多大なるご理解・ご協力のもと、技術的には、二重峠トンネル工事(延長3,659m)の契約にあたり全国で初めて「技術提案・交渉方式(ECIタイプ)」を適用するなどの工夫により、わずか4年半というスピードで約13kmのバイパスを整備・供用させていただくことができました。
国道57号北側復旧ルート開通記念ムービー
国道57号北側復旧ルート開通式(令和2年10月3日10:00~)
○国道57号現道部の阿蘇大橋地区斜面対策事業につきましては、崩壊土砂量約50万立方メートルと推定される大規模斜面崩壊部(「黒ボク土」と呼ばれる比較的新しい火山灰質粘性土が多く含まれている)において、発災直後からネットワーク型無人化施工システムを駆使するなどの工夫により、困難な対策工事を完成させることができました。
2020年10月3日 国道57号(現道)開通
地震発生から約4年半、地域の皆様には大変なご不便をおかけすることとなりましたが、国道57号現道部及び北側復旧ルートの開通、そしてJR豊肥本線の再開という、熊本県の発展に欠くことのできない基幹的交通インフラを「創造的復興」スタイルで構築させていただくことができました。
熊本県民の皆様におかれましては、令和2年7月豪雨災害からの復旧・復興や新型コロナウィルス対策など、大変なご苦労を余儀なくされておられることと存じますが、この難しい局面を乗り越えていただきまして、私の大好きな熊本県、第二の故郷・熊本県が一日も早く今までのような生き生きとした姿を取り戻していただきますよう、遙か「つくば」の地から祈念いたしております。
<近況>
○国総研(国土交通省国土技術政策総合研究所:つくば市)勤務。
○『大石久和のラジオ国土学入門』(ニッポン放送)のシナリオ作成支援中。
(2020年10月3日)
<追補>
地元紙・熊本日日新聞は、10月4日の朝刊で、次の社説を掲載している。両ルートの災害復旧事業に携わらせていただいた関係者の一人として、工事の技術的特徴や開通による効果を的確に捉え、また地域の将来を見据えたメッセージに感謝したい。
『国道57号開通 活気呼び込む希望の道に
2016年4月の熊本地震で寸断された国道57号で、新たに整備された北側復旧ルート(阿蘇市赤水-大津町引水、約13キロ)と、もともと走っていた現道(南阿蘇村立野、約2キロ)が3日、そろって開通した。熊本都市圏と阿蘇地域を結ぶ大動脈の、約4年半ぶりの復活である。
利便性は地震前より向上し、創造的復興を形で示した格好だ。阿蘇地域の観光振興や住民の生活再建はもちろんのこと、県全体に活気を呼び込む希望に満ちた道となることを期待したい。
北側復旧ルートは、片側1車線の自動車専用道路。大規模な斜面崩落で大量の土砂が流入し、通行不能となった国道57号の代替路として計画された。16年11月に着工し、4年弱で完成。工事内容に対し「異例の早さ」とされる。
要因の一つは、阿蘇外輪山を貫く二重[ふたえの]峠トンネル(約3・7キロ)の掘削方法にある。トンネルは通常、両端から掘るが、今回は避難坑を造りながら、内部からも掘り進めた。最新の掘削機を導入し、24時間態勢で臨み、約1年8カ月で貫通させた。
用地取得も速やかに進んだ。土地所有者が協力的だったのは、一日も早い復興を願う気持ちが皆にあったからだろう。
トンネルとつながる阿蘇市側は浸水対策も兼ねて7~8メートルの盛り土が施され、県道や線路をまたぐ高架橋も造られた。復興に欠かせない道路とはいえ、巨大な構造物が豊かな田園風景を少なからず変えたことも心に留めておきたい。
一方の現道は、4車線のうち3車線部分が崩落するなど甚大な被害を受け、安全面からも早期復旧は難しいとみられていた。遠隔操作による施工の無人化など高度な技術を導入し、一部は2車線になったものの、北側復旧ルートと同時に開通できた。
北側復旧ルートは大津-赤水間を約10分で結び、県道北外輪山大津線(ミルクロード)と比べて所要時間を約33分、現道と比べても約14分短縮できる。生活、ビジネス、観光など目的に応じてルートを使い分けることで、課題だった渋滞緩和も期待できそうだ。
熊本都市圏-阿蘇間では、昨年9月に県道熊本高森線俵山ルート、今年8月にはJR豊肥線も復旧した。多様化した交通アクセスを、まずは阿蘇観光の復興に最大限生かしたい。コロナ禍収束後に観光客を一気に呼び込むには、来年3月に完成予定の新阿蘇大橋や、23年夏の全線再開を目指す南阿蘇鉄道も含め、観光ルートを再構築することも必要ではないか。
7月から公開されている東海大阿蘇キャンパス校舎(南阿蘇村)など、県が整備を進める熊本地震「震災ミュージアム」の震災遺構もルートに組み込み、修学旅行生の誘致などにもつなげたい。県内最大のテクノ仮設団地(益城町)も閉鎖されるなど復興が進み、被災地の姿は見えにくくなっている。国道57号の開通を、再建半ばの被災者に改めて思いをいたす契機にもしたい。』
(国道57号北側復旧ルート:二重峠トンネル抗口付近)
(国道57号現道部)
(再開した豊肥本線と国道57号)
(数鹿流(すがる)崩之碑)
<最も新しい自然災害伝承碑:熊本地震の阿蘇大橋地区関係>
「数鹿流崩れ工事完成記念碑
平成二十八年四月十六日、熊本・阿蘇地方を襲った最大震度七の大地震により、黒川右岸山頂付近より大規模山腹崩落が発生。国道五七号、豊肥本線、国道三二五号阿蘇大橋が被災し、熊本と阿蘇を結ぶ交通が絶たれ、大学生一名の尊い命が奪われた。
被災翌月、国直轄砂防事業による復旧工事に着手し、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て、令和二年十月に工事が完成した。この大崩れを、震災の記憶と、険しい自然に対する人々の挑戦の歴史を語り継ぐ遺構として「数鹿流崩れ」と命名し、ここに記念碑を建立する。」
(令和3年3月の開通に向け、工事が急ピッチで進む国道325号阿蘇大橋)