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つなぐ棚田遺産「四谷の千枚田」<穂の国「東三河」⑩>

★食料生産、国土保全、水源涵養など、多様な機能を合わせ持つ「棚田」は、先人たちが国土に働きかけを続けてくれた歴史の賜です。


日本の原風景「棚田」

 旧豊橋鉄道田口線の双瀬隧道(新城市副川西山)を北上し、滝上駅跡を右に曲がり、県道32号(長篠東栄線)をしばらく走ると、素晴らしい「棚田」の風景が飛び込んで来ます。それが「四谷の千枚田」です。

 「棚田」は、山の斜面や谷間の傾斜地(傾斜20分の1以上)に階段状に作られた水田のことで、その機能は、単に「食料の生産」に留まらず、「国土の保全(地すべり・土砂崩壊等の防止)」、「水源の涵養」、「洪水調節」、「生物多様性・生態系の保全」、「保健・休養の場の提供」など、多岐に及んでいます。日本を代表する「美しい景観」の一場面でもあります。

 しかしその一方で、「棚田」は一枚一枚の面積が小さく、傾斜地で労力がかかるため、中山間地域の過疎・高齢化にともなって、1970年代頃から減反政策の対象として耕作放棄され始め、今ではかなりの面積の棚田が消滅してしまったと言われています。

 そもそも、わが国が現在のポテンシャルを持つことが出来ているのは、「米」という単位面積当たりの生産量が極めて高い穀物を耕作することができ、この島国で多くの日本人を養うことが出来たからに他なりません。そういう意味では、歴史的に見ても、「棚田」はわが国が誇るべき貴重な資源(遺産)であると言えるのではないでしょうか。


 認定NPO法人 棚田ネットワーク


四谷の千枚田

「四谷の千枚田」は新城市四谷地区にある鞍掛山麓の南西斜面、高低差約200mの階段状に広がる棚田で、鞍掛山の中腹から湧き出てくる清らかで豊富な水によって、室町の時代から潤され、今日までずっと耕されてきました。

 千枚田の名のとおり、かつては千枚以上の田んぼ(水田)が耕されていたそうですが、平成初期には約370枚にまで減少、その後、耕作者や地域の方々が中心になって棚田の保存活動をスタートさせてくれたお陰で、現在は3.6haの棚田(約420枚の田んぼ)が耕作・維持管理されています。

 過去には、大規模な水害によって沢沿いの棚田がすべて崩壊し、「四谷の千枚田」の存続そのものが危ぶまれた時もあったようですが、先人たちは鍬とモッコで棚田復興に全力を注ぎ、貴重な遺産を次の世代に引き継いでくれました。現在も、鞍掛山麓千枚田保存会の方々を中心にして、この地域の人々は先人たち思いを風化させることなく、「四谷の千枚田」を使命感をもって守り続けてくれています。


 四谷の千枚田|新城市


 四谷の千枚田|奥三河観光協議会


 四谷の千枚田|愛知県の観光サイトAichi Now


 先人の知恵と努力の結晶「四谷の千枚田」/水土里の四季|農林水産省


四谷の千枚田①2023.03(新城市四谷地区)


四谷の千枚田②2023.03(新城市四谷地区)


四谷の千枚田③2023.03(新城市四谷地区)


「棚田地域振興法」に基づく取り組み

 かつて、全国に残る優れた棚田を保全するため、農林水産省が「日本の棚田百選」を認定したことがありました(実際には、1999年(平成11年)に、全国117市町村・134地区の棚田が認定されています)。

 しかし、認定から20年以上が経過している昨今、棚田地域では、担い手の減少や農家の高齢化等により従来のような保全活動が難しくなり、棚田荒廃の危機は益々差し迫った課題になっているところです。

 このような中、2019年(令和元年)になって、貴重な国民的財産である棚田を保全し、棚田地域の有する多面にわたる機能の維持増進を図るための法律「棚田地域振興法」が議員立法によって成立し、その趣旨に基づき、棚田地域の振興に向けた取り組みが広がろうとしています。

 具体的には、①「指定棚田地域」の指定による区域の明確化、②棚田の保全や地域振興の取組を行う主体となる「指定棚田地域振興協議会」の設立、③棚田の保全と地域振興の目標と活動内容を定める「指定棚田地域振興活動計画」の策定と国による認定、の3つのステップを踏むことで、財政的な支援(棚田地域振興関連事業の実施)や人的な支援(棚田地域振興コンシェルジュへの相談)を受けることが出来るようになっています。


 棚田地域振興に関する説明書|内閣府地方創生推進事務局・農林水産省農村振興局地域振興課


 棚田地域振興/地方創生|内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局・内閣府地方創生推進事務局


 これまでに、指定棚田地域は41道府県において719地域が指定されており(令和5年4月現在)、また、棚田地域振興活動計画は39道府県において179計画が認定されています(令和5年1月現在)。

 東三河地域では唯一「四谷の千枚田」が指定棚田地域の指定を受け(令和2年10月14日公示)、「四谷の千枚田地域振興協議会」が作成した「指定棚田地域振興活動計画」が国による認定を受けています(令和3年4月認定)。


指定棚田地域振興活動計画/四谷の千枚田地域振興協議会(抄)|内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局・内閣府地方創生推進事務局


「つなぐ棚田遺産」認定

 法律(棚田地域振興法)に基づく取り組みとあわせて、農林水産省では、改めて優良な棚田を認定する取組(「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~(ポスト棚田百選)」)を実施しており、全国で271の棚田が「つなぐ棚田遺産」として認定されています(令和4年3月25日)。

 「四谷の千枚田」は、平成11年の「日本の棚田百選」に選ばれていましたが、今回の「つなぐ棚田遺産」の認定も受けています(愛知県内では、新城市の「四谷の千枚田」と岡崎市の「千万町棚田」の2箇所が「つなぐ棚田遺産」の認定を受けています)。

 一方で、「四谷の千枚田」とともに「日本の棚田百選」に選定されていた設楽町の「長江棚田」は、今回、「つなぐ棚田遺産」には認定されませんでした。その背景には、高齢化で耕作する農家はわずか一軒となり、耕作地の縮小が進んでいたということがありました。


 つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~の認定について|農林水産省


 四谷の千枚田(愛知県新城市)/つなぐ棚田遺産の認定について|農林水産省


 棚田地域の振興について|農林水産省


 四谷の千枚田が「つなぐ棚田遺産」に選定されました|新城市


鞍掛山麓千枚田保存会の活動

 中山間地域の過疎・高齢化や減反政策などを背景として棚田の荒廃が進むなかで、「四谷の千枚田」が耕作・維持管理され続けているのは、しっかりとした組織(棚田保全団体)がこれを支えているからです。その組織が平成9年に設立された「鞍掛山麓千枚田保存会」です。

 鞍掛山麓千枚田保存会の活動は、◆地元小学生や市内の高校生による稲作体験、地元企業の新入社員研修、国内外からの農業視察の継続的な受け入れ、◆棚田の景観を構成する各施設(農道、あずまや、ビオトープ、トイレ、案内看板等)周辺の草刈等の日常的な管理、◆棚田における都市農村交流を通じた関係人口の創出・拡大による地域振興(毎年6月の「お田植え感謝の夕べ」、12月の「収穫感謝祭」等のイベント実施)、◆「四谷の千枚田だより」の定期発行(毎月)など、とても幅広く、かつ精力的なものです。

 これらの活動は、令和3年4月に認定された「指定棚田地域振興活動計画」の「各年度において行う指定棚田地域振興活動の内容及び実施主体に関する事項」にも位置づけられており、今後の「四谷の千枚田」の保全、地域振興の核になる活動でもあります。


 千枚田だより|新城市


 千枚田だより(第232号)令和5年1月15日発行|新城市



 棚田地域は、農産物の供給にとどまらず、国土の保全、水源の涵養、生物の多様性の確保その他の自然環境の保全、良好な景観の形成、伝統文化の継承等の多面にわたる機能を有していますが、この「棚田」というインフラは、わが国の国土に最初からあったものではありません。

 古くは、古墳時代に出現し、室町時代前期の文書には“棚田”という言葉が具体的に記されるようになったとも言われている「棚田」は、まさに、先人たち(古代から稲作農業を営んできた多くの日本人)が国土に働きかけを続けてくれた歴史の賜です。

 現代に生きるわれわれも、この「棚田」への働きかけを継続し、次の世代にしっかりと遺していかなければならないと思うのです。


(今回の舞台)



(2023年06月11日)

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