熊本地震で被害を受けた「南阿蘇鉄道」は今(南郷谷を鉄道で行く)
★学生やお年寄りなど交通弱者の足として生活を支えてきた、そして南阿蘇の観光を支えてきた「南阿蘇鉄道・高森線」の復旧を強く願う。
南阿蘇鉄道・高森線は、南阿蘇村の立野駅(JR豊肥本線と接続)から高森町の高森駅に至る鉄道路線で、立野駅を出て北の阿蘇五岳(中央火口丘)、南の外輪山に挟まれた「南郷谷」を白川に沿って東に進み終点の高森駅に至る。昭和3(1928)年にJR豊肥本線の前身である宮地線の支線として開業した後、昭和61(1986)年には第三セクター・南阿蘇鉄道に転換した。路線開業後90年、第三セクター転換後30年の歴史を持つ。
南阿蘇鉄道(公式ホームページ)↓ http://www.mt-torokko.com/
熊本地震発生1年前の平成27年4月29日、地元紙『熊本日日新聞』は朝刊(県北版)で、運行30年目を迎えた南阿蘇鉄道を取材している。 「南阿蘇村と高森町を結ぶ南阿蘇鉄道は第三セクターとして運行を始めて4月で30年目を迎えた。生活路線として沿線人口の減少に苦戦しながらも、「トロッコ列車」などの観光向けに活路を求め、台湾や韓国への売り込みも強めている。 3月末の土曜日。台湾・桃園市のツアー客約30人を乗せたトロッコ列車「ゆうすげ号」が立野駅を出た。高さ約60メートルの立野橋梁[きょうりょう]から見る白川渓谷、噴煙をあげる阿蘇中岳、南外輪山の雄大な山並み。車窓の絶景に、乗客は歓声を上げてカメラのシャッターを切る。高森駅まで約50分の旅。蘇淑恵[ソショウェイ]さん(55)は「カルデラの中を走る列車は世界でも阿蘇だけ。友人に自慢したい」。 同鉄道によると、外国人の利用客は、統計を取り始めた2012年度の6893人から14年度は26659 人と約4倍に増加。中でも台湾人は481人(12年度)から 10083人(14年度)と爆発的に増えている。 08年に韓国の団体利用があったのを機に、同鉄道は海外の旅行会社へ営業を開始。同時に沿線各駅に韓国、台湾など4カ国語による案内表示や車内アナウンスを導入した。 「各地で高級列車が増える中、旧式だが気軽にのんびりと自然を楽しめる南鉄の雰囲気が、海外の人に受けるのかもしれない」と同鉄道は分析する。 海外からの観光客取り込みに力を入れる背景には、厳しい経営事情もある。1986年、旧国鉄高森線の廃止に伴い、沿線7町村(現在は5町村)が出資して生活路線としてスタートした同鉄道だが、利用者は94年度の48万9千人をピークに減少。2005年度以降は、25万人前後と低迷が続いている。 俵山バイパス開通(03年)など道路の整備や少子高齢化の影響で通勤・通学利用が激減。13年度の運輸収入は9千万円で、その約半額をトロッコ列車が占めるなど、今や観光向けが大きな柱だ。 津留恒誉[つねたか]専務(48)は「観光利用の取り込みは攻めの姿勢が大切。台湾からのツアーも一時的なブームで終わらないように、旅行会社に積極的に売り込みたい」と強調する。 阿蘇地域の世界ジオパーク認定(昨年9月)も追い風ととらえ、「“地域の足”を守るためにも観 光路線として経営を強化したい」とさらなる努力を誓う。」
2015年秋には、南阿蘇鉄道の「第一白川橋梁」と「立野橋梁」が、公益社団法人・土木学会の「選奨土木遺産」に選定された。1920年代に当時の最先端技術を用いて険しい渓谷に架設され、現在も生活の足を支え続けている点が高く評価された。第一白川橋梁は、足場を設けずに完成した日本最初の鋼製アーチ橋(バランスド・アーチ橋)。立野橋梁は、全国でも珍しいコンクリートの土台がない「トレッスル橋脚」が支える。
土木学会・推奨土木遺産「白川第一橋梁」(土木学会ホームページ)↓ http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/883
土木学会・推奨土木遺産「立野橋梁」(土木学会ホームページ)↓ http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/885
しかし、2016年4月16日未明に起きた熊本地震により南阿蘇鉄道は甚大な被害を受けた。災害前の全線17.7kmに対し現在復旧している区間は約7km(中松駅~高森駅間)。特に立野〜長陽間は、2つのトンネルで内壁の崩落や亀裂が見つかり、鉄橋の橋桁も損傷、線路は250mにわたって流出している状況にある。被害額はおよそ数十億円、鉄橋の架け替えが必要になるとさらに復旧費用が膨らむとも考えられており、残り区間(立野駅~中松駅間)の復旧はめどが立っていない。
熊本地震発後3ヶ月たった平成28年7月28日、地元紙『熊本日日新聞』は「震災被害の鉄道全線開通で復興に弾みを」というタイトルの社説を掲載した。 「4月の熊本地震で線路が寸断されるなど大きな被害を受けたJR豊肥線と第三セクターの南阿蘇鉄道は、地域の重要な交通基盤だ。今月9日、豊肥線で運休区間の一部が運転再開し、南阿蘇鉄道も31 日から部分運転を始める。全面復旧への第一歩にしたい。 豊肥線の運休区間は、大津町の肥後大津駅から大分県竹田市の豊後荻駅に至る52・6キロ。このうち阿蘇駅と豊後荻駅間25・3キロで運転を再開し、阿蘇と別府を結ぶ九州横断特急も走りだした。 一方の南阿蘇鉄道は、高森町の高森駅と南阿蘇村の立野駅間17・7キロ全区間が運休したが、被害の少なかった高森一中松間7・11キロで運転を再開する。名物の観光トロッコ列車も復興のシンボルとして運行する。 ただ、豊肥線の阿蘇-肥後大津間27・3キロの再開のめどは立っていない。南阿蘇鉄道も、30億~50億円と見込まれる復旧費用のうち、地元負担分を捻出する資金的余力は、会社や地元自治体には乏しい。残念ながら、現段階では両線とも全面復旧は見通せない。 地元では「豊肥線と南阿蘇鉄道、国道57号の“3本柱”がそろわなければ、阿蘇観光の完全復旧は難しい」との声は根強い。県全体としても、鉄路復活は地震からの復興の重要な柱であろう。 全国では、災害の影響で廃線に追い込まれたローカル線の例もある。地元の復興意欲をそがないためにも、全線開通への道筋を早くつける必要があるのではないか。 そのために欠かせないのが国の対応だ。東日本大震災で被災した第三セクター鉄道4社について、国は復旧費の大半を支援する新制度を適用。津波で甚大な被害を受けた岩手県の三陸鉄道は3年後に全線で運転再開できた。国は南阿蘇鉄道の復旧調査費に2億円を充てている。調査を踏まえて速やかに支援策を示してほしい。 豊肥線の復旧支援も国に求めたい。大規模災害で被災したローカル鉄道の復旧を後押しするため、自民党は鉄道軌道整備法の改正を検討中だ。現在は赤字の鉄道会社だけが支援対象だが、赤字路線なら会社の経営状態を問わず支援できるようにすることが柱だ。豊肥線を全国の復旧のモデルにできるような対応を期待したい。」
「災害の影響で廃線に追い込まれたローカル線」の例は、南阿蘇鉄道・高森線の身近にもある。隣の宮崎県を走っていた「高千穂鉄道・高千穂線」である。高千穂線は、五ヶ瀬川に沿って宮崎県北部の工業都市・延岡市と神話の里・高千穂町を結んでいたが、平成17(2005)年9月の台風14号により全線にわたって甚大な被害を受け運行休止となり、平成20(2008)年12月28日には全線が廃止された。
そして、この「高千穂鉄道・高千穂線」と「南阿蘇鉄道・高森線」には更に深い歴史がある。かつて両路線はトンネルにより連結され、九州中部を横断する鉄道ネットワークを形成する予定であったのである。 実際、昭和48(1973)年には日本鉄道建設公団によって高千穂~高森間27.0kmが着工、昭和52(1977)年完成を目指して工事が進められていた。ところが高森~高千穂間のトンネル掘削中に湧き水の異常出水事故が発生し(この湧き水は高森と南阿蘇地区の上水道の水源を枯渇させるほどのダメージを与えたことから)、これが原因で高森~高千穂間の新線工事は断念。高森線が旧国鉄の廃止対象赤字ローカル線である第1次特定地方交通線として指定されたこともあって、悲願の九州横断鉄道は水の泡と消え去った。工事の中断を余儀なくされた高森トンネルは、現在、高森湧水トンネル公園として保存されている。
最後に、東洋経済ONLINEに掲載された記事(南正時氏::鉄道写真家)を紹介したい。 「私が南阿蘇鉄道の復旧を強く願うのは、この鉄道が南阿蘇の生活のほとんどを支えている鉄道であるということだ。通学、お年寄りなどの交通弱者の足として、そしてこの風光明媚な路線が南阿蘇の観光を大きく支えてきた経緯からである。私はこの線を日本有数の「珠玉のローカル線」と呼んではばからない。 もう40年以上も高森線、南阿蘇鉄道のすばらしさに魅かれ取材してきている筆者としては、どうしても廃線だけはしたくない、必ず復興をと願うばかりである。すでに復興に向けた義援金などが寄せられているが、あまりにも膨大な費用に、ここは三陸鉄道の復興と同等の配慮が必要と強く訴えたい。」
熊本地震で被災した「南阿蘇鉄道」は蘇るか(東洋経済ONLINE)↓ http://toyokeizai.net/articles/-/122198
(熊本地震により被害を受けた第一白川橋梁)
(日本一長い駅名の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」)
(白川水源in2015・12)
(高森湧水トンネル公園)
(高森湧水トンネル公園)
(南阿蘇鉄道・高森駅)
(高森駅内でも復旧支援グッズ販売中)
(高森駅内の常設資料展にて)
(「ONE PIECE」復興列車)
(今回の舞台)
(2017年1月29日)